1240年 (延應2年、7月16日 改元 仁治元年 庚子)
 
 

1月1日 丙寅 天霽
  椀飯(匠作御沙汰)。御劔は右馬権の頭(政村、布衣)、御弓箭は武蔵の守朝直、御
  行騰沓は佐渡の前司基綱。
   一の御馬(鞍を置く)相模式部大夫時直    佐原六郎兵衛の尉時連
   二の御馬      相模の七郎時弘     本間源内左衛門の尉忠直
   三の御馬      佐原太郎左衛門の尉胤家 同四郎左衛門の尉光連
   四の御馬      吉良大舎人の助政衡   原四郎左衛門の尉泰綱
   五の御馬      相模右近大夫将監時定  山城の前司元忠
  今日吉書を覧る。椀飯以後将軍家御行始め。前の武州の御亭に入御す。修理の亮時幸
  御劔を持つ。右馬権の頭政村以下数輩供奉す。
 

1月2日 丁卯 天晴
  椀飯(前の武州御沙汰)。御劔は駿河の守有村、御弓矢は甲斐の守泰秀、御行騰は秋
  田城の介義景。
   一の御馬(鞍を置く)北條左近大夫将監経時  信濃三郎左衛門の尉行綱
   二の御馬      北條五郎兵衛の尉時頼  近江四郎左衛門の尉氏信
   三の御馬      陸奥掃部の助實時    伊東六郎左衛門の尉祐盛
   四の御馬      平新左衛門の尉盛時   同四郎
   五の御馬      陸奥の七郎時尚     南條八郎兵衛の尉忠時
  晩に及び、若君御前御行始め(御輿)、前の武州の御亭と。戌の刻彗星申方に出現す。
  芒気三尺、巽方を指す。色白赤。前の陰陽権の助親職朝臣最前に御所に参り申す。定
  員申次と。但しこれ去年十二月晦夜出現す。人々これを見ると。
 

1月3日 戊辰 天晴、夜に入り陰
  今日椀飯(越州御沙汰)。御劔は備前の守時長、御調度は伊豆の守頼定、御行騰は出
  羽の前司行義。
   一の御馬(鞍を置く)遠江の五郎時兼     小井弖左衛門の尉
   二の御馬      笠間左衛門の尉朝時   宇都宮五郎左衛門の尉宗朝
   三の御馬      信濃三郎左衛門の尉行綱 同四郎左衛門の尉行忠
   四の御馬      陸奥の七郎時尚     大和判官代次郎宗綱
   五の御馬      相模左近将監      同七郎
 

1月4日 己巳 晴
  戌の刻申方に彗星出現す。芒気四尺、巽方を指す。色白赤、赤色少なし。本大きさ鎮
  星の如しと。

[平戸記]
  今夕戌の刻彗星西方に見ゆ。坤方に寄り光芒五六尺月に映ゆ。その光芒薄しと。程無
  く山に入ると。この一両年天変休まず。就中去る冬已後重変重疉し、今この大変に及
  ぶ。畏るべし々々。
 

1月5日 庚午 夜に入り雨降る
  前の武州の御亭に、匠作・遠州・甲斐の守以下客人参らる。天変の事に依って御酒宴
  数献に及ばず。故に御引出物等有りと。
 

1月6日 辛未 天晴、夜に入り陰
  彗星現れず。今日御弓始めなり。
  射手
   一番 佐々木八郎左衛門の尉  橘次右衛門の尉
   二番 神地の四郎       小諸左衛門の尉
   三番 本間源内左衛門の尉   廣河の五郎
   四番 下河邊左衛門次郎    秋庭の小次郎
   五番 横溝の六郎       藤澤の四郎
 

1月7日 壬申 天晴
  戌の刻彗星歳星の傍ら(相去ること三尺余の所)に現れ、芒気艮方を指す。光芒五尺、
  軸星の大きさ太白の如し。

[平戸記]
  今夜彗星また見ゆ。その光芒月光に映ゆ。その長さ見定めず。大方五六尺は見る所な
  り。今夜予これを見る。光芒坤方を差すなり。
 

1月8日 癸酉
  戌の刻彗星歳星に近ずく(相去ること二尺余の所)。今日天変の御祈護摩を始行せら
  る。
   薬師  承快法印    熾盛光  宰相僧正
   尊星王 道禅法印    八字文殊 良信法印
 

1月9日 甲戌
  彗星雲間に透り、芒気不明。
 

1月10日 乙亥 雨降る。辰の刻雷鳴
  今夜彗星現れず。
 

1月11日 丙子
  戌の刻彗星壁一星を犯す(相去ること二尺の所)。同時に月東井星に入る。
 

1月12日 丁丑 陰晴不定 [平戸記]
  今夜彗星見ゆ。他星また寄り合う。定めてまた変異か。遂て尋ぬべきなり。
 

1月13日 戊寅
  辰の刻地震。
 

1月14日 己卯
  御所に於いて天地災変祭を行わる。維範朝臣これを奉仕す。将軍家祭庭に出御す。周
  防の前司親實御使たり。
 

1月15日 庚辰
  評定始めなり。先々は正月以後これを行うと雖も、彗星の事に依ってこの儀に及ぶと。
  前の武州参らる。
  評定衆
   右馬権の頭   武蔵の守   摂津の前司  佐渡の前司  出羽の前司
   秋田城の介   太宰の少貳  対馬の前司  加賀民部大夫 太田民部大夫
   清右衛門大夫  佐藤民部大夫
 

