1246年 (寛元4年 丙午)
 
 

2月4日 甲子 天霽
  御台所御不例の間、但馬の前司定員の雑掌として御祈り等を行わると。
 

2月9日 己巳
  京都の使者参着す。去る月二十九日皇太子受禅(四歳)。丑の刻関白以下冷泉第より
  劔璽を持ち、春宮御所冷泉富小路に参らる。歩儀なりと。
 

2月10日 庚午
  午の刻鳶常の御所の内に入ると。
 

2月13日 癸酉 天晴
  大殿御上洛の事頻りに思し食し立つと雖も、旁々議有り、延引すと。仍ってその趣を
  仰せ出さると。今日久遠壽量院に於いて結縁の灌頂を行わると。

[百錬抄]
  御譲位已後、始めて閑院(遷幸一夜の儀なり)に行幸す。
 

2月15日 乙亥 天晴
  御台所御不例の事、頗るその煩い有り。御占いを行わるるの処、太だ不快なり。縡邪
  気の疑い有りと雖も、御灸等を加えらると。
 

2月16日 丙子 天晴
  御台所の御祈りとして、御所に於いて千度御祓いを行わる。晴茂・宣賢・晴貞・廣資
  ・泰房・晴憲・晴成・以安等これを奉仕す。
 

2月17日 丁丑 天晴
  御台所重ねて御灸有り。
 

2月18日 戊寅
  御台所御不例の事、今日発らしめ給わずと。
 

2月22日 壬午 天晴
  入道大納言家二所の御精進を始めしめ給う。七箇日の間御精進屋に御座有り。殊なる
  御願に依ってなりと。
 

2月28日 戊子 天晴
  二所御進発なり。越後の守・相模右近大夫将監・相模の八郎・太宰の少貳為佐・但馬
  の前司定員・備後の前司廣将・能登の前司光村以下数輩と。
 

2月29日 己丑 陰、未の刻雷鳴
  今日萩原の九郎資盛・同父遠直等、所領を召し放ちその身を召し置かる。これ悪党扶
  持の由、大胡の五郎光秀訴え申すの間、糺明せらるるの処、その過遁れ難きに依って
  なり。