1258年 (正嘉2年 戊午)
 
 

4月10日 [百錬抄]
  百也子落書。良喜僧都六波羅に渡さる。官人章種・章澄相具しこれに向かう。
 

4月17日 丙申 [百錬抄]
  今暁卯の刻、天台衆徒日吉神輿三基(八王子・十禅師・客人)を舁き奉る。これ園城
  寺申す戒壇の事宣下せらるべきが故と。
 

4月19日 戊戌 晴
  未の刻勝長寿院の三重塔・一切経蔵等上棟。将軍家密々入御す(女房輿を用いらる)。
  土御門中納言予め祇候す。前の武州・相州等追って参入せらる。出羽の前司・下野の
  前司・秋田城の介已下参会の人済々焉たり。工匠等(布衣)本堂前に列居す。大工御
  馬二疋(一疋鞍を置く)・御衣(三衣)等を給う。引頭並びに長等一疋(鞍置き)・
  一領を給う。薄暮に及び還御す。
 

4月21日 庚子 晴
  京都の飛脚到着す。申して云く、去る十七日卯の刻日吉神輿(三基)を縫殿陣頭に振
  り奉る。警固の輩諸門を鎖すの間、御正躰を取り築垣内に投げ入る。これ園城寺戒壇
  の事勅許有るべきに依ってなり。
 

4月22日 辛丑
  申の刻地震。
 

4月25日 甲辰 小雨灑ぐ
  勝長寿院の塔九輪を上ぐ。今日相模の三郎時利(十一歳)小山出羽の前司長村の娘を
  嫁す。
 

4月26日 乙巳 霽
  勝長寿院並びに諸堂等棟を裹む。五月節に入るの間、面々松明を取りこれを沙汰す。
  暁更に及びその功を終う。前の武州監臨せらる。