1266年 (文永3年 丙寅)
 
 

6月1日 壬戌 天晴
  鬼宿曜たるに依って、御修法結願すと。御悩聊か御平愈。阿闍梨兼日の申状符号する
  の由口遊みに及ぶと。
 

6月5日 丙寅 天晴
  木工権の頭親家京都より帰参す。仙洞より内々御諷諫等有りと。中御所の御事と。
 

6月19日 庚辰 天晴
  今暁諏訪三郎左衛門入道飛脚として上洛すと。

[続史愚抄]
  流人(室町前の大納言實藤)帰京す(配所淡路)。
 

6月20日 辛巳 天晴
  相州の御第に於いて深秘の御沙汰有り。相州・左京兆・越後の守實時・秋田城の介泰
  盛会合す。この外の人々参加に及ばずと。今日松殿僧正良基御所中を退出し逐電す。
  子細有りと。
 

6月23日 甲申 晴
  酉の刻、御息所並びに姫宮俄に以て山内殿に入御す。若宮は相州亭に入御す。仍って
  人々多く以て彼の所に馳参す。凡そ鎌倉中騒動す。その故を知らずと。
 

6月24日 乙酉 霽
  子の刻大地震。今日左大臣法印厳恵遁世し跡を晦ますと。
 

6月26日 丁亥 天晴
  近国の御家人蜂の如く競集す。屋に余り巷に満つと。