1258年 (正嘉2年 戊午)
 
 

6月1日 己卯 小雨降る
  将軍家還御の後、和泉の前司行方勝長寿院供養日の供奉人の散状を進す。前の武州御
  所に奉らるるの処、猶人数を催加すべきの由仰せ下さるるの間、その旨を越後の守に
  相触れらると。
 

6月2日 庚辰 霽
  越後の守武州の命に依って、四日の供奉人加増の散状を御所に持参す。土御門黄門を
  以て人数の用捨並びに行列の事を伺い申すの処、用捨に於いてはこれを計り下さる。
  行列に至りては武州の計たるべきの由仰せ下さる。越州東亭に帰参しこの由を申す。
  而るに猶伺い申すべきの旨命ぜらるるに依って、越州またこの趣を披露すと雖も、御
  返事同前なり。仍って相州・武州・越州行列を進定せしめこれを進め入る。但し御所
  の御計たるの由、供奉人等に仰せらるべきの趣、武州密々仰せらると。
 

6月3日 辛巳
  上野の三郎国氏明日御出の随兵に差し定めらるるの処、所労に依って障りを申すと。
 

6月4日 壬午 天晴、風静まる
  今日勝長寿院供養なり。曼陀羅供、大阿闍梨は松殿法印良基。
  職衆三十口
   権大僧都定宗 権少僧都寛位 権少僧都聖尊 権少僧都定憲 権少僧都慈暁
   権少僧都浄禅 権少僧都印教 権律師尋快  権律師成遍  権律師頼承
   権律師良明  権律師浄宴  権律師圓審  権律師禅遍  権律師定寶
   権律師信成 ・権律師頼承  権律師良顕  権律師定撰  権律師慶尊
   法橋宗信   已講能海   阿闍梨尊審  阿闍梨行秀  阿闍梨禅信
   阿闍梨禅尊  大法師定宣  阿闍梨源重  大法師圓全  大法師定融
  御願文の草は右京権大夫茂範朝臣、清書は左大臣法印厳恵、法会奉行は参河の前司教
  隆(布衣・下括り)・刑部権の少輔政茂(束帯)。各々払暁院内の会場を餝る。巳の
  刻将軍家渡御す(御束帯・紫袍・御帯劔)。
  供奉人行列
  先陣の随兵
   武田の五郎三郎政綱   小笠原の六郎三郎時直  長井の太郎時秀
   備前の三郎長頼     新相模の三郎時村    武蔵の五郎時忠
   陸奥の七郎業時     相模の三郎時利     遠江の七郎時基
   陸奥の六郎義政
  御車
   隠岐次郎左衛門の尉時清 周防五郎左衛門の尉忠景 肥後四郎左衛門の尉行定
   山内三郎左衛門の尉通廣 肥後左衛門の尉為成   平賀の新三郎惟時
   善左衛門次郎盛村    大曽彌左衛門太郎長頼  狩野左衛門四郎景茂
   大泉の九郎長氏
    已上直垂を着し帯劔、御車の左右に候す。
  御調度 武藤左衛門の尉頼泰
  御後
   越後の守實時      中務権大輔家氏     刑部少輔教時
   左近大夫将監公時    民部大輔時隆      下野の前司泰綱
   出羽の前司長村     秋田城の介泰盛     石見の前司能行
   和泉の前司行方     壱岐の前司基政     対馬の守氏信
   信濃の守泰清      周防の守忠綱      石見の守宗朝
   修理の亮久時      小野寺新左衛門の尉行通 筑前四郎左衛門の尉行佐
   式部太郎左衛門の尉光政 山内籐内左衛門の尉通重 紀伊次郎左衛門の尉為経
   鎌田次郎兵衛の尉行俊
  後陣の随兵
   城四郎左衛門の尉時盛  阿曽沼の小次郎光綱   相馬五郎左衛門の尉胤村
   千葉の七郎太郎師時   淡路又四郎左衛門の尉宗泰 武石三郎左衛門の尉朝胤
   加藤左衛門の尉時景   常陸次郎兵衛の尉行雄  肥後左衛門の尉政氏
   長江の八郎四郎景秀
  政所前に到り、式部太郎左衛門の尉光政落馬す。仍って供奉に及ばず私に帰る。また
  筑前左衛門の尉行佐行列の図に背き左に遷る(図、左小野寺左衛門の尉行通、右行佐
  なり)。山内籐内左衛門の尉通重、鎌田兵衛の尉行俊に相並ばずして打馬を引き下る。
  次いで勝長寿院大門に於いて御車を税き下り御う。土御門中納言御簾をカカぐ。花山
  院宰相中将御傍らに候す。中務権大輔家氏御搨を役す(手長は鎌田次郎兵衛の尉行俊)。
  左近大夫将監公時御沓を進す(手長は小野寺新左衛門の尉行通)。黄門御裾を取る。
  越後の守實時御劔を役す。去年大慈寺供養の時、雲客等御下車所に参会す。先例と雖
  も、今度その儀を止めらるるの間、両卿の外この所に参らず。先陣の随兵御所に対し
  東の幔下に居る。入御の後、後陣の随兵同幔の北に候す。殿上人等楽屋前に候す。諸
  大夫本堂前に候す。御堂上がりの間、相州・武州仏前の階下に下居し給う。また黄門
  御劔・御笏を参進す。その後供養。五位・六位庭上に候す(弥勒堂前より塔の前に至
  り、各々床子を用ゆ)。直垂を着す六位等御所前の階下に群居す。大夫判官行有・大
  夫判官廣綱・隠岐判官行氏等寺門を守護す。午の刻大阿闍梨参入す。執蓋は小山太郎
  左衛門の尉、執綱は越中の前司頼業・長門の前司時朝なり。職衆等皆導師の前に列び
  立つ。次いで道場に入る。御経供養の後、御布施を引かる。
  導師
   被物三十一重(錦一重・綾二十重・色々十重)・裹物一(織物を以てこれを裹む。
   紺村濃十五を納む)・砂金百両・御馬十疋(皆銀の鞍を置き、厚総の鞦を懸く)・
   供米二十石
  御加布施 銀劔一腰
  職衆三十口々別 銭貨一萬五千疋
  御布施取り
   土御門中納言顕方卿   六條二位顕氏卿     花山院宰相中将長雅卿
   二條三位教定卿     刑部卿宗教卿      一條中将能基朝臣
   前の右衛門の佐重氏朝臣 一條前の少将能清朝臣  坊門中将基輔朝臣
   籐少将實遠朝臣     中御門中将公寛朝臣   中御門少将實齊朝臣
   冷泉少将隆茂朝臣    中御門前の侍従宗世朝臣 前の兵衛の佐忠時朝臣
   中御門新少将光隆朝臣  刑部権の少輔政茂    二條侍従雅有
   近衛少将實永      一條少将定氏     (堂童子)伊賀の前司光清
  (堂童子)近江の前司季實 押立左近大夫資能    赤塚左近蔵人資茂
  次いで御馬十疋を引かる。
   一の御馬 肥後次郎左衛門の尉為時   同三郎左衛門の尉為成
   二の御馬 善五郎左衛門の尉康家    同次郎左衛門の尉康有
   三の御馬 薩摩七郎左衛門の尉祐能   同八郎左衛門の尉
   四の御馬 周防三郎左衛門の尉忠行   同四郎左衛門の尉忠泰
   五の御馬 梶原上野太郎左衛門の尉景綱 同三郎左衛門の尉景氏
   六の御馬 大須賀新左衛門の尉朝氏   同左衛門四郎
   七の御馬 筑前次郎左衛門の尉行頼   同五郎行重
   八の御馬 上総太郎左衛門の尉長経   同三郎左衛門の尉義泰
   九の御馬 伊勢次郎左衛門の尉行経   信濃次郎左衛門の尉行宗
   十の御馬 後藤壱岐左衛門の尉基頼   同次郎基廣
 

