78 不時の援兵(誰なるや)

 万里の高山に雲忽ち起り海面荒くして高浪寄する汀かな、扨も三浦道寸は大崩の一戦に
打負けて、辛くも戦場を遁れ出で、佐保田河内守と唯二人佐島の浦まで落延びたり、後ろ
を顧みれば敵は隙間無く追い来る、浜に友呼ぶ千鳥の声も岸辺に騒ぐ松の嵐も、皆敵兵の
寄すると聞え、馬は疲れて前に進まず、本城新井は近きにあれど、ハヤ落延びん便りも無
しと道寸駒を留めて道の辺の民家に入り「河内守暫く防矢仕れ、我は此処に於て生害致さ
ん」と鎧を脱で覚悟の様子、河内守押留め「それこそ御短慮にて候、先新井の本城に御引
上あって、再び恢復の謀を廻らし給え」、道寸「イヤ有無の一戦に負けたる上は、我身の
武運も是までなり、途中に於て名も無き雑兵の手に掛らんより、此にて生害致すべし」と
押肌脱いで短刀を引抜きたり、折から河内守遙に敵陣の様子を眺め「我君暫く御待ち候え、
不思議なるは敵陣、只今後ろより騒ぎ立ち俄に四方に散乱する体、アレアレ中黒の旗を押
立て其勢凡そ三百騎、北条勢が真中へ割って入り縦横無下に突き破るは世に勇ましき其有
様、正しく御一族よりの援兵と覚え候、御生害を留められて先ず彼の体を御覧候え」と延
び上り延び上りいと嬉し気に眺むれば、道寸も力を得て立上り「今三浦の一族皆来って陣
中に在るに不時の援兵とは何人なるか、如何に河内守、彼の軍振は荒次郎に似たり、義意
が加勢に来りたるか」、河内守「さん候、勝誇ったる北条の大軍を僅の兵にて破り給う御
武勇は、荒次郎君の外にあるべからず、あわれ此援兵の今一足早かりせば、大崩の合戦に
斯くは脆くも負けまじものを」と語る処へ血に染みたる一人の武士馳せ来り「それに立た
るヽは佐保田殿か、我君道寸公は何れに坐す」、河内守「君は此内に在らせ給うなり、初
声太郎殿は荒次郎君と共に参られたるか」、武士「さればに候、荒次郎の君味方を救わん
為、武州の地を廻って只今大崩の戦場に着き給いたるに、合戦済みし後なれば道寸公の御
身の上心許無しと群る敵中へ割て入り、当るを幸い薙立て斬り立て一方の血路を開いて是
まで参着召されたり、されども御勘気を蒙り給いし御身なれば、直ちに道寸公の御前に至
り難しと、乃ち某を以て此旨を言上せしめ給う、願くは荒次郎君の御孝心に免じ、今迄の
御勘気を許し給え」と刀を杖に述ぶる言葉もいと苦し気に見えたるは、戦場に於て必死の
働きを為せしと覚えたり、河内守雀躍して打悦び「此場に臨んで御会釈も何も要らばこそ、
荒次郎君疾く御入りあって御親子の御対面然るべし」と告ぐる後ろに道寸の声「荒次郎の
勘気は許したるぞ、疾く此所へ参るべし」、斯る言葉を聞くよりも、初声太郎苦しさを忘
れて戦場に取て返せば、荒次郎は北条家の勇士川和新六郎・同く新八郎の兄弟と鎬を削っ
て戦い居たり、初声太郎声を掛け「如何に我君、御勘気は許りて候」と後ろより呼わるに、
荒次郎莞爾と打笑い「然らば御前に参るべし、見参の土産に二人の首を持ち行かん」と言
うより早く新六郎の細首丁と打落し、返す刀に新八郎の胴腹二つに斬割ったり、初声太郎
駆寄って其首を取る、北条勢は荒次郎の武勇に怖れて再び近よるものも無し、荒次郎二つ
の首を腰に着け、初声太郎に案内させて道寸が方へ来りけるに、道寸思わず走り出で、先
ず荒次郎の姿を見れば大太刀の刃は鋸の如く、身には数十本の矢を負い、髪は乱れ鎧はち
ぎれ、満身血に染みて世に物凄き其有様、流石親子の事なれば、道寸此体を見るよりも言
葉は無くて唯潛々と涙を流す許りなり、