2014年


2015年1月8日
国立登山研修所専門調査委員会(東京)


2015年1月5日
仕事始め


2014年12月26日
仕事納め


2014年12月18日
向原英会話教室、ミス・ロレンタン送別会



2014年12月17日
広島弁護士会三次地区会忘年会
 


2014年12月11日
山と渓谷社取材


2014年12月7日
名越實氏の事故報告書(広島山岳会)の発行
 


2014年12月6日
岐阜県の登山届出条例
 
岐阜県が、北アルプス地区山岳防止条例を制定した。
 以下の問題点を指摘できる。

・春山からから初冬までの間は、西穂高・奥穂高縦走路、滝谷、穴毛谷だけが、規制対象となる。冬山登山も規制対象。そのような登山者は限られるので、従来、ほとんど登山届けを出しているのではないか。それ以外のバリエーションルートと一般道は、登山届は不要。一般ルートは、登山者が多いので、登山届が必要なのではないか。
 登山口が岐阜県でなくても、長野県側から入り、これらの地域に入れば、岐阜県に登山届をださなければならない。提出場所は、岐阜県の登山口?
・ゴールデンウイーク中の、穂高周辺で事故が多いが、これは、規制対象外。
・槍穂縦走は登山届は必要ないが、滝谷側の稜線に迷い込めば、罰則対象。
・西穂高・奥穂高縦走路から、50メートル以上離れると、登山届は不要。本来、縦走路よりも、もっと危険なはずなのだが。
・奥穂縦走路、穂高、槍ヶ岳周辺など登山者が多い場所は、規制対象外。したがって、この条例で規制される登山者は、極めて少ない。登山者の99パーセントは規制対象外だろう。
 全体的に、登山者の少ない区域を規制対象としている。これは、山小屋の営業面を考えてのことか。登山届を義務づけると、登山者が減ることを懸念したのではないか。山小屋に宿泊するような登山者は登山届けを出さずにすむような設定になっている。「山小屋の宿泊客は、山小屋が、氏名、住所を把握できるので、登山届は不要」と考えたかのもしれないが。
・「うその登山届」は罰則の対象になるが、うそと予定変更、気が変わった、の違いは? 氏名と、「○月○日、穂高岳」と書いた登山届は、罰則の対象になる。時々、年齢をごまかす女性の登山者がいる。これは、パーティーのメンバーに自分の年齢を知られたくないため。これも罰則対象。
・登山届を出すだけでは、事故は減らない。無謀登山も届出さえ出せば、OK。登山届け内容のチェックが必要。たぶん、岐阜県はそれはしないのだろう。面倒だから。
・提出された登山届の受理表は交付するのか? 罰則まで規定するのであれば、登山者から請求があれば、岐阜県は受理証明を交付しなければならないだろう。提出された登山届の紛失に備えて。
・世界的には、登山の許可制や登山者数の規制はあるが、登山届を義務づける国は、ほとんどない。
・ほとんどの登山者は対象とならないので、ほとんど意味のない条例である。

 登山届は、必要だが、それを義務化しても、無謀登山者は、登山届を出さないだろう。あるいは、ずさんな登山届を出すだろう。登山届では事故は減らない。
 なぜ、そのルートだけ登山届を義務づけるのかという不合理性が残る。
 登山届は、役所が捜索する時に役に立つ。

御嶽山と焼岳での登山届義務化
 
同じく、岐阜県の条例で、御嶽山と焼岳での登山届が義務化された。これは、時期を問わず全登山者が対象のようである。なぜ、穂高や槍ヶ岳と扱いがことなるのだろうか。火山とそれ以外の違いはあるが、事故の可能性でいえば、穂高や槍ヶ岳の方が事故が多い。結局、商業的山小屋の有無が、違いということだろうか。金を払う「登山客」が減ってはいけないのだろう。


