1263年 (弘長3年 癸亥)
 
 

1月1日 壬午 陰
  椀飯(相州禅室御沙汰)。相州以下布衣を着し出仕恒例の如し。時刻を申すの後、各
  々庭上に降り座列す。
   左馬権の頭時宗     相模の四郎宗政     武蔵の前司朝直
   尾張の前司時章     越前の前司時廣     相模の三郎時輔
   同七郎宗頼       遠江の前司       相模左近大夫将監時村
   遠江右馬の助清時    中務大輔教時      民部権大輔時隆
   尾張左近大夫将監公時  陸奥左近大夫将監義宗  刑部少輔時基
   武蔵式部大輔時房    弾正少弼業時      越後の四郎顕時
   武蔵の五郎時忠     陸奥の十郎忠時     駿河の四郎兼時
   武蔵の八郎頼直     駿河の五郎通時     備前の太郎宗長
   遠江の四郎政房     武蔵の九郎朝貞     宮内権大輔時秀
   那波刑部権少輔政茂   秋田城の介       和泉の前司
   佐々木壱岐の前司    武藤少卿        後藤壱岐の前司
   小山出羽の前司     縫殿の頭        越中の前司
   長門の前司       日向の前司       加賀の前司
   佐々木対馬の守     中務権の少輔      木工権の頭
   宇都宮石見の前司    畠山上野の三郎     駿河右近大夫
   能登蔵人        美作左衛門大夫     那波の五郎
   城四郎左衛門の尉    佐渡新左衛門の尉    上野三郎左衛門の尉
   城六郎兵衛の尉     佐々木壱岐三郎左衛門の尉 城の彌九郎
   越中次郎左衛門の尉   後藤壱岐左衛門の尉   越中五郎左衛門の尉
   長門三郎左衛門の尉   信濃左衛門の尉     越中六郎左衛門の尉
   後藤壱岐次郎左衛門の尉 遠江三郎左衛門の尉   大隅修理の亮
   筑前三郎左衛門の尉   大隅大炊の助      大曽彌の太郎
   常陸左衛門の尉     周防五郎左衛門の尉   筑前五郎左衛門の尉
   梶原上野太郎左衛門の尉 伊勢次郎左衛門の尉   隠岐四郎兵衛の尉
   甲斐三郎左衛門の尉   伊勢三郎左衛門の尉   □□□郎左衛門の尉
   加藤左衛門の尉     武石新左衛門の尉    小野寺四郎左衛門の尉
   紀伊次郎左衛門の尉   小野寺新左衛門の尉   進三郎左衛門の尉
   甲斐五郎左衛門の尉   内藤肥後六郎左衛門の尉 佐々木孫四郎左衛門の尉
   出羽八郎左衛門の尉   伊賀筑後四郎左衛門の尉 狩野四郎左衛門の尉
   伊東八郎左衛門の尉   備後の太郎       信濃判官次郎左衛門の尉
   伊賀式部八郎左衛門の尉 薩摩七郎左衛門の尉   平賀三郎左衛門の尉
   備後の次郎       周防の七郎       備後の三郎
   天野肥後三郎左衛門の尉 天野肥後四郎左衛門の尉 足立右衛門五郎
   佐々木加地太郎左衛門の尉
  将軍家南面に出御す。土御門大納言参進し、御簾三箇間を上ぐ。次いで進物、御劔は
  武蔵の前司朝直、御調度は中務権大輔教時、御行騰沓は宮内権大輔時秀。
   一の御馬 武蔵の五郎時忠        岡村三郎兵衛の尉
   二の御馬 城六郎兵衛の尉顕盛      同九郎長景
   三の御馬 出羽八郎左衛門の尉行世    同九郎宗行
   四の御馬 佐々木壱岐三郎左衛門の尉頼綱 同四郎左衛門の尉長綱
   五の御馬 相模の三郎時輔        諏方四郎左衛門の尉
  未の刻将軍家御行始め。相州禅室の亭に入御す。
  供奉人
  御所の御方
   (御劔の役)武蔵の前司朝直 同五郎時忠     尾張の前司時章
   同左近大夫将監公時   左馬権の頭       越前の前司時廣
   相模の三郎時輔     刑部少輔時基      越後の四郎顕時
   陸奥の十郎忠時     秋田城の介泰盛     同九郎長景
   和泉の前司行方     佐々木壱岐の前司泰綱  中務権の少輔重教
   越中の前司頼業     後藤壱岐の前司基政   日向の前司祐泰
   縫殿の頭師連      美作左近蔵人宗教    小野寺四郎左衛門の尉通時
   常陸左衛門の尉行清   信濃左衛門の尉時清   周防五郎左衛門の尉忠景
   筑前三郎左衛門の尉行實 進三郎左衛門の尉宗長  加藤左衛門の尉景経
   甲斐三郎左衛門の尉為成 伊東八郎左衛門の尉祐光 狩野四郎左衛門の尉景茂
   佐々木対馬四郎左衛門の尉宗綱 大見肥後四郎左衛門の尉行定
  中御所の御方(八葉の御車、御衣を出さる)
   中務権大夫教時     相模左近大夫将監時村  民部権大輔時隆
   武蔵式部大夫朝房    遠江右馬の助清時    相模の七郎宗頼
   刑部権少輔政茂     宮内権大輔時秀     長門の前司時朝
   佐々木対馬の前司氏信  畠山上野の三郎国氏   大隅修理の亮久時
   城四郎左衛門の尉時盛  後藤壱岐左衛門の尉基頼 小野寺新左衛門の尉道継
   梶原太郎左衛門の尉景経 伊勢次郎左衛門の尉行経 武石新左衛門の尉長胤
   信濃判官次郎左衛門の尉行宗 嶋津周防の七郎定賢
  御引出物、御劔は尾張の前司時章、砂金は左近大夫将監時村、羽は秋田城の介泰盛。
   一の御馬 相模の七郎宗頼    平新左衛門の尉頼綱
   二の御馬 筑前左衛門の尉行實  同五郎左衛門の尉行重
 

