1245年 (寛元3年 乙巳)
 
 

12月13日 甲戌
  子の刻地震。
 

12月16日 丁丑
  鷹狩りの事永く停止せらる。違犯の輩は後悔有るべし。但し神社の供祭物に於いては
  制限に非ず。また六齋殺生の事、重ねて諸国に仰せらる。但し神社有例の供祭に於い
  ては、制限に非ざるの由これを定めらると。
 

12月17日 戊寅
  悪党を籠め置く所々は収公せらるべきの由、諸国の守護人に仰せ出さると。
 

12月20日 辛巳
  午の刻大地震。
 

12月24日 乙酉 天晴
  明年正朔日蝕の事その沙汰有り。今日御祈り等を始行せらる。但馬の前司これを奉行
  す。
  入道大納言家の御祈り
    一字金輪護摩(卿僧正快雅)
    薬師護摩  (師僧正)
    日曜祭   (晴賢)
  将軍家の御祈り
    北斗護摩  (鶴岡別当法務定親)
    日曜       (前の縫殿の頭文元)
  若君御前の御祈り
    月曜供   (助法印珍譽)
    羅ゴ星祭  (廣資)
 

12月25日 丙戌 天晴
  松浦執行源授その身を召し籠めらる。上野入道日阿預かり守護する所なり。これ鶴田
  の五郎源馴と、肥前の国松浦庄西郷内佐里村・壱岐泊牛牧等相論の事に就いて、非據
  を授くの余り、馴を以て問註奉行人越前兵庫の助政宗に悪口せしむの由、無実を構え
  申すの間、證人に尋ねらるるの処、太田太郎兵衛の尉康宗・志村太郎入道寂圓誓状を
  進す。政宗に悪口せしめざるの由なり。仍って馴の領所に於いては、当知行に任せ相
  違すべからざるの旨仰せ出さると。中山城の前司盛時これを奉行す。