2014年12月4日
三次家事調停協会懇親会


2014年12月2日
過労死を防止する県民の集い

 
広島市内で、日本労働部弁護団広島支部主催で、過労死を防止する県民の集いがあった。

 岩城穣弁護士(過労死弁護団全国連絡会議事務局次長、大阪弁護士会)の、過労死防止法についての講演と木谷事件(オタフク事件)の木谷照子さんの話があった。
 岩城弁護士は、私と同期(40期)であり、久しぶりに会った。今後、全国センターの事務局長をするそうであり、その活躍振りに感心した。木谷さんとは、久しぶりに会い、懐かしかった。
 過労死問題から離れて、15年くらいが経っている。時間の経つのは早い。私が、三次で雑事件に忙殺されている間に、過労死をめぐる世の中の状況は、すっかり様相が変わっていた。時代は変わったのだ。いや、変わりつつある。その息吹が感じられる。時代の変化から取り残されていたようだ。こんなことをしている時ではない・・・・若干、浦島太郎的な気分である。



2014年11月28日
福山の弁護士の逮捕
 
福山の弁護士が横領罪で逮捕された。広島弁護士会では、弁護士の横領は過去にけっこうあるが(だいたい、すぐに弁償するので、事件にならなかった)、逮捕は3人
か、4人目だろうか。
 今や、弁護士の横領事件は、めずらしくないので、大きなニュースにはならない。弁護士の数が増えているので、今後、弁護士の横領はもっと増えるだろう。私の同級生の弁護士も、15年くらい前に、東京で、横領事件で逮捕された。今は、彼は、専門学校の講師をしているらしい。
 弁護士が、横領するのは、収入が減り、金に困るからである。福山の弁護士は、妻の介護費用の借金があったらしい。弁護士は、年金に乏しいので、収入が減ると生活できなくなる。若い弁護士と高齢弁護士の生活苦は、今後、深刻な問題になるだろう。

 不思議なのは、昔も金のない弁護士はたくさんいたが、弁護士の横領が少なかったことだ。かつて、開業独立した若い弁護士はみな、金がなく、自宅開業や、事務員を雇用しない弁護士も多かった。しかし、最近の若い弁護士は、みな、最初から、りっぱな事務所を構え、事務員を雇用することに、驚かされる。昔の弁護士は、だいたい皆、絶対に借金をしなかった。金がなければ、事務所はボロなままで、平気で仕事をしていた。現金が貯まるまで、家を建てないという弁護士もいた。ローンの嫌いな弁護士が多かった。弁護士の依頼者は、ほとんど固定客なので、事務所の見栄えは関係なかった。非常に高名な弁護士が、ボロな事務所を使っていたりした。仕事が忙し過ぎて、事務所の体裁に気の回らない弁護士が多かった。
 しかし、今は、弁護士の借金は当たり前なのだろう。弁護士になるまでに、法科大学院や司法研修所でかなりの借金を抱える。りっぱな事務所を構えて、見栄えをよくしないと顧客が得られない傾向があるようだ。どこの法律事務所も保険会社のオフィスのように、りっぱである。弁護士に借金があると、その返済に追われて、可能な限り高額な報酬をとる傾向が生じる。それでも、間にあわなければ、横領事件が起きる。現在は、弁護士とその依頼者の受難の時代ですな・・・・・


2014年11月20日
医者はさまざま
 定期検診で、便潜血がプラスだったため、今年の2月に広島県安芸高田市にある吉田総合病院で
腸の内視鏡検査をした。その結果、8ミリのポリープが3個見つかった。この時は切除せず、吉田総合病院の医師は、これを切除するには4日間の入院が必要だと言う。ポリープは良性なので、切除してもしなくてもどちらでもよいとのこと。
 とても、4日間も入院するヒマがない。広島市内の三好内科医院では日帰りで切除できるという。本日、三好内科医院で内視鏡検査をしたところ、3個の8ミリのポリープが見あたらなかった。タコのようなものはあったが、これはポリープではなかった。小さなポリープを切除したが、これは8ミリよりもずっと小さい。結局、3個の8ミリのポリープはどこかへ消えたようだ 

