3月7日 庚辰 天晴
相州能書を撰び、日来大般若経を書写せらる。今日鶴岡宮寺に於いて供養を遂げらる。
導師は別当僧正と。即ち僧正参籠しこれを転読せしむと。また如意寺造営勧進の事、
相州以下奉加せしめ給う。去る月二十八日評定に於いてその沙汰有りと。
3月12日 乙酉
善波の太郎入道の子息又次郎小侍所衆に召し加えらる。別の仰せに依ってなり。景頼
の奉行として奉行人に相触ると。
3月16日 己丑
掃部の助實時の母儀卒去すと。
3月20日 癸巳
小侍所の事、陸奥の彌四郎時茂奉行せしむべきの由これを仰せ下さる。陸奥掃部の助
重服の程なり。
3月24日 丁酉 晴
戌の刻二星合(金木相並ぶこと八寸の所。金は北、木は南)。
3月26日 己亥 霽
金木変の事、廣資朝臣消するの由を申す。始め犯消し、雨の後遊犯す(二十五日)。
家説に出現すと雖も消せりと為すと。傍輩等これに同ぜず。出羽の前司行義・和泉の
前司行方等奉行としてこれを申す。
3月29日 壬寅 晴
二星合の変御祈祷を行わるべきの由、政所に仰せ下さる。天地災変は前の大膳の亮為
親朝臣、三万六千神は前の陰陽大允晴茂朝臣、属星は陰陽少允晴宗等なり。