1248年 (宝治2年 戊申)
 
 

4月1日 戊寅
  三嶋社の御精進始めなり。幕府に祇候する人数兼ねて定めらると。
 

4月3日 庚辰
  鶴岡の神事なり。然れども将軍家御参宮無し。相模右近大夫将監時定朝臣奉幣の御使
  たりと。
 

4月7日 甲申
  今夜盗人幕府に推参し、御厨子以下重宝を盗み取る。この事に依って、保の検断奉行
  人等、緩怠の罪過に処せらるべきの旨沙汰に及ぶと。
 

4月20日 丁酉
  三嶋の御納受に備えんが為、由比浦に於いて百番の小笠懸有り。これ将軍家の御願に
  依ってなり。
  射手十騎
   北條の六郎  尾張の次郎   武蔵の四郎  足利の三郎  城の三郎
   同九郎    上野の十郎   土肥の四郎  三浦の介   小笠原の三郎
 

4月29日 丙午
  鎌倉中の商人等その式数を定むべきの由、その沙汰有り。外記大夫倫長これを奉行す
  と。
 

4月30日 丁未
  常陸の国悪党蜂起の事、所々の訴訟出来す。仍って厳密の沙汰を致すべきの旨、直に
  完戸壱岐の前司に仰せ含めらると。