 吉田総合病院で検査をした医師は、検査状況のモニターを私に見せることはなく、まったく説明もしなかった。検査後に、「ポリープが3個あったので、病理検査に出します」との説明のみ。内視鏡検査の順番待ちの患者が4人くらいおり、急いでいたようだ。若い医師だった。書類は一切くれない。後日、病理検査の結果を説明したのは別の高齢の医師であり、「ポリープが良性で本当によかったですね」と言っていたが、この医師はポリープそのものを見ていない。このときも、病理検査の結果に関する文書はまったく交付しない。この病院は、検査結果や検査時の写真を一切交付しないようだ。三好医院からは、後日、詳細な病理検査の報告書が届いたが、一切書類を交付しない吉田総合病院とえらく違う。書類を交付しないのは、「トラブルを回避する」ためか。しかし、そのことがかえって不信感を招く。 
 他方で、この病院の看護師は、「検査では、鎮静剤を使うので、自動車を運転して帰ってはいけません。タクシーで帰ってください。帰る途中で、事故を起こされたら困りますから」と、やたらと余計なお節介をする。


 吉田総合病院で検査時にポリープを切除することができたはずだ。切除は、1、2分程度のものである。それとも、この病院では4日間の入院費用が必要だったのだろうか。
 

 医師と病院はさまざまということだろう。よく考えて選んだ方がよい。きちんと説明をせず、書類も交付しない病院は避けた方がよいだろう。

2014年10月26日
登山の法律問題に関する講演(高松市)・四国遭難対策会議(勤労者山岳連盟)
 参加者は、130名。盛況だった。
 午後は、登山道をめぐるシンポジウム
 
 講演では、登山道の問題について、長野県で話したことと同じことを話したが、四国の登山道の抱える問題は長野県とはかなり異なる。長野県では、「登山道をどの程度整備すべきか」が問題になるが、四国では、「登山道を整備するにはどうすればよいか」が問題になるようだ。四国では、整備がなされない登山道が多いようだ。また、長野県では高山の岩稜の登山道など登山道が多様だが、四国では、ハイキング的な低山の登山道整備が問題になる。地域にあった合った登山道の整備が必要なのだろう。
 会場で、私の書いた「真の自己実現をめざして」を27冊も買ってもらった。
 
 高松市へは広島から車で3時間弱で行けるが、日帰りは、やはり疲れる。


2014年10月23日
中村修二氏の国籍
 ノーベル物理学賞を受賞した中村修二氏が、日本人なのかアメリカ人なのかが問題になっている。同人は、アメリカの市民権を持っているとかいいないとか。アメリカ市民権を持つと、日本政府は日本国籍を認めない。日本は、二重国籍を認めない国である。
 おそらく、中村氏にとって、これはどうでもよい問題ではないか。ノーベル賞は、ナカムラ個人が受賞したのであって、国や民族が受賞するわけではないのだから。しかし、多くの日本人は、ノーベル賞の受賞は、「日本人の受賞として一緒に喜びたい」のだろう。
 中村氏は、日本民族であり、日本で生まれ育ったが、今は、アメリカに住み、アメリカに永住している。それで十分ではないか。それに対し、日本国籍を認めるかどうかは、日本政府が決めることである。それを、「日本人」と呼ぶかどうかは、言葉の問題である。日本政府が、二重国籍認めなければ、日本国籍者でなくなる。日本国籍者かどうかは、政治(政策)が決定する。
 日本人という言葉は、日本国籍者、日本民族などの多義的な意味を持つ。アメリカ人であるが、フランス人の血を引くという言い方、アメリカ国籍を持つ日本人という言い方
 「日本人なのかアメリカ人なのか」という発想は、国家単一主義の思想である。日本人であり、同時に、アメリカ人でもありうるのだが、それを日本の世論は認めない傾向がある。どちらでもよいのではないか。

