1245年 (寛元3年 乙巳)
 
 

3月1日 丙申 天晴
  寅の刻彗星室壁の間に見ゆ。長2尺と。連日客星・彗星出現の例無しと。申子の両時
  地震、太だ悪動すと。

[百錬抄]
  今暁彗星東方に見ゆ。司天の輩一同奏すと。
 

3月2日 丁酉 天晴 [平戸記]
  昨暁彗星出現すと。然れども司天等一定を見るの後申すべきの由を存じ、昨日各々申
  さずと。今暁これを伺い見る。寅の刻東方に出現す。光芒頗る南方を指す。去る夜方
  違えの為八條に向かうの処、司天等馳参す。一番良光、二番家氏、清継一番かまたは
  二番かの間か。
 

3月5日 庚子
  将軍家御不例の事、日来聊か御温気有りと雖も、驚きの御沙汰に及ばず。今朝御増気
  の間、御祈り等を始行せらると。
 

3月6日 辛丑 天晴
  将軍家御祈りの事重ねてこれを修せらると。

[百錬抄]
  今暁より彗星見えずと。
 

3月8日 癸卯 天霽
  京都の使者参着す。今月一日二日の両日暁天彗星出現す。晴継朝臣最前にこれを申す
  と。
 

3月11日 丙午 天晴
  夜に入り彗星の御祈りを始行せらる。
 

3月14日 己酉 天霽
  将軍家の御不例平減の間、今日未の刻御沐浴の儀有り。医師時長・頼幸・以長・廣長
  ・大學等禄を賜う。各々御劔一腰・御馬一疋なり。師員朝臣これを奉行す。
 

3月16日 辛亥 天霽
  彗星御祈りの為、御所に於いて天地災変祭を行わる。宣賢朝臣これを奉仕すと。戌の
  刻大納言家日光別当の犬懸谷坊に入御す。これ二所奉幣の御使を立てらるべきに依っ
  て、御精進の為なり。

[平戸記]
  伝聞、去る夜関東の早馬到来すと。然れどもその旨趣秘蔵風聞せず。
 

3月19日 甲寅 天霽
  日光別当坊より鶴岡八幡宮並びに亀谷山王宝前等に御参り。その後幕府に還御すと。
  戌の刻彗星御祈りの為、御所に於いて七座の泰山府君祭を行わる。泰貞・晴賢・資俊
  ・国継・晴秀・廣資・以平等これを奉仕す。大納言家(御衣冠)祭庭に出向せしめ給
  う。御座を泰貞の座上二丈ばかりの外に敷き、御都状の御位署御自筆を加えらると。
  美濃の前司親實これを奉行す。
 

3月24日 己未 陰晴不定 [平戸記]
  或る人来たり語りて云く、昨日臨時祭の陪従経尚年来訴訟有り。而るに裁許無きの間、
  逐電跡を暗ますの間、使に付け住宅を壊さる。然れどもその身関東方に向かいをはん
  ぬと。太だその詮無し。仍って和琴役闕如す。
 

3月30日 乙丑
  諸人問注の事、奉行人に差せらるの処、一方遁避の由の間その聞こえ有るに依って、
  自今以後奉行人に相触れ交名を注すべし。彼の状に就いて、誡めの沙汰有るべきの由
  仰せ出さる。加賀民部大夫これを奉行す。