1251年 (建長3年 辛亥)
 
 

11月12日 丁酉
  戌の刻将軍家御方違えとして奥州の第に入御す。前の右馬権の頭・武蔵の守・遠江の
  守以下供奉す。相州参り儲けらると。これ明年小御所を建てらるべし。その地南方た
  るの間、太白方に当たるに依ってなり。また日来御寝所を改め他処を用いらるべしと。
 

11月13日 戊戌
  戌の刻禅定二位家御移徙の儀有り。亀谷新造の御第に入御す。御輿を用いらる。散位
  廣資朝臣反閇に候す。禄(二衣)を賜う。右近大夫仲親これを役す。
  扈従(直垂・立烏帽子)
   武蔵の守       尾張の前司     遠江の前司
   陸奥掃部の助     相模右近大夫将監  北條の六郎
   越後の五郎      武蔵の四郎     内蔵権の頭
   安藝の前司      小山出羽の前司   出羽の前司
   和泉の前司      越中の前司     長門の前司
   大隅の前司      伊賀の前司     内藤肥後の前司
   出雲の前司      伊勢の前司     上野三郎兵衛の尉
   梶原右衛門の尉    和泉二郎左衛門の尉 信濃四郎左衛門の尉
   伊賀二郎左衛門の尉  大須賀左衛門の尉  肥後二郎左衛門の尉
   葛西新左衛門の尉   出羽二郎左衛門の尉 豊後四郎左衛門の尉
   下野の七郎      城の三郎      佐々木壱岐の三郎
 

11月14日 己亥 天晴
  寅の刻太白鎮星に迫り犯す。

[百錬抄]
  准后従一位藤原淑子(法性寺禅定太閤北政所、入道太政大臣公経公の女)薨す。
 

11月15日 庚子 天霽
  大菩薩の御影を以て、鶴岡の別当坊に入れ奉り、勧請すと。
 

11月18日 癸卯 雨降る
  京都の飛脚到着す。去る十四日酉の刻准后(将軍家御祖母、御年六十一)遷化す。日
  来不食の由を申す。
 

11月22日 丁未
  伊勢の前司行綱使節として上洛す。准后の御事に依ってなり。将軍家より龍蹄以下の
  餞物を給うと。
 

11月27日 壬子
  諏方の三郎盛綱相州の御使として上洛す。これまた准后御訪いの事なり。
 

11月29日 甲寅 天晴
  相州の御第に於いて大般若経を信読せらる。関東安全の御祈りなり。