 ノーベル賞は個人が受賞するものであり、日本人であるかどうかは、どうでもよい。


2014年10月22日
借金返済アイド

 最近、「借金返済アイドル」があらわれ、「夢の追求で、借金返済をめざす」というメッセージを打ち出している。このような発想は、昔からあった。
 ギャンブルや宝クジで借金返済をめざすとか、倒産しかけた会社が、一発逆転の新商品開発に賭けるとか。多額の借金のある人が、さらに借金を重ねるのも、新たな借金に「夢を託す」のであるが、たいてい、うまくいかない。それは、成功するための条件、内容に賭けるからである。
 もともと、アイドルとしてのタレント性がなければ、借金ができたからといって、人気が出るはずがない。アイドルとしてのタレント性があれば、借金があってもなくても、人気が出る。
 日本ででサッカーのレギュラーになれなかった高校生が、ブラジルのサッカー留学すること、大学入試に失敗した人が、難関の国家資格をめざすこと、野球でプロになれなかった人が、プロゴルファーをめざすことも、似たような発想である。
 夢を追うことは、大切なことだが、それを、成果、成功、金銭に結びつけても、競争の中ではうまくいかないことが多い。冒険は、それを成り立たせる科学的な法則を無視すると、うまくいかない。アイドルは、人々に夢を与えるのであって、人々から夢をもらうのではない。借金返済アイドルは、こっそりと破産等で借金を整理した後に、アイドルとしてのタレント性で競争すべきであって、借金を売り物にして、人気を得ようとしても、うまくいくはずがない。
 もっと、健全で堅実な夢を与えることを考えた方がよい。
 

2014年10月21日
ネパール、アンナプル山系での大量遭難
 
この事故で日本人2人が亡くなったらしい。
 この種の事故を考える場合の視点。
 事故はどこでも起きる。安全とされている都会でも、事故が起きる。
 事故が起きれば、危険だったとされるが、安全性は危険性の程度問題である。トレッキングでの遭難、御岳山での事故、大雨土砂災害、東北大震災、福島原発事故などは、いずれも人間の判断ミスが介在している。事故が起きたといくことは、もともと危険だったのであり、それを防げなかったことは判断ミスである。
 事故を防ぐためには、危険性の予見能力が重要である。街中を歩く時、ビルの上から、物が落ちてくることを心配する人がどれだけいるか。いきなり、街中で通り魔が出現する危険性をどれだけ考えているだろうか。都会の歩道では、いきなりトラックが突っ込んでくる危険が、常にある。
 ネパールでも、それまで雪崩など起きたことのないトレッキングコースでは、そのレベルの危険の予見能力が要求される。


2014年10月19日
登山にヘルメット着用は必要か
ヤフーニュースに、次の記事が掲載されていた。
「ヘルメットの効用は噴石から頭を守ることだけではない。落石や転落事故に遭ったときに頭部への衝撃を和らげる。急峻(きゅうしゅん)な登山道を通るルートでは、ヘルメットの着用が浸透しつつある。中でも槍ケ岳や奥穂高岳などは「ヘルメット着用奨励山域」と呼ばれ、登山者にヘルメット着用を促すだけでなく貸し出す動きも出てきている。
 かつて自転車に乗るときにヘルメットをかぶる人は少なかったが、最近では重大事故に備えて着用率が高くなってきている動きと似ている。
 登山の楽しみ方は人それぞれである。装備や準備に個性や好みが出るのは仕方がないことだが、山に対して謙虚な心構えと行動が取れなければ、事故に遭う確率はその分、高くなる。登山に関する確かな技術と経験がない者ならば、ヘルメット着用を自らに課すことは最低限のモラルといえるだろう。」

