7月1日 癸巳 天霽
日蝕現ず。
7月5日 丁酉 天霽
前の大納言家(頼経)、久遠壽量院に於いて御素懐を遂げらる。御戒師は岡崎僧正(成
厳)、御剃手は師僧正、指燭は院圓法印なり。讃岐の守親實(束帯)この事を奉行せ
しむと。これ年来御素懐の上、今年の春彗星・客星の如き変異を示し、また御悩等重
疉するの間、思し食し立ち給うと。
[百錬抄]
前の大納言頼経卿出家すと(法名行智)。
7月6日 戊戌 天晴
将軍家御方違えの為若狭の前司泰村の家に渡御す。御騎馬なり。供奉人皆歩儀たり。
これ入道大納言家御所を将軍家に譲り奉らしめ給うの間、来十日御厩侍北の対を建て
らるべし。西方に当たるに依って、秋節を違えしめ給わんが為なり。泰村の家御所よ
り北方なりと。
7月13日 乙巳
武州御第に於いて四角四方・鬼気等の祭を行わると。
[百錬抄]
僧事を行わる。實賢僧正に任じをはんぬ。去る一日、日蝕御祈りの御勧賞なり。
7月16日 戊申
月蝕正見す。
[百錬抄]
月蝕なり。正現。
7月19日 辛亥
幕府に於いて六字供を修せらる。大納言法印隆弁これを奉仕すと。
7月20日 壬子
御所修理の後御移徙、儀式に及ばず、今夜内々入御すと。
7月24日 丙辰
武州の第に於いて、法印(隆弁)如意輪供を修せらる。不例の気有るに依ってなり。
而るに勤修七箇日に当たり、忽ち少減を得しめ給うと。
7月26日 戊午 天晴
今夜武州の御妹(檜皮姫公と号す。年十六)将軍家の御台所として御所に参り給う。
近江四郎左衛門の尉氏信・小野澤の次郎時仲・尾藤太景氏・下河邊左衛門次郎宗光等
扈従す。これ厳重の儀に非ず。密儀を以て先ず御参、追って露顕の儀有るべしと。今
日天地相去日なり。自から先例有りと雖も殆ど甘心せざるの由、傾け申すの輩有りと
雖も、御許容に能わずこれを遂げらると。
7月30日 壬戌 天陰 [平戸記]
伝聞、一日比(後聞二十三日の事と。京中の人々多くこれを見ると)、太陽東西の嶺
より出逢う。人以て多くこれを見る。西日高く昇り漸く消えて見えずと。希代の事か。
延喜末三日出ると雖も、東日遅々に出るか。東西出逢うの條未曾有か。