1267年(文永4年 丁卯)
 
 

2月 [皇年代略記]
  蒙古の国牒状到来す。
 

4月24日 [二階堂文書]
**関東安堵下知状
   早く藤原氏(行久法師二女)を以て相模国大井庄内吉田嶋、薩摩国阿多北方等の地
   頭職を領知すべき事
  右、亡父前常陸介行久(法名行日)去る年六月十日の譲り状に任せ、領掌せしむべき
  の状、仰せに依って下知件の如し。
    文永四年四月二十四日      相模守平朝臣(時宗花押)
                    左京権大夫平朝臣(政村花押)
 

5月30日 [高野山文書]
**六波羅御教書案
  紀伊国阿弖河庄雑掌申す年貢の事、宰相法印の状此の如し。子細を相尋ねんが為に、
  早速上洛せらるべきの状件の如し。
    文永四年五月三十日       散位(時輔御判)
                    左近将監(時茂御判)
 

9月19日 [肥前深堀家文書]
**六波羅御教書案
  肥前国彼杵庄内戸町浦地頭時光申す、当庄惣地頭代杉浦を押領し、狼藉を致す由の事、
  重ねて訴状此の如し。この事子細を尋ねんが為に、度々召文を遣わすの処、今に参ら
  ずと云々。事実ならば太だ自由なり。不日に参洛せしめ、明らかに申さしむべきの由
  相触れらるべく候、仍って執達件の如し。
    文永四年九月十九日       散位(在御判)
                    左近将監(在御判)
  太宰少弐入道(資能)殿
 

10月16日 [五代帝王物語]
  一院(後嵯峨)春日社へ御幸有て、宸筆の金泥の唯識論御供養有べきにて有しほどに、
  前の大相国(公相公)俄に薨ぜらる(十月十二日)。是によりて御賀の定も延たり。
 

11月16日 [五代帝王物語]
  一院南都へ御幸ありて、御願を果させ給う。御導師は菩提山大僧正(尊信)なり。
 

12月1日 癸丑 [皇年代略記]
  後宇多院誕生。

12月 [五代帝王物語]
  富小路殿にて、内々御賀の舞、院御覧ありて、人々参りこみてゆゝしき見物なり。