61 御身の力(示されよ)

 小桜姫が尋ぬるは深き心のある故と種久は知るよしも無く「其不審は尤もなり、我身も
初めは早雲を浪人者よ国盗人よと罵りしが、扨金沢落城の期に及び、指を屈して近国の大
名を数うるに、今三浦道寸を滅ぼして我が怨を報ぜしめん程の英雄は残念ながら浪人者の
早雲より外にあるべからずと思い、幸い石橋雷太郎が当城に知己のあるに依って共に当地
に落ち来り、早雲に恢復の事を頼みしなり、然るに我当城に来りてより熟々早雲の有様を
見るに、流石主従六騎にて数年の中に相模半国の主となりし程ありて、智略人に勝れ、武
勇復世に類い無く、士卒を愛し民を憐み、其振舞天晴れ当代の名将と申しても愧かしから
ず、加うるに嫡男新九郎氏綱は父に劣らぬ智勇の良将、三浦家の荒次郎と肩を比ぶべき英
雄なり、彼等父子志を合せて愈々武威を遠近に振いなば、三浦道寸を滅さんことは言うに
及ばず、後には関東八州も皆北条家の物とならん、先には知らで罵りしが、今来て見れば
手厚き待遇に我も其恩に感ずるものを」と種久は早くも早雲が手中の物となれり、小桜姫
これを聞いて大に悲み、父が斯くまで早雲に心を傾くる上は今俄に当城立退の事をも勧め
難し、斯くて此に月日を送り、其中荒次郎どのが早雲攻めの兵を起し給わば、我等は再び
敵中に陥るなり、如何なして宜きやらんと心一つを定め兼ね差俯いて思案なす、折から入
来る一人の武士は先の姿に似もやらぬ末広売の多目権平、種久の前に進み「我君早雲公よ
りの仰せにて候、小桜姫御入城ありて種久殿にもさぞ御満足に思し召されん、久々の御物
語済み候わば早雲公御対面あるべきなれば、御息女諸共急ぎ本丸へ参られ候え」と招待の
口上を申す、種久心得て「さらば是より小桜を召連れ、直ちに参上致すべし、其旨仰せら
れ候え」と先ず権平を返し、小桜姫に身仕度させて早雲が本丸の館へこそ赴きける、
 本丸の館にては早雲始め、嫡子氏綱・次男氏時・郎等大道寺太郎・荒木兵庫・其外一騎
当千の武士ども、今こそ関東名代の勇婦小桜姫が来るよと大広間に列座なし、威儀を正し
て待ち居たり、此時奏者の声と諸共に其席に立出でたるは楽岩寺下総守種久、それに続て
小桜姫、花の如き御姿に綾の錦の裳を曳き、北条家の諸士が星の如く居並びたる其中を怯
めず臆せず悠然として通り給う、並み居る面々は唯其美しきに見惚れて茫然たり、早雲二
人を側近く招き「如何に小桜どの、今迄父君を尋ねられ種々の辛労さこそと察し参らする
なり、某数ならねども種久殿の御頼みを受け、兵を練り武を講じ、程無く三浦家を滅ぼし
て、御身等父子の無念を晴し参らすべし、暫くは当城に在って日頃の武勇を養い給え、そ
れに就て小桜どの、御身の武勇は古の巴板額にも劣り給わぬと世の噂に聞きたるが、物の
試しに我が前に於て一つ力量の程を示されよ、我等是にて見物致さん」と望みける、小桜
姫顔を揚げ「こは思いも寄らぬ仰せかな、妾は女の事なれば縫針又は糸竹の葉をこそ聊か
心得たれ、武芸力量などとは妾の身に似合しからぬ御所望にて候」と心ありてか拒みける、
早雲重ねて言葉を和げ「さのみ隠し給うな、御身の武勇は東八カ国に於て誰か知らぬもの
の候べき、若殿原の励みに成り候えば枉げて手並を示し給え」と強て所望するに、父種久
も口を添え「折角の御望みなれば何事か一つ御覧に入れ候え、其方が力量は我身よりも度
々城中の諸士に噂なせし所なり、今更我が言葉をも反古にせしむるな」と共に小桜を勧め
ければ、姫は漸く立上り「然らば恥かしくも時の御慰みに妾の手業を御覧に入れん」と裳
揚げて庭の方へ出で給う、人々はこは面白しと片唾を呑んで眺めける、