1262年 (弘長2年 壬戌)
 
 

(吾妻鏡に記載無し)
 

6月14日 戊戌 [続史愚抄]
  南都衆徒の訴えに依って、左衛門大夫大江頼重を太宰府(筑前)に配流す。

6月28日 [北條九代記]
  引付頭、朝直一、時章二、實時三。
 

閏7月14日 戊戌 [続史愚抄]
  園城寺衆徒帰住す(一昨年離散せしむ所なり)。
 

10月1日 甲寅 [続史愚抄]
  主上御悩有り。疱瘡と。

10月2日 乙卯 [続史愚抄]
  御疱瘡御祈りの為、薬師法を宮中に始行す。阿闍梨天台座主無品尊助法親王。
 

11月28日 庚戌 [続史愚抄]
  親鸞上人(範宴、また綽空。初め慈鎮和尚の弟子と為る。後法然上人の弟子。本故皇
  后宮大進有範の子、右中弁有信朝臣の)寂す(九十歳)。
 

* 今年、一院より和歌集を撰び進すべき由を前の内大臣(基家)・衣笠前の内大臣(家
  良)・入道民部卿(為家)・侍従三位(行家)・右大弁入道光俊朝臣等に仰す。