1月2日 癸未 天晴
  椀飯(相州御沙汰)。御簾は土御門大納言、御劔は尾張の前司時章、御調度は越前の
  前司時廣、御行騰は和泉の前司行方。
   一の御馬 相模左近大夫将監時村  四方田新三郎左衛門の尉
   二の御馬 越後の四郎顕時     糟屋左衛門三郎行村
   三の御馬 城六郎兵衛の尉顕盛   同九郎長景
   四の御馬 出羽八郎左衛門の尉行世 同九郎宗行
   五の御馬 越後の六郎實政     伊賀右衛門次郎
  今日元日出仕の人数を以て、鶴岡御参の供奉として御点を下さる。
 

1月3日 甲申 天晴
  椀飯(武州御沙汰)。御簾は土御門大納言、御劔は中務権大輔教時、御調度は左近大
  夫将監公時、御行騰は太宰権の小貳景頼。
   一の御馬 相模の七郎宗頼     安東宮内左衛門の尉景光
   二の御馬 梶原太郎左衛門の尉景綱 同五郎景方
   三の御馬 甲斐三郎左衛門の尉為成 同五郎左衛門の尉為定
   四の御馬 上野三郎左衛門の尉重義 同左衛門五郎宗光
   五の御馬 陸奥の十郎忠時     牧野太郎兵衛の尉
 

