2013.03

 世界遺産  ソチカルコ遺跡 太閤秀吉とクエルナパカ修道院

メキシコシティーから3800mの峠を越えて向かう先が、お金持ちの別荘地ソチカルコです。      眼下に見る
メキシコの中心街は、中国並みの(北京よりはましかも)スモックにけむり、霧の中に消える町のように見えます。



何の変哲もない飾り気のない教会ですがそれにはわけがあるのだそうです。  壁面を見ますとところどころに
絵画が残っています。    この教会は取り壊しが決まり解体作業が始まると壁の中から壁画が表れました。
豊臣秀吉が全盛のころ、布教のためにメキシコから日本に来た宣教師が、秀吉の庇護を受け九州に布教する
過程が絵に残されていたのです。 その後事情が変わり殉教しその業績をたたえてできた教会と言われています
画面をタッチすると、壁面にTAIKOUSAMAの文字を見ることが出来ます。



教会の門前で、可愛い赤ちゃんをあやしながら、一生懸命刺繍する女性がに会いました。  何の下書きもなく
一心に針を進めています。  その手際の良さに見とれて、ついつい手造りの敷物を買い求めてしまいました。
値切ろうと思ったら、身振り手振りで「一枚さすのに3週間かもかかるんです」と言われ、目の前の可愛い赤ちゃん
に免じて、一寸だけ値引きしてもらい、 一枚¥3500ですから日本的には安い買い物です(画面タッチ 赤ちゃん)



ソチカルコ遺跡は、まさに要塞堅固な山城で山道をふうふう言いながら上がらねばなりません。    こんな山に
水はと言えば用水池が築かれていますが、とても足りそうにありません。  先方に見える小さな湖まで水汲みに
行っていたと聞かされましたが、もしそうだとしたら大変な仕事です。     石段と山道には少々うんざりですが
ここの彫刻はなかなかの物だから見に行きましょうと、引きずられ、重い足を進めました。 どこへ行っても大蛇
とジャガーさまのお出ましです (画面タッチ 彫刻群)

メキシコシティーは   湖の上に築かれました



  メキシコはアステカ時代先住民が湖上に浮かぶ都市として作り上げ、スペインが侵略してその湖を埋め立てて
   築かれた大都市なのです。    スペインが侵略時代に建てた大聖堂はその大きさと重さゆえに歪んでしまい
   教会内に入ると柱も床も波打っているのが良く分ります。 画面をタッチすると現在発掘中の遺跡が見えますが
   水圧で隆起しているのが良く分ります。      メキシコも地震の多い国ですちょっと怖いですね。  宿泊した
ホテルも頑丈な鉄骨で補強しているのを見て、宿泊中に地震が来ないことを祈りました。 

   

南国の桜ジャカランダの並木が続くシティーの中心街はそれなりに整っていますが、暗くなると少々怪しくなって
きます。  貧富の差が激しいとは聞いていましたが、それはもう画面をタッチして頂きますと一目瞭然不法占拠
で広がって行く住宅街が立錐の余地もなく山へ山へと延びて行くのが見られます。   ゴミ箱をあさる人、隙あ
れば不法行為に走る人が、旅行者の目にも見えてきます。   怪しげな処は用心に越したことはありません。
とにかく銃を持ったガードマンがすべてのビルに張り付き、パトカーが常に巡回しているのでわかります。




街角に本物の銃砲を取り扱う店が、ショーウインドを構えているのを見て、背中に冷たいものが走ります。
中心街は眠らぬ街、帰りのフライトの関係で五時にタクシーを利用しましたが中心街は無休営業の飲食店
が沢山あるのにはびっくりしました。

     

トウモロコシの粉で焼き上げた丸型のトルテージャに、グリルした肉を巧みに切り落としながら野菜と一緒に挟んで食べるタコスと
言うのでしょうか、これが一番の人気者で大変な込みようで若者が大勢たむろしています。 ちょっと気取ったアベックは寿司バー
と称する国籍不明の握りずしや巻きずしの店に立ち寄ります。    この手の店はまあ、中ではしゃれた店と言えるのでしょうね。