1246年 (寛元4年 丙午)
 
 

4月3日 壬戌 天晴
  戌の刻月大奎を犯す。
 

4月5日 甲子 天晴
  連々天変出現の事、殊に驚き御沙汰有り、陰陽道の勘文を召さる。三河の前司教隆奉
  行すと。
 

4月8日 丁卯 天晴
  入道大納言家、御持仏堂に於いて供花を始めらる。常の御所より御持仏堂の廣庇に至
  るまで階を構えらる。それを蹈まんが為なり。女房並びに庇御出居の番衆等、結番に
  随い各々花を備うと。
 

4月14日 癸酉
  大殿並びに将軍家の御祈祷を始めらると。
 

4月17日 丙子 晴 [葉黄記]
  山門衆徒蜂起す。昨日制止の院宣を下さる。今日猶武家より両門跡に相触るなり。
 

4月19日 戊寅 天晴
  武州御不例の事危急の上、執権既に譲補の儀に及ぶの間、今日落餝せられをはんぬ(法
  名安楽)。大蔵卿法印良信戒師たりと。
 

4月21日 庚辰 [葉黄記]
  若宮(宗尊親王)着袴の御祈り。
 

4月23日 壬午 晴 [葉黄記]
  若宮御着袴、高雅奉行す。経時去る十九日出家すと。