1月5日 丙戌
  鶴岡御参の供奉人の事相催すと。
 

1月7日 戊子 天晴
  将軍家鶴岡八幡宮に御参り。供奉人、
  御車
   城の彌九郎長景     出羽八郎左衛門の尉行世 後藤壱岐次郎左衛門の尉基廣
   長門三郎左衛門の尉朝景 伊勢三郎左衛門の尉頼綱 梶原三郎左衛門の尉景氏
   嶋津周防の七郎定賢   越中次郎左衛門の尉朝景 武石新左衛門の尉長胤
   越中五郎左衛門の尉   上野三郎左衛門の尉重義 伊賀四郎左衛門の尉景家
   狩野四郎左衛門の尉景氏 平賀三郎左衛門の尉惟明 薩摩七郎左衛門の尉祐能
   佐渡新左衛門の尉基道  信濃判官次郎左衛門の尉行宗
    已上十七人直垂を着し帯劔、御車の左右に候す。
  次いで御後四十九人(布衣)
   武蔵の前司朝直       同式部大夫朝房     同五郎時忠
   同八郎頼直         越前の前司時廣     中務権大輔教時
   尾張左近大夫将監公時    相模左近大夫将監時村  民部権大輔時隆
   同四郎宗房         相模の三郎時輔     同七郎宗頼
   刑部少輔時基        遠江右馬の助清時    越後の四郎顕時
   陸奥の十郎忠時       那波刑部少輔政茂    宮内権大輔時秀
   佐々木壱岐の前司泰綱    同三郎左衛門の尉頼綱  越中の前司頼業
   長門の前司時朝       後藤壱岐の前司基政   同太郎左衛門の尉基頼
   木工権の頭親家       同左衛門蔵人宗教    縫殿の頭師連
   宇佐美日向の前司祐泰    畠山上野の三郎     石見の前司宗朝
   常陸左衛門の尉行清     筑前三郎左衛門の尉行實 城六郎兵衛の尉顕盛
   大隅修理の亮久時久時    信濃左衛門の尉時清
   (御調度役)周防五郎左衛門の尉忠景         和泉六郎左衛門の尉景村
   同七郎左衛門の尉景経    紀伊次郎左衛門の尉為経 梶原太郎左衛門の尉景綱
   進三郎左衛門の尉宗長    (御沓手長)加藤左衛門の尉景経
   小野寺新左衛門の尉道継   甲斐三郎左衛門の尉為成 伊東八郎左衛門の尉祐光
   佐々木孫四郎左衛門の尉泰信 伊賀式部八郎左衛門の尉仲光
   大見肥後四郎左衛門の尉行定 佐々木加地太郎左衛門の尉實綱
 

1月8日 己丑
  前浜に於いて御的の射手を撰ばる。左典厩所労に依って出仕せられず。十八人、一五
  度射訖わり退散す。
   一番 山城三郎左衛門の尉  早河の次郎太郎
   二番 渋谷新左衛門の尉   横地左衛門次郎
   三番 伊東の與一      富士の三郎五郎
   四番 松岡左衛門四郎    平島の彌五郎
   五番 伊東新左衛門の尉   小沼五郎兵衛の尉
   六番 小嶋の彌五郎     渋谷右衛門四郎
   七番 柏間左衛門次郎    本間対馬次郎兵衛の尉
   八番 落合四郎左衛門の尉  神林兵衛三郎
   九番 早河の六郎      下山兵衛太郎
 

1月9日 庚寅 天霽
  来十二日御弓始め有るべきに依って、撰定の射手を催せらる。来十二日辰の刻以前参
  勤すべしてえり。左典厩日来御不例、今日御疱瘡出見す。晩に及び権律師隆政入滅す
  (年二十三)。
 

1月10日 辛卯 天晴
  和泉の前司行方の奉行として、旬の御鞠の奉行を定めらる。皆これ堪能を撰ばるる所
  なり。
  正月 四月 七月 十月
   上旬  冷泉中将隆茂朝臣  右馬の助清時   出羽の前司長村
   中旬  越前の前司時廣   中務権少輔重教  備中の守行有
   下旬  足利大夫判官家氏  武蔵の五郎時忠  下野左衛門の尉景綱
  二月 五月 八月 十一月
   上旬  二條少将雅有朝臣  刑部少輔時基   後藤壱岐の前司基政
   中旬  弾正少弼業時    越後の四郎顕時  佐渡大夫判官基隆
   下旬  左近大夫将監時村  三河の前司頼氏  周防左衛門の尉忠景
  三月 六月 九月 十二月
   上旬  二條侍従基長    相模の三郎時輔  佐々木壱岐の前司泰綱
   中旬  中務権大輔教時   秋田城の介泰盛  信濃判官時清
   下旬  左近大夫将監公時  木工権の頭親家  城四郎左衛門の尉時盛
 