これについてのコメント
 登山の装備は、必要なものを持っていくのではなく、必要なもののうち何をもっていかないかが重要なのである。
 例えば、ハイキングでも、緊急時に備えて、1週間分の食料、非常食、ハーネス、ロープ、テント、ツェルト、シュラフ、水5リットル、ランタン、ヘルメット、無線機、GPS、ヘッドランプ、地図、磁石、着替え、雨具、ストック、救急セットなどは、ないよりはあった方がよい。ハーネスは、骨折等をした時に、ハーネスを装着しておくとヘリでのピックアップが迅速にできる。また、転落しかけた時に、ハーネスをつけていれば、ロープで確保して、転落を防止できる。しかし、これらをすべて持っていけば、ハイキングにならない。最低限必要な装備は、ツェルト、水、ヘッドランプ、地図、磁石、雨具である。御嶽山は、ハイキング(山歩き)の対象である。ヘルメットを持参するよりも、ツェルトと無線機(沢は携帯電話がつながらない)を持参すべきだろう。
 秋の登山では、降雪もあるので、冬山装備があった方がよいが、通常は、冬山装備は持っていかない。もし、御嶽山で天候急変で低体温症で多数の登山者が死亡すれば、マスコミは、冬山の防寒用具を持っていくべきだったと言うのかもしれないが。
 ヘルメットは、落石の危険の高い登攀、冬山、バリエーションルートなどの登山で使用するのが一般的である。これは、登山技術、経験とは関係がない。落石等の危険性のレベルが高いかどうかという問題である。槍ヶ岳や穂高では、ヘルメットはないよりは、あった方がよいという問題である。火山では、ヘルメットはそれほど役に立たないだろう。
 山小屋保管のヘルメットは、工事用のヘルメットのようだが、これは、落石には役に立たない。クライミング用のヘルメットでなければ強度がない。オートバイ用のフルフェイスのヘルメットは、さらに強度があるが、重い。それでも、時速300キロ以上の岩の弾丸には役に立たない。頭だけ保護しても、岩が身体に岩が命中すれば、ひとたまりもない。
 必要な装備を持っていけば切りがない。必要な装備をすべて持っていけば、大名登山になるが、それでも、安全とはいえないのが、登山である。


2014年10月18日
韓国・換気口崩落事故の問題点
 10月17日に韓国で起きた換気口崩落事故について、以下の問題点を指摘できる。

・高さが1メートルの換気口は、コンサートでなくても、子供が上にあがって遊んだりする可能性があり、もともと危険性が予見される施設である。したがって、柵をするなどの危険回避措置が必要だった。
・しかし、仮に柵などがあっても、コンサートでは、柵を越えて登るファンがいただろう。コンサートの管理者が、どんなに注意しても、それに従わない人がいただろう。したがって、単に、柵などを設置すれば、事故を防げるということではない。換気口を封鎖しても、別の事故が起きる可能性もある。ファンが殺到して、おしつぶされるなど。野外コンサートは、無差別殺傷事件の対象になりやすい。自動車が突っ込むとか、放火、銃の乱射、爆弾、包丁を振り回すなどの事件では、警備の不十分さが問題化する。
・日本でも、ため池事故などが起きる度に、池に柵がないことが問題になるが、柵があってもそれを乗り越えて、釣りなどをする者が必ずいる。物的な安全管理は、どんなに努力しても、限界がある。
・危険性に対する認知能力を養うことが必要である。それがあれば、柵の有無に関係なく、換気口のうえに多数の者があがることの危険性を察知できる。
・安全策は、ないよりはあった方がよい。しかし、それは根本的な問題解決にはならない。危険性を察知して行動する自己責任の能力が重要である。そのためには、学校教育の場で、危険回避能力、自己責任能力、自立の精神、考える力、問題解決能力などを養うことが必要である。この種の事故を防ぐには長年の地道な努力が必要であり、簡単に事故を防止する安直な方法やマニュアルはない。日本の御嶽山事故なども同様である。
・韓国では、今後、責任者探しと処罰が始まるだろう。野外コンサートを開催したこと自体に非難が出るかもしれない。換気口の設置者にも非難が集中するだろう。自殺者が、もっと出るだろう。その点は、日本と同様である。社会的非難、刑罰、自己責任論、安全策では、この種の事故はなくならない。