6月5日 癸未 霽
  筑前四郎左衛門の尉行佐・山内籐内左衛門の尉通重等出仕を止めらる。これ昨の御出
  路次供奉の間、定め下さるるの旨に背き、濫吹の事有るに依ってなり。
 

6月9日 丁亥
  来十一日最明寺殿に入御有るべきに依って、今日供奉人を催せらるる所なり。尾張左
  近大夫将監(去る四日より所労)・小野寺新左衛門の尉(灸治)、両人ばかり障りを
・ 申す。その外信奉しをはんぬるの後、駿河右近大夫は廂の右なり。此の如き供奉の散
  状進覧すべきの由、和泉の前司行方内々越後の守に触れ申すの処、已前すでに披露し、
  御点を下され、治定するの上は左右に能わざるの由を称す。これを加えられずと。
 

6月11日 己丑 晴
  未の刻将軍家山内最明寺の御亭に入御す。
  供奉人
   土御門中納言   花山院宰相中将  相模の太郎     越後の守時弘
   刑部少輔教時   相模の三郎時利  陸奥の六郎義政   同七郎業時
   新相模の三郎時村 遠江の七郎時基  武蔵の五郎時忠   参河の前司頼氏
   和泉の前司行方  秋田城の介泰盛  後藤壱岐の前司基政 内蔵権の頭親家
   武藤少卿景頼
    已上騎馬
   城四郎左衛門の尉時盛  同六郎顕盛       信濃次郎左衛門の尉時清
   大曽彌左衛門太郎    上総三郎左衛門の尉義泰 周防五郎左衛門の尉忠景
   薩摩七郎左衛門の尉祐能 肥後三郎左衛門の尉為成 武藤左近将監兼頼
   鎌田三郎左衛門の尉義長 常陸次郎兵衛の尉行雄  鎌田次郎兵衛の尉行俊
   大泉の九郎長氏
    已上歩行
 

