1253年 (建長5年 癸丑)
 
 

5月2日 己卯 天晴
  秋田城の介義景喘息・脚気・不食等所労計会すと。少減を得るの間、今日沐浴に及ぶ
  と。
 

5月4日 辛巳
  今年の端午は良辰の壬午に当たる。必ず御謹慎有るべきに依って、御勘文(故諸陵頭
  賀茂時定撰ぶ)一通並びに三種の神符の御護り等、仙洞より密々進せらる。これ則ち
  黄帝の秘術なり。去る夜女房中に到来し、今朝内々進覧すと。
  勘文に云く、
    五月五日、丙午壬午ニ当たる年、端午の神符の御護りつくりて懸レハ、命百年ヲ
    たもつ事
   右本文に云く、五月五日丙午壬午ニ当ル年、赤紙ヲ持ちて神符ヲ作りて懸レハ、寿
   命百歳なり。件の神符ト云ハ三種なり。一ニハ辟兵符、この符ヲ懸レハ、鉾矢の難
   を逃がれ、敵人ヲ亡シ、我身ニ向う者ハ自ずから亡ぶ。二ニハ破敵符、この符ヲ懸
   レハ、敵人アエトモヲコラス。縦え弓箭刀兵我身ニ向かヘトモ害ヲナスコトナシ。
   皆悉クくたけおる。三ニハ三台護身符、この符ヲ懸レハ、三災九厄の病難ヲノソク。
   三災トハ盗賊・疾病・飢饉なり。この三難ニアエトモ一切恐れ無し。皆悉く消除し
   をはんぬ。九厄トハ諸ノ厄難をのぞく事なり。凡そこの三種ノ神符ヲ造りテ懸レハ、
   短命ノ者は命ヲ百年のへ、敵人アル物ハ敵人ヲ亡シテ我身ハツヽカナシ。諸ノ厄難
   ニアイタラン人は、厄難ヲ消除シ禍殃ヲシリソケ百病ヲ除ク。これ等ノ災難ヲ除ク
   コト、この神符ノ力ニはしかじ。故ニ先例皆この日ニ当ルコトニ、これ等ノ符ヲ書
   テ御護りに用ひらる。今年の五月五日すでに壬午に当ル。仍って先例に任せ公家行
   わる。眞ニ尤もこの符ヲ懸ケサセ給テ、百年ノ御寿命ヲ持ち給うべく候。仍って注
   進件の如し。
     四月日
 

5月5日 壬午
  鶴岡臨時祭なり。越後右馬の助時親御使として奉幣せしむと。今日御所に於いて和歌
  の御会有りと。
 

5月13日 庚寅 天晴
  夜に入り秋田城の介義景素懐を遂ぐ(法名願智)。若宮の僧正戒師たり。剃手は圓勇。
  大曽彌彌四郎左衛門の尉・同五郎兵衛の尉脂燭を取ると。
 

5月16日 癸巳 晴
  権少僧都最信、勝長寿院別当職に補す。
 

5月21日 戊戌 霽
  この間炎旱なり。仍って祈雨の為霊所御祓いを行わる。申の刻小雨灑ぐ。
 

5月23日 庚子 晴
  鶴岡八幡宮破壊の間修理を加えらる。今日仮殿事始めなり。また上棟有り。今日勝長
  寿院前の別当前の権僧正良信入滅すと(年八十一)。炎旱、祈雨の事、阿闍梨道禅・
  定清・尊家・観源・良基に仰せらる。