1239年 (暦仁2年、2月7日 改元 延應元年 己亥)
 
 

8月8日 乙巳 天霽、風静まる
  午の刻二棟の御方(将軍家御寵、大宮殿と号す。大納言定能卿孫、中納言親能卿の女)
  御着帯なり。御加持は岡崎僧正(成源)、御祓いは大膳権大夫維範朝臣。密議たるに
  依って御所に於いて行われずと。去る四月より御祈り等を行わると。
 

8月11日 丁未
  天変の御祈り等を行わる。北斗護摩は大蔵卿法印良信、鎮星供は助法印珍譽、御祭は
  維範朝臣と。また将軍家年来の御素願に依って、御持仏堂に於いて百部の金光明経を
  供養せらる。導師は三位法印頼兼、題名僧十口(僧綱・凡僧相交る)。布施取りは皆
  諸大夫を用いらる。所謂仲能・親實・佐房・親光・廣時等なり。
  御願文に云く、
   蓋し聞く、金光明経は、二万歳治国の正論、億千劫希世の真理なり。法応化の三徳
   に譬う。月悔悟の門を照らし、命色力の衆望に随い、花増益の道に薫る。膽部州流
   布の教えなり。機縁我土に遍く、最勝園新羅の文なり。玄感群生に被る。これ以て
   実悟を月氏に憶うに、則ち金龍尊王三世讃嘆の詞を伝う。芳続を日域に温むるに、
   また朱鳥明主百部転読の詔を施す。爾降、君臣衛護の誓いを憑む。州閭齋持の功を
   致す。寔にこれ諸経の王なり。豈衆宝の最に非ざるや。伏して惟うに、弟子未だ周
   南冢宰の家を識らず。秦白兵権の府に入るを図らず。地上三略の法、庸材の性を恥
   じると雖も、攻陽八陣の図、猶諸葛の塵を憶う。畜う所は廟勝の策なり。道徳を冑
   と為し、仁義を劔と為す。列なる所は含正の群なり。虎夫左に在り。雄卒右に在り。
   然る間鎮幕二十廻の後、忽ち九陌の名区に赴く。弱冠三七歳の時、始めて双親の慈
   顔を拝す。茲に因り幸いに少呉氏の仁恵に遇い、早く大理卿の精要に備う。職金吾
   を兼ね、声名を漢日の鳥に伝え、位亜相を剔り、献納を虞年の龍に顧みる。九禁通
   三の左威なり。朝瑞に於いて卑しからず。六軍惣一の上将なり。民間に取りて足る
   べし。矧やまた子道云に彰わる。而るに太閤准后の素意を遂げるを観て、皇澤これ
   重く、頻りに双闕勤王の微忠を怠るを惶れる。仍って礪卿の訓に慣らい、強て踰涯
   の任を遁れ、何ぞ唯李次元の功勲に誇るなり。印綬を文武の班に解き、祭征虜の廉
   約を守るなり。禄賞を士卒の賜に頒つのみならんや。遂に乃ち去冬更に楡柳の境に
   帰ると雖も、向後猶鳳凰の宮に臨むを期す。然る間漁陽万里の路、ヘイ鼓罷て春苔
   空しく鎖す。雁雲孤戎の楼、風塵収めて秋月いよいよ澄む。誠に鋭気の雅譽を隔つ
   を知ると雖も、ただこれ洪化の巡方に及ぶを喜ぶ。時に雅函夏艾安の明時、金商粛
   條の仲月、東漸の法水を酌み、南謨の匪石を凝らし、金光明経百部四百巻を書写し
   奉る。紫衣綱維の禅徒を便屈し、金色光明の妙典を賛嘆せしむ。戯終露点に於いて
   華紐を整う。甘露城の梵教旧の如し。月輪に礼して白言を致す。月営の道儀に偃し
   これ新たなり。今の恵業何ぞ照視せざらん。然れば則ちこの景福を以て朝庭に祝い
   奉る。吹万の化、乾坤同じくして彊無し。明一の輝、日月共にして照遙か。子一善
   有らば、必ず二親に献ず。皇上の外祖外祖母なり。久しく彭祖の方を伴うは、人間
   の沙彌沙彌尼なり。共に恒沙の算を約す。弟子将軍樹の花常鮮にして、桃蹊の春を
   契る。神仙山の月高霽にして、松喬の壽を全うす。継嗣の恢弘は、莫穉角存の娯を
   成す。民庶の悦豫は、航チン輦責の貢を納む。重ねて願念の甚深に依って、遍く廻
   向の区分有り。三代の良将、大法軍の名を得て、定めて如来の教勅を奉る。二所の
   禅儀、小善根の力に答えて、速やかに等妙の果位に並ぶ。しかのみならず含飴の遺
   徳忍び難きが故、三所幽霊の正覺を資く。合来の芳契忘れ難きが故、一室好仇の後
   途を済う。また故員外右京兆をして、宜しく彼界西の左華座に列すべからしむ。昔
   楚国公は、周室の大将軍なり。仏書を写し以て一切の含識を施す。今魯愚士は、皇
   朝の大将軍なり。法筵を展て以て二世の所求を祈る。恭敬の趣、精誠相同じきもの
   か。凡そ厥の有縁無縁の庶類、併しながら三貘三菩提の勝因を證す。敬白。
     延應元年八月日
               弟子征夷大将軍正三位藤原朝臣敬白
 

8月15日 壬子 天晴
  鶴岡の放生会。将軍家御憚りに依って御出無し。匠作(白襖の狩衣)御使として奉幣
  せしめ給う。賢息武蔵の守朝直・式部大夫時直・右近大夫将監時定扈従せらる。また
  佐渡の前司基綱・前の大蔵少輔景朝・伊豆の守頼定・出羽の前司行義等、舞楽の間下
  宮の廻廊に候すと。
 

8月16日 癸丑 霽
  将軍家流鏑馬を覧んが為、馬場の御桟敷に出御す。左近大夫将監経時・左馬の助光時
  御輿寄せに候す。織部の正光重御劔を役す。前の武州追って参らしめ給う。大夫判官
  泰綱(家子二人を具す)・出羽判官家平、御出に供奉せずと雖も、別の仰せに依って
  馬場を警固す。陸奥掃部の助實時御桟敷の前に候す(床子に座す)。
 

8月22日 己未 霽
  二棟の御方始めて大倉の御産所に渡御す。