正月 [武家年代記]
権中納言為兼卿六原に召し置かる。三月佐渡の国に遷さる。隠謀に依ってなり。
2月
権中納言為兼卿佐渡の国に配流さる。[後には召帰されてけり]
越訴頭、道厳、行藤
2月28日
評に云く、越訴これを許さる。但し宗宣、宗秀の事切の事は、沙汰に及ばず。質券売
買、利銭出挙、向後これを許さる。
3月3日 [東寺百合文書]
**大和平野殿庄悪党人高名
注進 東寺御領大和国平野殿庄押領悪党人交名の事、
合
大張本惣追捕使願妙・同子息清氏一類以下所従等
下司清重子息三人(父子四人)・源内(次郎男)・刀禰男・彌六郎籐内
與一男・長寿六郎・教実法師・彌太郎男(イコマ)・籐内(今小路)
忠内入道・彌太郎(ミツハタ)・今小路籐内・小路斎宮・斎宮職事男
右、當庄押領の悪党人與力同心の梟逆の土民等交名人、且つは注進の状件の如し。
永仁六年三月三日
3月7日 [建長寺文書]
**大工善心言上状写
建長寺大工沙彌善心謹んで言上す
早く御免を蒙り、大工職を以て、子息万歳丸に相譲り、永代安堵の思いを成さんと
欲する子細の事、
右、大工職は、善心五郎大夫の譲りを得るの後、多年奉公の忠節を致し奉りをはんぬ。
然らば、今御免を蒙り、彼の職を以て子息万歳丸に相譲り、安堵の思いを成さんが為、
ほぼ言上件の如し。
(裏書き)
万歳大工安堵の事、方丈に申し、下知の状を申し下し候なり。後日の為、然書此申
状裏ニ、
永仁六年三月七日 宗吾(判)
宗英(判)
**建長寺下知状写
(花押影)
建長寺大工職の事
右、大工善心申請の旨に任せ、子息万歳丸を以て、大工職として、奉公忠節を致すべ
きの状、下知件の如し。
永仁六年三月七日
3月9日 [東寺百合文書]
**六波羅御教書案
大和国平野殿庄雑掌聖賢申す、當庄土民等寺用を抑留する由の事、重ねて訴状此の如
し。度々召文を下すと雖も、事を行わずと云々。今月二十五日以前に、参決すべきの
旨これを相触る。散状を申さるべきなり。仍って執達件の如し。
永仁六年三月九日 右近将監(御判)
前上野介(御判)
深栖八郎蔵人殿
拓植又二郎殿
3月28日 [建長寺文書]
**北條貞時下文写
(花押影)
建長寺大工の事、大工善心子息万歳丸を以て、その職を挙し申すと云々。給田・屋敷、
相違有るべからざるの状件の如し。
永仁六年三月二十八日
4月9日
引付頭、一時村、二師時、三道西、四宗泰、五宗秀
4月15日 [東寺百合文書]
**六波羅御教書
大和国平野殿庄雑掌聖賢申す土民等年貢抑留の事、重ねて訴状此の如し。使者深栖八
郎蔵人・柘植又次郎散状を申さざるの条、何様の事に候や。不日に請け文を進すべき
の旨、相触らるべく候なり。仍って執達件の如し。
永仁六年四月十五日 右近将監(在判)
前上野介(在判)
庄四郎左衛門の尉殿
4月18日 [高野山文書]
**関東御教書
高野山衆徒頼成・頼審以下八人並びに長満罪名の事、当山重宝返納の忠に依って、免
除有る所なり。その旨を存知らるべきの状、仰せに依って執達件の如し。
永仁六年卯月十八日 陸奥守(花押)
相模守(花押)
上野前司殿
相模右近大夫将監殿
4月27日 [高野山文書]
**六波羅奉行人奉書案
高野山衆徒頼成・頼審・定涼・朝秀・禅海・行聖・行賢・行慶・長満の事、免許有る
の由、今月十八日関東御教書を下さるる所なり。早くその旨を存じ、沙汰を申さるべ