2014年10月10、11日
甥の結婚式(東京)

 
今月もまた東京へ行った。
 今回は飛行機で往復したが、やはり、疲れた。



2014年10月10日
緑のオーナー・大阪地裁判決
 林野庁が実施した緑のオーナー制度について、損害賠償請求が認められた。
 こ制度ができた当時、私も若干興味を持ったが、「こんな当てにならない制度は、信用できない」、「国もいい加減なことを始めたものだ」と思った記憶がある。一般に、株式、牛、ファンド、土地などへの投資は、かなりのリスクがあるが、国が実施するとややこしいことになる。「お上のやることに間違いはない」と信用してしまいがちなのだ。

 判決文を入手していないので、詳細は不明だが、
・元本割のリスクを説明しなかった点に国の過失を認定していること
・1993年以降は「元本を保証しない」ことがパンフレットに記載されており、その前後で賠償の有無が異なること
・契約から20年以上経過すれば除斥期間の適用があること
がわかる。
 「20年以上の間、解約できない」契約は、林野庁の役人のやり過ぎだろう。つまり、そこまで、国に有利な契約にしてしまうと、かえって裁判官の心証を悪くするのではないか。リースは、途中解約できないが、せいぜい5年間程度である。投資信託や株式は配当があり、いつでも解約できる。住宅ローンも、アメリカなどでは住宅転売により投資対象になりうるが、その間、居住できる。20年間解約できないというのは、自分で山(植林)を買った方がまだ、マシだ。

 リスクを説明すべきことは当然のことである。しかし、リスクの説明を受けても、適切に行動できない人が多いのも事実。したがって、日本では、リスクを伴う行為をすることは難しいのではないか。まして、お上がそれをすると、問題が生じやすい。


2014年10月5日
佐世保高校生殺人事件のマスコミ報道
 佐世保高校生殺人事件の加害者の父親が自殺したらしい。これは、日本の世論とマスコミがもたらした悲劇である。この事件の加害者の家族に対するマスコミのパッシングは、まさに殺人的だった。まともな神経の持ち主にとって、耐えられなかったのだろう。関係者の1人や2人は死んでもおかしくない。犠牲者が出れば出るほど、ワイドショーと週刊誌の売り上げが増えるが、さらなる関係者の被害が出ないようマスコミが自重することを望む。

 同様のことは、STAP細胞問題でもある。マスコミの過剰報道によって、さらなる犠牲者がでないことを望む。


2014年10月1日
「真の自己実現をめざして 仕事や成果にとらわれない自己実現の道」の出版
  
発行所 ブイツーソリューション 
  発売元 星雲社
  ページ数226頁
  定価 700円+税
  溝手康史
  書店注文、アマゾン(www.amazon.co.jp/)、楽天等での購入が可能

 自己実現を、仕事、成果、社会的成功などのための手段として考える人が多い。しかし、自己実現は自分の内面的価値や可能性を追求することであって、必ずしも、仕事、成果、社会的成功などの達成とは関係がない。自己実現を仕事中心の発想から切り離す必要がある。
 自己実現を、仕事、成果、社会的成功などの達成と結びつけることは、それを難しくする。

 今の社会には、選択肢が多すぎるため、かえって選択に悩む人が多い。選択肢が多いことで、選択に悩むことは、「ジャム理論」でも指摘されている。選択肢が多いように見えても、実は、選択可能なことは、多くないのだが、それが見えない。自分に合ったものは、それほど多くない。自分のやりたい仕事だと考えても、その仕事に人が殺到すれば、競争の結果、就業できないことが多い。それが挫折感につながりやすい。

