1248年 (宝治2年 戊申)
 
 

11月13日 丙辰
  左親衛難波の少将羽林を招請し対面せしめ給う。蹴鞠の事、門弟たるべきの由御約諾
  に及ぶ。
 

11月14日 [葉黄記]
  参院。関東の貢馬・貢金と。
 

11月15日 戊午
  陸奥の国留守所注し申して云く、去る九月十日津軽の海辺大魚死して浮かび寄る。人
  状の如しと。この事先規三箇度なり。皆吉事に非ざるの間、留守斟酌を存じ子細を申
  さざるの処、風聞の説に就いてこれを尋ね下さるるに依って、此の如しと。
 

11月16日 己未
  難波少将(香の狩衣)一巻の書(鞠の秘書)を左親衛の御方に持参す。御所望有るに
  依ってなり。親衛(浅黄の直垂)相逢わしめ給い、彼の書を覧る。羽林読み申す。未
  だ半巻に及ばざるの時親衛座を起ち、自ら金作の劔(長伏輪、錦の袋に納む)を取り
  羽林に授けしめ給う。羽林跪きこれを賜い、一拝し廊に退出し、共の青侍に与うと。
 

11月18日 辛酉
  山城の国悪党対治の事、奏聞を伺うべきの旨六波羅に仰せらるるか。諸国狼唳の事、
  尤も静謐の籌策を思うべきの由、評議を擬さるる所なりと。
 

11月23日 丙寅
  問注奉行人等雑務の稽古を閣き、酒宴・放遊を事として、訴人に面謁せず。證文の理
  非を見究めざるの間、評定の座に臨むの時、下問に預かる事等、答え申す所頗る停滞
  せしむ。然る如き輩に於いては召し仕うべからざるの由、普く相触るべきの趣、今日
  大田民部大夫・信濃民部大夫入道行然等に仰せ付けらると。
 

11月29日 壬申
  去年勲功の賞に募り所々を拝領する事、新地頭等に仰せ、本所・国司・領家の乃貢急
  速の沙汰を致すべき事、並びに臨時役を土民に宛て課すべからず。凡そ事毎に先司の
  例を守り、新儀の非法を停止すべきの由と。