1月17日 壬午
  鶴岡宮寺に於いて百口の僧をして仁王百講を行わる。将軍家御参有り。これ彗星出現
  の事に依ってなり。この外御祈り等、
   筥根本地護摩(圓親法印)   伊豆山本地護摩(賢長法印)
   七壇の北斗供
    中壇 安祥寺僧正
    脇壇 定雅僧都 成恵僧都 定清僧都 征審僧都 隆弁僧都 守海僧都
   愛染王法  内大臣法印
   天冑地府祭 権暦博士定昌朝臣 
   兵衛蔵人親季御使たり。
 

1月18日 癸未
  彗星奎に近し。去る夜より御所に於いて属星祭を行わる。晴賢朝臣これを奉仕す。今
  夜将軍家祭庭に出御す。右馬権の頭政村御使たり。
 

1月19日 甲申
  彗星奎中に入る。今夕重ねて変異の御祈りを行わる。七曜供は珍譽法印。子の刻御所
  に於いて三万六千神祭を行わる。前の大蔵大夫泰貞朝臣これを奉仕す。左馬の頭義氏
  朝臣の沙汰なり。御使は内蔵権の頭資親。将軍家祭庭に出御す。また七座の泰山府君
  祭有り。廣経・資俊・晴茂・国継・晴秀・資宣・晴尚等奉仕す。内蔵権の頭資親・安
  藝の守親光・兵衛蔵人親家、以上三人御使を勤む。将軍家出御す。如法泰山府君祭、
  親職朝臣里亭に行う。安藝の守親光御使たるなり。祭料を賜うの上、御馬(鞍を置く)
  ・御劔(九柄)・御双子筥(一合)等を遣わさると。

[平戸記]
  去る夜加賀の前司望範来談する所、関東云々の説これを語る。彗星の前表か。恐るべ
  きの由これを談る。
 

1月20日 乙酉
  御祈り等の為、重ねて護摩を修せらる。
   金輪(左大臣法印)  不動(眞忠法印)  仏眼(宰相僧正)
   五大虚空蔵(厳瑜僧都)金輪供(道禅法印)
  戌の刻彗星出現す。去る十七日より今夜に至るまで、光芒次第に盛んなり。
 

1月22日 丁亥
  清左衛門の尉満定評定衆に加うと。
 

1月23日 戊子 霽
  匠作俄に御違例。辰の刻以後殊に辛苦す。日中に及び、前の武州・足利左典厩等至り
  訪わしめ給う。
 

1月24日 己丑 天晴
  今暁正四位下行修理権大夫平朝臣時房卒す(六十六)。昨日辰の刻より召し籠もられ、
  去る夜絶入す。これ若くは大中風かと。今日午の刻卒去の由披露に及ぶと雖も、信実
  閉眼は、今暁丑の刻と。

[平戸記]
  今夜妖星見ゆ。またその光芒頗る薄し。去る十八日巳の刻紫微宮に入らんと欲するの
  由これを聞く。今に於いては合い入らしむこと無きか。
 

1月26日 辛卯
  戌の刻彗星出現す。王艮五星を犯す。光芒微薄なり。

[平戸記]
  今日関東の住人右衛尉為俊書札を送りて云く(去る十日の状)、彗星出見の事、正月
  二日の事と。紀州辺三日に見え、関東二日に見ゆ、彼是相違か。尤も不審の事なり。
 

1月27日 壬辰
  今年将軍家御上洛有るべきの由思し召し立つと雖も、彗星連夜出現するの間、窮民を
  慰めらるるの條、攘災の上計たるべきの由御沙汰有って、延引す。その子細六波羅に
  仰せらるべきの処、前の武州匠作の軽服に依って、御教書を成されず。先ず基綱・行
  然等仰せを承り奉書を献る。その状の書き様、
   今年の御京上御延引すでにをはんぬ。偏にこれ土民の煩いを慰めんが為、且つはま
   た天変御祈りの為なり。この旨を存じ、畿内より始めて鎮西に至るまで、御家人等
   に触れ仰せらるべきの状、仰せに依って執達件の如し。
     延應二年正月二十七日     沙彌
                    前の佐渡の守
   進上 相模の守殿
 

1月28日 癸巳 天陰時々微雨 [平戸記]
  今暁関東の飛脚六波羅に到来すと。修理権大夫時房朝臣去る二十四日俄に卒去すと。
  日来病気無く、二十三日心神聊か違例の由これを語る。然れども殊なる事無し。仍っ
  て家中警固せず。戌の刻増気、二十四日戌の刻遂に閉眼すと。時房朝臣は、時政息、
  故義時朝臣の舎弟なり。関東に於いて両眼の如く世務を口入す。承久已後すでに二十
  年を送り、今頓死するの條奇しむべし思うべし。人口に云く、去年の歳暮義村頓死、
  今年また時房頓死、偏にこれ顕徳院の御所為と。関東中偏に以て御顕現すと。関東漸
  く以て衰微か。時房朝臣の子息越後の守時盛、年来在京守護、この事に依って明暁下
  向すべしと。今日即ち馳せ下らんと欲すと雖も、出立合期せず。