60 再会(嬉れしや)

 斯くて種久は小桜姫を我が住む館に伴えり、過ぎにし春の合戦以来絶えて久しき親子の
対面、種久も小桜姫も嬉し涙にかきくれて、語り尽きせぬ身の来歴「如何に父上、妾が生
捕となりて後、金沢城落ちたりと三浦家の者に承り候が、父上は如何にして此小田原に入
り給いし」、種久「さればなり、最愛の其方は敵に生捕られ、累代住み馴れし金沢の本城
も落ちたれば、我が身は城を枕として即に討死せんと覚悟を定めしに、新参の郎等石橋雷
太郎に諫められ、一時の恥を忍んで道寸に恨を返さん為に、惜しからぬ命長らえ此小田原
へとは来りしなり、斯くて小田原に来って世上の噂を聞くに、楽岩寺家の小桜姫は道寸の
計らいにて首を打たれ、諸磯の浜にて獄門に掛けられしと申すに依り、こは情け無き三浦
家の計らいかな、道寸心無しと雖も城中には荒次郎義意もあるものを、何の怨みあって我
が娘に斯る最後を遂げさせしと、我が無念骨髄に入り、せめて其方の首級を盗み取って厚
く此地に葬らんと、雷太郎友房を三浦に遣り、夜に紛れて獄門の首を盗ませたり、友房帰
って我身その首級を検むるに、顔の皮破れて定かにそれとは分らねども、首級は正しく其
方に非ず、目鼻立の容体は腰元八重絹に能く肖たり、扨こそ八重絹が身代りとなって其方
の命を助けしと見ゆ、命助からば此世に在らん、世にあらば復逢う折もあるべしと竊に其
方の行方を尋ねしに、北条家の間者たる末広売、実は早雲が股肱の一人多目権平長康夫婦
の物語に依って、其方の厚木辺りに在る事を知りしなり、新井の城を遁れ出でし模様は如
何に、其時の有様委しく物語り候え」、小桜姫「さあ其時の有様を語るに付けても、想い
出すは荒次郎君の御情けなり、初め道寸が荒次郎君に妾の首打てと命ぜしに、荒次郎君と
菊名左衛門重氏の情けある計らいにて、折節妾を救い出さんと城中に忍び入りし八重絹に
申含め、其首打って妾の身代りとなし、妾をば諸磯の浜より舟に載せて新井の城を遁れし
め給いたり、それに就けても御痛わしきは荒次郎どの、妾を助けし後讒者の言にかヽり、
遂に新井の城を追出され給いしと承る」、種久「それは我身も聞及びたり、当城の取沙汰
に荒次郎は天神が原に於て数の狼を退治なし、其後当国鳶尾山に隠れたるよし申すなり、
其方も鳶尾山の麓に在りしと云えば、定めて荒次郎に逢いつらん、荒次郎が今の様子は如
何に」と尋ぬる父は何気無けれども、尋ねらるヽ小桜姫は答えんとして幾度か口籠り「荒
次郎どのは山の上、妾は山の麓、互に程近き辺りに住みたれども、今は正しく敵味方、人
の心を測り兼ねて親しく逢いたる事も無く候」、種久「それは惜しき事なり、荒次郎は天
下の英雄、彼父と不和なるを幸い、味方に引入れて道寸を滅ぼすべき計略を為さば宜かり
しに」、小桜姫「それは仰せにて候えども、孝心深き荒次郎どのが父道寸に叛き給うこと
あるべからず」、種久「イヤイヤ尋常の父子ならばさもあるべし、荒次郎は三浦家の嫡統
にして、道寸は養父を殺せし弑逆の罪人、先祖への孝行を思わば、荒次郎は道寸と共に空
しく滅亡致すまじきに」、小桜姫「其事は後に計らうべき便もあらん、先ず妾が伺いたき
は、父上平生早雲を浪人者よ国盗人よと罵り給いしに似もやらず、金沢城落去して直ちに
当城に入り給い、国盗人の早雲に御身を寄せ給う事の不思議さよ、是には子細の候か」と
膝を進めて尋ねける、深き心や如何ならん、