6月12日 庚寅 陰、夕雨降る
  山内に於いて遠笠懸有り。刑部少輔教時・相模の三郎時利・新相模の三郎時村・武蔵
  の五郎時忠已下十騎これを射る。
 

6月13日 辛卯 雨降る。巳の刻晴に属く
  今日最明寺に於いて競馬有り。
 

6月14日 壬辰 晴
  申の刻将軍家山内より還御す。
 

6月17日 乙未
  来八月鶴岡の放生会御参宮供奉人の事、御点を申し下さんが為、昨日小侍所より、例
  の如き惣人数を注し、武藤少卿景頼に付けらるるの処、所労と称し返し遣わすの間、
  今日武州に付け進せらる。早く申し沙汰すべきの旨領状すと。その記の書き様、
   相模の太郎    同三郎      武蔵の前司    同左近大夫将監
   同五郎      尾張の前司    同左近大夫将監  遠江の前司
   同右馬の助    越後の守     陸奥の六郎    同七郎
   新相模の三郎   中務権大輔    刑部少輔     遠江の七郎
   足利上総の三郎  越前の前司    備前の三郎    越後右馬の助
   駿河の四郎    同五郎      越後の又太郎   民部権大輔
   前の太宰の少貳  小山出羽の前司  畠山上野の前司  同三郎
   出羽の前司    同三郎左衛門の尉 同七郎      丹後の守
   秋田城の介    同三郎      同四郎左衛門の尉 同六郎
   和泉の前司    同三郎左衛門の尉 上総の介     同太郎左衛門の尉
   同三郎左衛門の尉 下野の前司    同四郎      尾張権の守
   武藤少卿     同次郎左衛門の尉 越中の前司    同四郎左衛門の尉
   伊賀の前司    石見の守     後藤壱岐の前司  同新左衛門の尉
   大隅の前司    同修理の亮    日向の守     周防の守
   同三郎左衛門の尉 同五郎左衛門の尉 対馬の守     内蔵権の頭
   新田参河の前司  梶原上野の前司  同太郎左衛門の尉 同三郎左衛門の尉
   江石見の前司   長門の前司    同三郎左衛門の尉 信濃の守
   筑前の次郎左衛門の尉  同四郎左衛門の尉    三浦遠江新左衛門の尉
   三浦の介六郎左衛門の尉 那波刑部少輔      長井判官代
   千葉の介        摂津大隅の前司     縫殿の頭
   式部太郎左衛門の尉   同兵衛次郎       武石三郎左衛門の尉
   風早の太郎       太宰次郎左衛門の尉   阿曽沼の小太郎
   千葉の七郎太郎     上野五郎左衛門の尉   小田左衛門の尉
   河越の次郎        大曽彌左衛門太郎    相馬次郎兵衛の尉
   同五郎左衛門の尉    後藤次郎左衛門の尉   土肥左衛門四郎
   武藤左近将監      鎌田次郎兵衛の尉    淡路の又四郎
   出羽彌籐次左衛門の尉  伊東八郎右衛門の尉   小野寺新左衛門の尉
   鎌田三郎左衛門の尉   足立太郎左衛門の尉   同三郎
   天野肥後新左衛門の尉  田中左衛門の尉     茂木左衛門の尉
   常陸太郎左衛門の尉   同八郎左衛門の尉    同修理の亮
   佐々木孫四郎左衛門の尉 薩摩七郎左衛門の尉   同九郎
   伊勢次郎左衛門の尉   内藤肥後六郎左衛門の尉 大須賀新左衛門の尉
   同四郎         式部六郎左衛門の尉   伊東六郎左衛門次郎
   塩屋周防兵衛の尉    善右衛門の尉      同五郎左衛門の尉
   狩野五郎左衛門の尉   武田の五郎三郎     小笠原の六郎三郎
 

6月18日 丙申
  武州供奉人の御点を申し下し、越後の守の許に遣わさる。牧野太郎兵衛の尉中使たり
  と。右御点は布衣、左長点は随兵、短点は帯劔と。
 

6月19日 丁酉
  放生会供奉人の事、始めて催せらると。
 

6月24日 壬寅 霽
  近日寒気有り。冬天の如し。