1月11日 壬辰
  明日御弓始め。射手の中小嶋の彌次郎家範故障を申すに依って、彼の合手小沼五郎兵
  衛の尉孝幸同じくこれを止められ、五番に縮めらるる所なり。而るに今日工藤三郎右
  衛門の尉光泰計り申して云く、家範の故障に就いて、孝幸を止められ五番と為さば、
  もし猶期に臨み故障の輩出来するに於いては、四手然るべからず。早河の六郎祐頼を
  孝幸に召し合わせ、元の如く六番たるの條宜しかるべきかてえり。仍って沙汰有り、
  然る如きと。彼の両人を相催せらるる所なり。
 

1月12日 癸巳
  御弓始め有り。射手十二人(二五度これを射る)。
   一番 山城三郎左衛門の尉親忠  早河の次郎太郎祐泰
   二番 横地左衛門次郎師重    対馬次郎兵衛の尉忠泰
   三番 渋谷右衛門四郎清重    伊東の與一祐頼
   四番 小沼五郎兵衛の尉孝幸   早河の六郎祐頼
   五番 松岡左衛門四郎時家    富士の三郎五郎員時
   六番 渋谷新左衛門の尉朝重   平嶋の彌五郎助経
 

1月14日 乙未
  来二十一日より御祈り有るべきに依って、左大臣法印の休所として、出羽入道道空の
  家を点ぜらるべきの由と。
 

1月15日 丙申 小雨常に降る。夜に入り晴に属く
  丑の刻月蝕正見す(八分)。御祈り加賀法印定清。
 

1月17日 戊戌 紅霞白雲を纏い、天気甚だ暗し
  戌の刻乾巽に火の如き光色有り。一方光盛んの時一方光薄れ、また厚薄を相交ゆ。観
  る者これを怪しむ。
 

1月18日 己亥 陰
  乾巽の赤光去る夜の如し。御祈り大阿闍梨休所の事、道空の家は、去る比弾正少弼こ
  れを給いをはんぬ。常陸入道の家は、来月二所御参詣の御物等沙汰奉行の間、今日後
  藤壱岐の前司の家を点ぜらると。
 

1月20日 辛丑
  近日二所御参詣有るべきに依って、供奉の惣人数例の如くこれを注進すと。
 

1月23日 甲辰
  二所御参詣供奉人等の事條々沙汰を経らる。先日御点を下さるる人数の中、多く以て
  障りを申す事等有り。所謂、
   武蔵の前司     越後の前司     民部権大輔    中務権大輔
   秋田城の介     同四郎左衛門の尉  佐々木対馬の守  縫殿の頭
   大須賀新左衛門の尉 出羽の九郎
    以上十人所労の由を申すと雖も、出仕に当たるの上は相扶け参るべきの由と。
   足立左衛門太郎(労の由申し上ぐ。在国)
   武蔵式部大夫      宮内権大輔       佐渡大夫判官
   周防五郎左衛門の尉   後藤壱岐左衛門の尉   甲斐三郎左衛門の尉
   同五郎左衛門の尉    小野寺新左衛門の尉   近江左衛門の尉
   和泉六郎左衛門の尉   同七郎左衛門の尉    進三郎左衛門の尉
   大泉の九郎       足立左衛門五郎
    以上十四人障りの由を申す。その子細を尋ね問うべきの由と。
   相模左近大夫将監    信濃判官        大隅修理の亮
   畠山上野の三郎     隠岐四郎兵衛の尉    小野寺四郎左衛門の尉
   足立太郎左衛門の尉   大須賀新左衛門五郎(在国)
    以上八人は鹿食と。暇を申さざるの條、同じく尋ね問うべきの由と。
   城六郎兵衛の尉(鳥を食う)
    子細同前
   以上此の如し。
  鹿食の事に於いては、先ず尋ね問わるるの処、禁制の事承り及ばざるの由各々陳謝す
  と。
 

1月25日 丙午
  二所御参詣の事延引す。今度に於いては、先ず奉幣の御使を用いらるべきなり。先日
  進奉の供奉人に至りては、悉く以て御精進中に候すべきの由相触るべきの旨、小侍に
  仰せらる。武藤少卿景頼仰せを伝うと。