1251年 (建長3年 辛亥)
 
 

10月7日 癸亥 天晴
  薬師堂谷焼亡す。二階堂に延び、大略南宇佐美判官荏柄の家に到ると。
 

10月8日 甲子
  戌の刻、相州新造の御第(小町)に御移徙。
 

10月13日 己巳
  貢馬見参す。奥州以下の出仕例の如しと。
 

10月19日 乙亥 天顔快晴
  将軍家並びに二品、相州新造の御第に入御す。今夜御止宿なり。
  供奉人
  将軍の御方
   前の右馬権の頭    武蔵の守       相模右近大夫将監
   陸奥掃部の助     上野の前司      新田三河の前司
   小山出羽の前司    内蔵権の頭      和泉の前司
   後藤壱岐の守     佐々木壱岐の前司   大隅の前司
   薩摩の前司      伊賀の前司      城の九郎
   大曽彌左衛門の尉   遠江二郎左衛門の尉  三浦の介
   遠江六郎左衛門の尉  和泉次郎左衛門の尉  肥後次郎左衛門の尉
   豊後四郎左衛門の尉  彌次郎左衛門の尉   薩摩七郎左衛門の尉
   伊豆太郎左衛門の尉  田中左衛門の尉    常陸二郎兵衛の尉
   武藤次郎兵衛の尉   狩野五郎左衛門の尉  摂津新左衛門の尉
   壱岐新左衛門の尉   善右衛門の尉     足立太郎左衛門の尉
  二品の御方
   備前の前司      遠江の前司      越後の五郎
   武蔵の四郎      陸奥の四郎      秋田城の介
   同次郎        出羽の前司      下野の前司
   遠山前の大蔵少輔   梶原右衛門の尉    大曽彌次郎左衛門の尉
   出羽次郎左衛門の尉  隠岐新左衛門の尉   同四郎左衛門の尉
   彦次郎左衛門の尉   出雲五郎左衛門の尉  阿波四郎左衛門の尉
   土肥左衛門四郎    小野澤の次郎     彌善太左衛門の尉
   三村新左衛門の尉   紀伊五郎左衛門の尉  伊勢加藤左衛門の尉
   山城次郎左衛門の尉
 

10月20日 丙子
  将軍家並びに二品、相州の御第より還御す。亭主御引出物等これを献らしめらると。
  今夜太白驚鬼に輿す。占文に云く、大将軍廃すと。
 

10月21日 丁丑 天晴、北風厳しく、寒気殊に甚だし
  今日相州新誕の若公五十日・百日の儀これ有りと。
 

10月23日 己卯
  丑の刻雷鳴一声。地震両度と。
 

10月29日 乙酉
  奥州・相州並びに評定衆等、幕府より別して御所の艮に参り、ただ評定所の屋建てら
  るべきの由その沙汰有り。陰陽道の輩に尋ねらるるの処、丑寅の方遊年なり。今年中
  不快の由勘じ申すに依って、その儀を止めらると。