1253年 (建長5年 癸丑)
 
 

4月3日 庚戌 晴
  申の刻雷鳴、雨降る。地震。
 

4月17日 甲子 [百錬抄]
  内大臣(公相)着陣す(左大将に転ずる後)。
 

4月20日 丁卯 雨降る
  右大将公基卿、賀札を将軍家に奉らる。今日祭の除目に幕下を拝任すと。兄弟相並ぶ
  事、先規僅かに一両度か。
 

4月25日 壬申
  西国の守護・地頭の御家人の輩六波羅の命に背かば、注進せしむに就いて、殊に御沙
  汰有るべきの由仰せ遣わさると。
 

4月26日 癸酉 天晴
  相州日来七仏薬師像を造立せられ、今日供養の儀有り。両息の御祈請と。若宮の僧正
  隆弁導師たりと。また信濃の国善光寺の修造、供養を遂げらる。導師は大夫堅者維真
  (当寺学頭)、檀那は陸奥の守重時。観養坊をして勧進せしむ。

[百錬抄]
  右大将公基卿拝賀なり。