閏7月2日 丙午
御持仏堂供花結願なり。将軍家日来手づから書写し給う所の法華妙典供養を遂げらる。
導師は岡崎僧正、布施物等過差至極なり。諸人属目すと。
閏7月6日 庚戌
洛中辻々の篝屋員数並びに立所を定めらると雖も、その地無きに依って、一両所今に
未作と。仍って今日沙汰有り。彼の地の事、承久の没収注文を以て、便宜の地を尋ね
出し、相伝せらるべきの由、六波羅に仰せらると。
閏7月7日 辛亥
越堺の下人の事重ねて御沙汰に及ぶ。これ地頭と百姓と差別せしめば、更に落居の儀
無きが故なり。前々の事に於いては、共に以て沙汰に及ばず。自今以後相交えて糺返
せしむべきの由、加賀民部大夫に仰せ付けらると。