1246年 (寛元4年 丙午)
 
 

7月1日 丁巳 天晴
  左親衛酒肴等を入道大納言家の御旅宿に進せらると。
 

7月2日 戊午 天晴
  午の刻地震。
 

7月5日 辛酉 天霽
  巳の刻地震。
 

7月11日 丁卯 天晴
  入道大納言家御帰洛。今暁進発せしめ給う。
  供奉人
   前の讃岐の守親實      前の石見の守能行
   前の隼人の正光景      山城入道元西
   信濃権の守         隼人太郎左衛門の尉光盛
   信濃右馬の允        高橋右馬の允光泰
   彌五郎右馬の允盛高     齋藤左衛門の尉清時
   籐四郎左衛門の尉秀實    十郎兵衛の尉
    以上、京都に祇候すべし。
   相模右近大夫将監時定    前の佐渡の守基綱
   前の太宰の少貳為佐     前の能登の守光村
   前の大隅の守忠時      前の筑前の守行泰
   主計の頭頼行        毛利蔵人経光
   下妻の四郎長政       大曽祢左衛門の尉長泰
   上野彌四郎左衛門の尉時光  宇都宮五郎左衛門の尉泰親
   駿河五郎左衛門の尉資村   肥前太郎左衛門の尉胤家
   武藤左衛門の尉景頼
    已上、路次の供奉ばかりなり。
  この外三室戸大僧正・宰相僧正以下高僧数輩、陰陽道の輩少々同心帰洛すと。
 

7月12日 戊辰 鮎澤
7月13日 己巳 木瀬河
7月14日 庚午 蒲原
7月15日 辛未 手越
7月16日 壬申 嶋田
7月17日 癸酉 懸河
7月18日 甲戌 池田
7月19日 乙亥 橋本
7月20日 丙子 豊河
7月21日 丁丑 矢作
7月22日 戊寅 萱津
7月23日 己卯 墨俣
7月24日 庚辰 垂井
7月25日 辛巳 馬場
7月26日 壬午 鏡
 

7月27日 癸未
  野路に着御す。昼の御宿なり。この所に於いて日暮れる。夜半に及び立たしめ給う。
  未の日御衰日たるに依ってなり。

[百錬抄]
  関東前の将軍入道大納言頼経上洛せらる。謀反の事に依って追い上げらるると。
 

7月28日 甲申
  寅の刻粟田口を経て御入洛と。

[葉黄記]
  今日寅の刻、入道将軍関東より重時朝臣の若松の宅(彼の朝臣閑放の地なり)に渡ら
  しめ給う。