 自己実現は、自分の価値の追求であって、それほど難しいものではなく、誰にでも可能である。自己実現は、少数の才能に恵まれた人や、特別にがんばることができる者だけの特権ではない。自己実現への道は誰にでも開かれている。この点は、登山の経験からすれば、単純明快である。
 自己実現の追求は、人間に、意欲、達成感、生きる力、充実感、幸福感などをもたらす。自己実現は、がんばるという意識なしに、人間の努力を可能にする。時には、それが、「社会的成功」をもたらす場合がないわけではないが、それを期待すれば、自己実現というスローガンが挫折の原因になりやすい。

 登山家としての経験、弁護士としての経験、その他の個人的な経験、マスローやロジャーズの著作に基づいて、自己実現への道について書いたのが、この本である。以前、「登山の法律学」(東京新聞出版局)を書いた時に、登山と自己実現の関係について考えていたが、法律問題に関する記述に自己実現を織り込むことは難しかった。それでこの本を書いた。
 現在、学問が細分化されているが、自己実現は、特定の分野の問題に限定することができない。自己実現は、あらゆる分野にまたがる事柄であり、これは、総合科学の対象である。

                 




2014年10月5日
御嶽山の噴火
 
9月27日に御嶽山が噴火し、多数の死傷者が出た。
 予想通り、マスコミは、なぜ、このような大きな被害が出たのか問題にしている。
 被害を防止することはできなかったのかという点が問題にされている。
 
 結論から言えば、現在の科学では予知は無理だった。観測態勢を強化しても、無理だっただろう。噴火前の微変動の情報を流すことはできるが、それが噴火の前兆だとはわからない。

 
噴火に限らず、登山にはさまざまなリスクがある。それを覚悟して登るほかないだろう。
登山にはリスクがあるが、それでも人は山に登る。
 以前、5月連休に山スキーで御嶽山に登ったが、スキーだったので、ほとんど印象に残っていない。その前日に乗鞍岳に登ったので、記憶が混乱している。噴火のリスクよりも、雪崩、道迷い、低体温症などのリスクの方が気になっていた。もし、噴火すれば、スキーであれば、逃げ足が速いだろうが・・・・・・。

 噴火時のとっさの行動が生死を分けることはある。咄嗟の防御姿勢や頭を保護すること、呼吸空間の確保など。しかし、それにも限界がある。ダメな時は、どうやってもダメなのだ。それを運と呼ぶか、運命と呼ぶか。
 
 マスコミから、御嶽山での救助活動に関する費用について電話での取材があった。
 そのヤフーの配信ニュースは下記のとおり。

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「御嶽山噴火」山頂に取り残された人々 「捜索・救出」の費用は個人が負担するのか?

弁護士ドットコム 9月30日(火)18時25分配信

長野・岐阜県境の御嶽山(おんたけさん)が突然、噴火した。紅葉シーズンの週末ということもあって、異変が起きた9月27日昼には多くの登山者が訪れていた。警察や消防、自衛隊らが捜索した結果、山頂付近で30人以上が心肺停止状態で見つかり、10人以上の死亡が確認されている。
まだ行方がわからない人たちもいると見込まれており、捜索・救助活動が続いている。一方、ネットでは、救助された人が捜索活動にかかった費用を請求されるのではないかと、心配する声が出ている。こうした疑問に対し、「当然、個人が支払います」と断言している人もいる。
これは本当だろうか。捜索・救助のためにかかる費用は、今回のようなケースでは莫大な額になると推定されるが、救助された人が個人的に支払わなければならないのだろうか。

●公的機関の救助活動は「税金」でまかなわれる
今回の噴火については、「災害救助法」という法律が、地元自治体に適用されたと発表されている。それによって、救助費用がまかなわれたりしないのだろうか。内閣府の防災担当の職員に聞いた。
「御嶽山の噴火では、多くの人が生命や身体に危害を受け、継続的な救助が必要となっています。そのため、長野県が、木曽郡の木曽町と王滝村に災害救助法を適用することを決めました。
これによって、被災者の救助にかかる費用の一部を、国と長野県が分担して負担することになります。具体的には、避難所の設置や、避難所で行われる応急処置、炊き出しの費用などがまかなわれることになります」(担当職員)
警察・消防・自衛隊などが行う捜索・救出活動の費用も、それでまかなわれる?
「いえ、警察や消防、自衛隊は、救助が業務に含まれますから、災害救助法は直接関係ありません。いずれにしても、救助費用は税金でまかなわれますので、救助された人が支払う必要はありません」(同職員)
今回の捜索や救助にかかった費用は、基本的に税金でまかなわれるため、救助された人が個人で支払う必要はないようだ。

