79 敵の密使(捕え候)

 荒次郎父の前に跪き「此度の対戦、某後ろより小田原城を攻落し、父君を救い参らせん
と存ぜしに、新九郎氏綱の為に一の宮にて喰留められ、余儀無く武州の地を廻って此処へ
推参致して候、尤も途中より厚木の豪族厚木大膳家忠と申す者を武州江戸の城に遣わし、
管領上杉朝興公の御加勢の儀を願いたれば、程無く管領家の大軍も来り候べし、兎も角も
一旦新井の本城に御引上げあるべし、某等守護し奉らん」と味方の勇兵三百余人を招き、
厳重に備を立てければ、道寸宛ら夢の如く脱ぎし鎧を再び着し、民家を立出で馬に乗って
新井の方へ退きける、荒次郎自ら殿りなし、北条勢追い来らば撃破らんと八方を睨んで道
寸の後ろに従い行く、北条勢は荒次郎の手並に懲りけん、長追せずして大楠山に陣を取る、
 斯くて三浦道寸父子は本城新井に立籠り、要害厳重に備えて北条勢を待ちける処に、北
条早雲軍を進め直に其城に攻掛ると雖も、城固くして容易に抜くべくもあらず、其後早雲
は毎日手を換え品を換て新井の城を攻けるが、固より無双の要害と云い、且は荒次郎義意
入城して兵気日頃に倍したれば、何時も城兵の為に追払われて不覚を取ること多かりける、
早雲聞ゆる智将なれば其力攻めに為し難きを察し、新井の城を遠巻にして堅固なる陣を作
り、緩々謀を定めて城を落さんと毎夜諸将を対手に城攻めの群議を凝らしたり、然るに或
夜嫡男新九郎氏綱父の前に出て申しける様「只今某が陣所の前を怪しき姿にて通抜けんと
せしものあり、引捕えて詮議致し候に、厚木大膳家忠より荒次郎義意が方へ遣わせし密使
にて、江戸の城主上杉修理大夫朝興が道寸を救わん為、一万五千の大軍を起し愈々相州中
郡に押出したれば、城中よりも撃て出で挟んで北条勢を破るべしとの密書あり、此者城に
入らずして我手に捕えしは天の与え、城兵が知らぬ間に早く防御の備をなし給え」と密書
を取出し早雲に示しける、早雲暫く打案じ「今迄の三浦勢ならば明朝城を総攻めにして一
日の内に攻落すべきが今は荒次郎城中に在り、生中の合戦せば味方却て不覚を取らん、是
は一旦城中に偽りの和睦を申入れ、敵の心を油断せしめて先ず上杉の兵を破るべし、それ
には幸い屈竟の事こそあれ、一の宮より連来りし虎王丸は道寸が愛子と聞きたれば、虎王
丸を人質として彼に和睦の事を計らわしめん、誰かある虎王丸を呼び出せ」、「心得て候」
と氏綱立って我が陣所より虎王丸を早雲が前に連れ来る、早雲面を和らげて側近く招き「如
何に虎王丸とやらん、御身が家と我家とさせる怨みもあらざるに、斯く合戦に及ぶこと全
く楽岩寺種久殿に頼まれし故なり、其子細は御身の父道寸殿楽岩寺家の領地を奪いたれば、
それを取返して種久殿を旧の如くになさん為なり、然るに我兵連に勝って新井の城の落ち
んことハヤ旦夕の間に在り、此城を陥れて三浦勢を鏖にせんは易けれども、関東累代の名
家を一朝に滅ぼさんこと痛わしければ、道寸殿に楽岩寺家の領地を返さしめ、御身を中に
立て和睦なさんと存ずるなり、御身も家を思い、又父上道寸殿の事を思わば、明日新井の
城門に至り、父上・兄上達を櫓に招き、我が意を伝えて和睦の儀を勧められよ、道寸殿が
金沢の地をだに返しなば我等も兵を引返し、御身の家と長く水魚の交りを結ぶべし、幼け
れども利発に見ゆる虎王どの、我身の言葉が分りたるか」と殊に優しく物語れり、虎王丸
は何思いけん、屹と早雲の顔を差覗く、