1253年 (建長5年 癸丑)
 
 

10月1日 丙午 晴
  今日奴婢雑人の事法を定めらる。田地に付いて百姓の子息・所従等を召し仕う事、年
  序を経ると雖も、宜しく彼の輩の意に任すべし。また新制法を施行せらる。今日以後
  固くこの旨を守り、違犯すべからざるの由仰せ下さるる所なり。就中法家の女房装束
  の事、五衣練貫以下の過差停止すべしと。

[鎌倉幕府法]
  諸国郡郷庄園の地頭代、且つは存知せしめ、且つは沙汰を致すべき條々、
   一、重犯(山賊・海賊・夜討ち・強盗)の事、
   一、殺害(付刃傷)人の事、
   一、竊盗の事、
   一、放火人の事、
   一、牛馬盗人・人勾引等の事、
   一、土民身代を取り流す事、
   一、諍論の事、
   一、土民去留の事、
   一、博奕の輩の事、
   一、奴婢相論の事、
   一、他人の妻に密懐の罪科の事、
   一、撫民を致すべき事、
   一、起請文を書かしむ間の事、
    建長五年十月一日
 

10月2日 丁未
  若宮別当僧正隆弁上洛す。如意寺興隆の為なりと。
 

10月11日 丙辰
  利売直法を定めらる。その上押買の事、同じく固く禁制せらる。小野澤左近大夫入道
  ・内島左近将監盛経入道等奉行たり。
  薪馬蒭直法の事
   炭一駄代百文      薪三十束(三把別百文) 萱木一駄(八束代五十文)
   藁一駄(八束代五十文) 糠一駄(俵一文代五十文)
  件の雑物近年高直にて法に過ぐ。商人に下知すべしてえり。また和賀江津材木の事、
  近年不法の間、造作に用い難きに依って、その寸法を定めらる。所謂榑長分八尺・若
  くは七尺、不足せしめばこれを点定せしめ、奉行人子細を申すべきの由と。以下これ
  を略す。今日六波羅に仰せ遣わさるる事有り。諸国庄保の新地頭等所務の事、先々の
  下知に任せ、非法を致すべからざるの旨と。

[鎌倉幕府法]
   諸国本新地頭所務の事、
  右、地頭所務は、年記に依るべからず。押領の後、年序を経ると雖も、且つは往昔の
  由緒に任せ、且つは本司の跡を追い、沙汰を致し、新儀の非法有るべからず。新地頭
  は率法を守るべきの由、平均に度々下知を加えて式目に載せられをはんぬ。而るに本
  地頭に補せらるるの輩、本司の例に背き、武威を募り無道を巧み、張行を致すと。甚
  だ以て自由なり。地頭職を賜うと雖も、何ぞ旧古の由緒に背き、領家国司の所務を押
  妨せしむべきや。但し本司の跡に於いては、郷保に随い庄園に依り所務格別なり。一
  様に非ず。或いは開発領掌の地たるに依って、本年貢を備進せしむの外、惣領の下地
  に於いては、一向本司これを進退す。或いは自名知行の外は、惣領地本に相寄らざる
  所これ多しと。所詮、本司所務の例、先規の由緒を考え、沙汰を致すべきの処、地頭
  名字を仮り、往代の所務を掠め新儀を構え、本地頭の例と称し押領を致すの條、甚だ
  以て無道なり。縦え本地頭非分張行すと雖も、以往の例を顧みず、式目に違背せしめ、
  爭か新儀の沙汰を致すべきや。次いで新補地頭は、率法に任せ、限り有る給分加徴の
  外、地本管領に及ぶべからざるなり。自今以後は、固くこの旨を守り、非法の沙汰を
  致すべからず。もし濫妨の輩出来せば、交名の注進に依り、所職を改替せらるべきの
  由、下知を加うべきの状、仰せに依って執達件の如し。
    建長五年十月十一日       相模の守
                    陸奥の守
    陸奥左近大夫将監殿
 

10月13日 戊午
  西国の庄園郷保の地頭等所務の事、本司の法を守り、地頭須く沙汰を致すべきの処、
  過分の押領を致すの條、その謂われ無きの由御沙汰有り。仍ってこの趣を以て触れら
  るべきの旨、今日六波羅に仰せ遣わさるる所なり。今夜戌の刻月に五色笠在り。将軍
  家これを覧て驚き思し食さるるの処、変異に非ざるの由、司天等これを申す。
 

10月19日 甲子 快晴
  貢馬御覧。奥州・相州並びに評定衆水干・葛袴を着し、南庭に列座す。
 

10月23日 戊辰
  伊達の八郎小侍の番帳に入る。