1251年 (建長3年 辛亥)
 
 

7月4日 壬戌 半晴半陰、寒気猶止まず
  今日京都の飛脚到来す。去る月二十七日閑院遷幸を遂げらる。造内裡の賞、将軍家三
  品に叙せしめ給う。相州正下の五位に叙せらる。また彼の時参仕の公卿以下の参状並
  びに除書等これを持参すと。
   従三位藤原頼嗣      造閑院の賞
   従四位上藤原隆顕(父大納言藤原朝臣、造閑院行事の賞を譲る)
       藤原顕雅 同経俊 閑院行事の賞
   正五位下平時頼      造国司の賞
    建長三年六月二十七日
   従三位藤原頼嗣      左中将元の如し
   左大史小槻淳方 
   左衛門少尉中原章職
    已上行事の賞追って申請すべし
   左大将定雅   右大将公相     萬里小路大納言公基 権大納言實雄
   三條大納言公親 今出川新大納言實藤 一條中納言公持   別当通成
   花山院権中納言師継  新中納言   佐宰相       新宰相
   松殿三位中将  左兵衛の督     中御門三位侍従   佐三位
   新宰相
    左近
   近衛中将實春  高倉中将公陰  左中将基雅    持明院少将相保
   三條新少将守資 八條少将公益  近衛新少将公春
    右近
   九條中将能定  右中将伊頼   揚梅少将経忠   三條少将伊基
   揚梅新少将忠資 右少将資氏   高倉少将茂通   小野宮少将俊具
   法性寺少将雅任
    左衛門
     権佐
    右衛門
     権佐
    左兵衛
   佐親朝     権佐行時
    右兵衛
   佐高望
    左馬
   権頭景氏
    右馬
   権頭伊信    権助経衡
    鈴奏
   籐少納言基時
    反閇
   陰陽頭良光朝臣
    出車
   近衛源少将賢時
    丹波守
   丹波守少将頼親
 

7月8日 丙寅 天晴、風静まる
  今日相州室産所より本里の亭に帰住せしめ賜うと。また将軍家三品に叙せしめ賜うの
  後、事更政所に於いて御下文を成すと。
 

7月10日 戊辰
  今日の評定、奴婢子十歳夫婦同居を過ぎると雖も、年紀に依らざるの由定め下さる。
  これ青木入道の所従の事に依ってなり。
 

7月18日 丙子 天陰、雪降る
  奥山本三嶋の社勧請し奉らせしめんが為、その地を卜い賜うと。
 

7月20日 戊寅
  諸国民間の訴訟出来するに於いては、西収以前、召符下すべからざるの旨、今日政所
  ・問注所等に仰せらると。
 

7月26日 甲申 天晴、夕雨下り雪下る
  三島新宮上棟の儀有りと。
 

7月30日 戊子 雨降る
  凡そこの間風雨日を渉る。風災を攘い西収豊稔有らしめんが為、風伯を祭り奉仕すべ
  きの由、これを陰陽道に仰せ銜めらると。諏方兵衛入道蓮佛奉行たりと。