1299年(永仁7年、4月25日改元 正安元年 己亥)
 

1月1日
  椀飯、庭坐位次に依るべきの由初めて仰せ出さる。去年より今春に及び、彗星連々出
  現す。

1月10日
  評、公事の間の事、庶子沙汰無きの時、惣領入分を経るに於いては、用途一倍を以て
  行うべきの旨、先度定め下されをはんぬ。もし猶対捍せば所領五分一を収公せらるべ
  しと云々。

1月28日 [大友系図]
**関東御教書案
  越後九郎・豊前前司・渋谷河内権守・伊勢民部大夫・戸次孫太郎左衛門の尉、鎮西評
  定衆たるべきてえり。仰せに依って執達件の如し。
    永仁七年正月二十八日      相模守貞時(判形これ有り)
 

4月1日 [薩藩旧記]
**島津忠宗書下
  九州大社以下修造遅怠、恒例の佛神事凌夷の事、去年十二月一日関東御教書並びに御
  事書、同年二月二十四日御施行此の如し。早く仰せ下さるる旨を守り、沙汰を致さる
  べきなり。仍って執達件の如し。
    永仁七年四月一日        下野守(在判)

4月17日 [豊後薬丸文書]
**伏見天皇綸旨
  来二十五日改元定め有るべし。例に任せ、申し沙汰せらるべきの状件の如し。
    四月十七日           右少弁(花押)
  蔵人将監殿

4月19日 [東寺百合文書]
**籐氏長者宣案
  東寺領大和国平野庄申す郡使乱入の事、供僧等の申し状此の如し。子細見状候か。早
  く尋ね沙汰せしめ給うべきの由、長者宣する所に候なり。仍って執達件の如し。
    四月十九日           右中弁雅俊(上)
  進上 別当僧正御房
 

8月20日 [内閣文庫]
**六波羅御教書案
  山城国悪党の事、交名注文此の如し。先度使者を差し遣わすの処、彼の輩逐電と云々。
  早く彼の在所を尋ね、見逢いに随い、法に任せその身を召し進すべきの旨、深栖八郎
  蔵人相共に、大和・山城・伊賀三ヶ国中に相触れらるべきなり。仍って執達件の如し。
    正安元年八月二十日       右近将監(御判)
                    前上野介(御判)
  春近五郎二郎殿
 

9月28日
  寅の刻、彗星辰方に出現す。光芒二丈。
 

10月8日
  宋朝の僧正子曇一寧鎌倉に参着す。一寧大元の国書を持つ。
 

* 今年御評定所を造る。将軍の御所に於いて御評定を行わる。