43 自立の計(成し給え)

 只今の物語にて客人の様子を知り得たり、客人は二人の武士、一人は歳まだ若けれども
身の丈抜群に優れ、腰に四尺余りの太刀を佩き、数百頭の狼を一つ残らず斬り尽すとは扨
も希代の武勇かな、今東八カ国の若殿原に斯くまで武勇あるものは、我夫荒次郎殿の外に
あるべからず、荒次郎殿新井の城に坐せば、斯る処へ只二人にて御出であるべき謂れ無し、
何処の家の若殿にや心憎き限りかな、又一人の武士は其家臣にて年の頃四十位、威あって
猛からぬ武士と聞くからは、我身を助けし菊名左衛門殿にさも似たり、もしや新井の城に
事あって、荒次郎殿が武者修行に出で給いしか、それとも三浦家の大敵たる北条早雲の様
子を探らん為、姿を窶して此辺りまで参り給いしか、当地は小田原に近けれども、管領上
杉公の領地たり、上杉公は三浦家の主君にて、厚木大膳殿は当地の豪士なれば、荒次郎殿
共に心を合せて北条早雲を滅さんと謀り給うか、何れにしても世に珍らしき勇士なるが、
当家の主人の斯くまで包み隠すを見れば、世を忍び人目を憚るものにやあらん、今暫く此
に忍んで折もあらば其人々の顔を見んと、小桜姫は尚も垣の外に身を潜め給う、家の内に
は主人家忠、荒次郎主従の前に来り「只今の様子定めて余所ながら御聞取も候わんが、小
田原領の百姓ども御武勇を慕い参らせて是まで参るほどなれば、人の目ほど蒼蠅きものは
候わず、御存知の如く当地は管領家の御支配なれども、今は上杉公の武威衰え御威光も届
かずして宛ら領主無きの土地の如し、然るに当国小田原の城主北条早雲は、頻に民を懐け
徳を施し候故、当地のものも早雲を慕い、小田原領に移るもの少なからず、さる有様なれ
ば自然と早雲の下知此地まで行われ、知らぬ間に小田原領とならん姿にて候、早雲は固よ
り三浦家の御敵なり、もし方々の是に在る事を知り候わば、如何なる計略を為さんも測り
難し、されば人の見ぬ間に早く山中へ御入りあって御心安く世を忍び給え、もし御大事に
なる事の候わば、某一族を聚めて御味方に参り候べし」と語る心の頼もしき、荒次郎其意
を謝し「我身が当地に忍ばんとするも実は小田原の様子を探らん為なり、今の物語にて聞
く時は、早雲士を愛し民を懐け、其野心こそ侮り難し、関東の武士是を余所事に思いなば、
危きは独り我家のみならず、管領上杉公の御行末まで心許無し、東八カ国の大小名は互に
心を合せ、管領家に忠義を尽して早雲の野心を防ぐべきに、各々小故を争って敵人を利す
るこそうたてき業なり、我身山中に入ると雖も、浮世を捨て世を忘るヽものに非ず、竊に
早雲の動静を窺い、次第に依らば小田原へ攻め寄せて早雲の細首打落すべし」、家忠「そ
れこそ我等が願う処にて候、当地には故の小田原の城主大森信濃守藤頼の遺臣尚各所に隠
れあり、是等は皆早雲に怨みの刃を磨ぐものなれば、我君事を起し給うと聞かば、皆争っ
て御味方に参るべし、今更想えば信濃守が父式部大輔実頼は先見明なる武士なりけるよ、
彼は早雲が未だ伊豆に在りし時、管領上杉公に早雲を滅し給えと勧めしが、管領家の御油
断より、実頼死して後山狩に事寄せ小田原の城を早雲に欺き取られたり、されば大森家の
遺臣は早雲に終世の怨みあり、此人々を用い給わば、我君の為に涯分の働きを仕るべく候」、
菊名左衛門進み出で「斯る人々ある上は最早我君山に隠れ給うに及ばず、当地を取って領
主となり給い、道寸公に引分れて別に三浦家を御立てあらば、新井の本城よりも忠義の武
士多く馳せ参じ候わん、斯くて大勇の姫君を迎え給い、共に心を合せて小田原領を攻め取
り給わば、遂には関東八州を御手に入れんも敢て難き事に候わじ」、家忠も詞を添え「斯
くある上は我等まで共に明君を得て一門の譽れにて候」と両人は頻りに勇めども、荒次郎
愁然として歎息し「一身の栄えを計らば八州の領主とならんも敢て成し難き業にあらざれ
ど、我身此にて自立せば愈々父上に叛くなり、仮令此侭果つるとも敢て不孝の子とならじ、
いでいで山に入り申さん、主人案内頼むぞ」と身仕度なして立出で給えば、重氏・家忠も
力なく「さらば一先ず山中の庵室へ御案内申すべし」と人目を憚り裏門より三人竊に立出
でたり、人々が今立出ずる姿を見て此時なりと小桜姫、垣の外より眸を凝して両士が顔を
差覗く、