1258年 (正嘉2年 戊午)
 
 

12月9日 甲申
  鶴岡八幡宮に於いて諸神供養の音楽を修せらると。
 

12月10日 乙酉
  主従敵対の事、自今以後は、理非を論ぜず御沙汰有るべからざるの旨これを定めらる。

[多田院文書]
   嘉禄元年より仁治三年に至る御成敗の事
  右、自今以後に於いては、三代将軍並びに二位家御成敗に准え、改めの沙汰有るべか
  らずと。故武蔵の前司入道殿申し沙汰候所てえり。嘉禄元年より仁治三年に至る御成
  敗、改めらるべからざるの由、今日(十日)御評定候。式目奥に書き載せられ候。案
  文書き進せしめ候。御存知有るべく候や。恐々謹言。
    正嘉二年十二月十日       武蔵の守御判
   陸奥左近大夫将監殿
 

12月12日 丁亥
  寅の刻雷鳴。
 

12月14日 [北條九代記]
  長時従五位上に叙す。
 

12月16日 辛卯 天晴
  寅の刻地震。巳の刻雷鳴数度に及ぶ。
 

12月19日 甲午
  諸方の番帳等清書を加えらる。歳末たるに依ってなり。廂の御簡に於いては、別の仰
  せに随い、秋田城の介御所に於いてこれを清書せしむ。
 

12月20日 乙未
  将軍家聊か御悩と。
 

12月21日 丙申 天晴
  御悩平愈すと。