きの由、仰せ下され候、仍って執達件の如し。
永仁六年四月二十七日 尊圓(津戸出羽権守入道判)
快顕(和田大輔房判)
清有(水谷左衛門大夫判)
渋谷左衛門の尉殿
6月27日 [皇年代略記]
後二條院元服(十四、加冠左大臣兼基、理髪頭左中将藤原兼季)。
8月1日 [肥前青方文書]
**某書下案
肥前国要害構石築地以下並びに高の事、急速に修固すべきの由、先度催促するの処、
今に沙汰無きの条、甚だ謂われ無し。所詮、来月十日以前にその功を終えらるべきな
り。更々緩怠有るべからざるの儀の状件の如し。
永仁六年八月一日 在御判
8月10日 [皇年代略記]
後二條院立太子(後伏見院御幼年の上、皇統両流、関東の所存たるに依ってこれを立
つか)。
8月13日 [和田文書]
**愛王丸着到状
和泉国御家人和田愛王丸、山門の事に依って参上せしめ候、此の如き旨、御披露有る
べく候や。恐惶謹言。
永仁六八月十三日 愛王丸(上)
御奉行所 「承りをはんぬ、(花押)」
8月16日 [東大寺文書]
**六波羅御教書案
東大寺衆徒等申す寺領山城国賀茂庄悪党右衛門入道以下の輩、夜打・強盗を致す由の
事、重ねて訴状これを遣わす。度々召文に背き、散状に及ばずと云々。いよいよその
咎を招くか。所詮、今月中彼の交名の輩を召し進せらるべし。仍って執達件の如し。
永仁六年八月十六日 右近将監(在判)
前上野介(在判)
筑後式部大夫殿
9月3日 [高野山文書]
**六波羅御教書案
高野山金剛峰寺衆徒申す和泉国麻生五郎入道並びに舎弟信家以下の輩、御家人と号し、
近木庄に打ち入り、年貢を抑留し、條々の狼藉を致す由の事、重ねて訴状此の如し。
来二十日以前に催し上るべきなり。仍って執達件の如し。
永仁六年九月三日 右近将監(在判)
前上野介(在判)
品河刑部左衛門の尉殿
9月7日 [法華堂文書]
**関東御教書
右大将家法華堂一和尚大貮僧都成信が跡の供僧職の事、大進僧都頼元申状これを遣わ
す。早く弁じ申さしむべきの状、仰せに依って執達件の如し。
永仁六年九月七日 陸奥の守(大佛宣時花押)
相模の守(貞時花押)
宰相律師御房
9月9日 [極楽寺文書]
**六波羅施行状案
禁断すべき守護代並びに地頭御家人等、西大寺以下の諸寺に於いて濫悪を致す事
右、今年八月十日の関東御下知の旨に任せ、沙汰を致すべきの状件の如し。
永仁六年九月九日 右近将監平朝臣(宗方花押)
前の上野介平朝臣(宗宣花押)
9月19日
山門衆徒の闘乱に依って堂舎回禄す。
10月13日 [皇年代略記]
後伏見院即位(太政官廰)。
10月28日 [越後三浦和田文書]
**高井義重譲状
おくやまのしやうたかのてうミつなし、すみやう御せんニ、ゑいたいゆつりわたすさ
かひの事、
ひかしハ、いやけんし入道かたさいけのふんをのそきて、江ハたさかひまて、みなミ
ハ十円房のたさいけのふんをのそきて、ちきやうすへし、にしきたハ、くろかハむら
かミさかひまて也、もしつくへきこなくハ、このところをハ、たまわうにゆつり給へ
し、御くうしのことハ、てんすにしたかひて、たまわうかかたへ、さたすへし、
右、ゆつりしやうかくのことし、
永仁六年十月二十八日 平義重(花押)
12月3日
暁、彗星南方に出現す。光芒一尺余。
12月20日
夜、彗星南方に出現す。光芒七尺。