小桜姫は武士どもに送られてやがて諸磯の浜に着き給う、荒次郎義意武士に命じて其縄
を解かしめ「小桜どの、今更面目も無く候えども、某御身を助けんとすれば色香に迷いし
かと父上の御叱りあり、色香に迷うと言われては某が末代の恥辱に候、痛わしけれども我
が手に掛って果て給え」と物悲し気に申しければ、姫は却て悲まず、「それこそ妾が兼ね
ての願い、ハヤハヤ首打って給われ」と荒次郎の前に端座なし西に向て合掌す、警固の武
士どもは両人が心中を想い遣り、看るに看かねて皆何処にか立去りける、四辺は陰々とし
て物淋し、沖の波間に二つ三つ漁火の影見ゆるも哀れなり、荒次郎思いに堪え兼ねて黙然
として立ちけるが、「何とて遅なわり給う、疾く首打って妾が妄執を断たしめ給え」と小
桜姫に促され、気を取直して腰なる一刀引抜きたり、姫は両眼を閉じ給い、口の内にて南
無阿弥陀仏と称え給う、荒次郎刀を振上げ「小桜どの、御身一人を殺しは致さぬ、御身の
首打って父上の仰せを果しなば、某も切腹致す覚悟なり、冥途の道にて御待ち候え」とア
ワヤ刀を下さんとしければ、小桜姫俄に飛退き「それは思いも寄らぬ仰せなり、何とて御
身が切腹なし給う」、荒次郎「されば御身を失い参らせて最早浮世に望みも無し、其上今
の有様にては家の亡びんこと近きに在り、生存えて滅亡の日を見んより御身の跡を追って
死することこそ優て候」、小桜姫「それは扨、由なき御心を出し給うものかな、妾の為に
死すると仰せあらば妾は容易に死し難し、冥途の旅の道連は嬉しけれども御身を殺して何
とせん、御生害の事は堅く思い留り給え」と争う折柄、後ろの杜の木陰より「若殿暫く御
待ち候え」と現れ出しは菊名左衛門重氏、小桜姫と荒次郎の間に立塞がり「忍んで様子を
窺うは罪深けれども、今若殿が父君の御前を退かれし御気色、只事ならじと見て取りけれ
ば、竊に御跡を慕い参らせ此にて伺い候に、世に哀れなる御物語、姫君を討て自ら御生害
あらんとの御心中、某も察し申して候えども、今若殿果て給わば此御当家を如何なし給う
べき、只今若殿の御言葉の如く、御当家の滅亡近きにありとは我々一同も竊に大殿道寸公
の御所行に就て心を痛め候なり、御家を大事と思し召さば、若殿こそ当三浦家の御嫡統、
大殿は他家より御出ありしものなれば、今の内に大殿の御隠居を取計らい、若殿を立て参
らせて当城の主と仰ぎ奉らん、是某一人の願いに候わず、諸臣一同疾くより此心を抱き候
えども、若殿の御孝心深きを憚りて今迄申上げ候わぬなり、御当家は御先祖三浦大介義明
公より累代続きの関東の名家にて候、それを今日他家より来られし道寸公の為に、一朝滅
亡させんこと、我々一同如何に口惜しく候わん、御先祖への御孝行を思し召さば、臣下一
同の願いを御許しあって疾く御心を決し給え」、荒次郎気色を変え「ナンと、某に謀反せ
よと申すか」、重氏「さん候、御謀反と申しては恐れあれど、大殿道寸公は御先代時高公
を弑し給えり、唯後の御為に道寸公を小壺の城へ送り参らせて御隠居を勧め奉る覚悟にて
候、今夜にてもあれ、若殿の御許しありと聞えなば、当城の武士一人として若殿の御味方
に参らぬものは候わず、御心に叶いし姫君を御助けあって、ハヤ御用意召さるべし」と勧
め申せば、荒次郎奮然として持てる刀を振上げ「奇怪なり左衛門、我に謀反を勧め父君に
敵対せよとは、我を不孝の大逆罪に陥ん為なるか、今一言申さば汝より先に斬って捨てん」
と顔色変えて怒り給う、重氏は荒次郎の迚も動し難きを察し「近頃某が誤りて候、さらば
其儀は再び申上候まじ、此上はせめて姫君を某に御預け下されたし、某が好きに計らい申
さん」、荒次郎「汝に預けては父君へ申訳なし」、重氏「イヤ大殿へ対しては姫君ならぬ
姫君の御身代りを討って某が申訳仕るべし、決して御心を苦め給うな」、荒次郎「扨其身
代りとは」、森の中より「妾が事にて候」と言いも敢えず懐剣にて我喉を突き、小桜姫の
前に転び出たる女あり、