●民間の救助費用は「保険」でカバーされるか?
一方、山にくわしい溝手康史弁護士は、「民間の山岳遭難対策協議会などに出動を要請した場合、費用を個人で支払う必要が出てきます」と指摘する。民間団体に救助を要請するというのは、たとえば、どういうシチュエーションだろうか。
「今回は公的機関からかなりの人数が動員されているようですが、一般的な捜索の場合、人手が十分でないことがあります。また、公的機関が、いつまでも生存者の捜索・救助活動をしてくれるわけではありません。捜索により多くの人手をかける場合や、長期間の捜索を行う場合には、民間に頼むことになります」
仮に民間の団体に頼んだ場合、どれぐらい捜索費用がかかるのだろうか。
「捜索員・救助員の日当は一人あたり3〜5万円くらいといわれています。また、救助に民間のヘリコプターを使った場合は、一回につき数十万から数百万はかかります」
そうしたお金は、個人で負担することになる。もちろん命はお金にはかえられないが、かなりの負担になることは、間違いなさそうだ。そのときにカギになるのが、保険だ。
山でケガしたときのために傷害保険に入る人もいるだろうが、遭難したときの捜索・救出費用は、一般的な保険ではカバーしていない。そのような場合に備え、遭難救助の特約がついた「山岳保険」もあるという。ただ、保険会社に問い合わせると、今回の噴火のような特殊事態でも保険金が支払われるかどうかは、即答できないということだった。
現在、山頂付近は、自衛隊ですら近寄ることができないと伝えられている。このような状況下だと、一般人にできることは限られている。まずは、公的機関の捜索活動がうまくいくことを祈るべきだろう。

【取材協力弁護士】
溝手 康史(みぞて・やすふみ)弁護士
弁護士。日本山岳サーチ・アンド・レスキュー研究機構、国立登山研修所専門調査委員会、日本山岳文化学会、日本ヒマラヤ協会等に所属。著書に「登山の法律学」(東京新聞出版局)等。アクタシ峰(7016m)等に登頂。
事務所名:溝手康史法律事務所
事務所URL:http://www5a.biglobe.ne.jp/~mizote/

弁護士ドットコムニュース編集部

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 通常の山岳事故の場合、警察、消防が行方不明者を捜すのはせいぜい5、6日程度である。その後は、「生存の可能性が低い」として、公的機関は捜索を打ち切る。雪崩、落石、落雷も自然災害であるが、被災者の数が少ない場合には、公的機関は早々に捜索を打ち切る。公的機関は、生存者の救助をすることが使命であって、遺体捜索は役所の仕事ではないと割り切っている。
 公的機関が捜索を打ち切った後は、民間の組織や民間のヘリに捜索を頼むことになるが、その場合に多額の金がかかる。

 登山中の雪崩事故の場合には、公費での捜索は、数日程度で打ち切ることが多い。
登山中の崖崩れ、悪天候、転落、落石、噴火、火山ガス、地震などの事故でも同様だろう。しかし、これが、山麓の観光客の事故の場合でれば、発見するまで捜索するだろう。海難事故の場合は、発見できるまで何日も捜索するだろう。
 どこが異なるのか。登山の場合に、公的機関が、通常、数日で捜索を打ち切るのは、山岳事故は「自己責任」だという世論があるからである。山岳事故の捜索に多額の費用がかるという点もある。その大半は都道府県の負担である。海難事故は「自己責任」ではない? 山岳事故に対する世論の非難を利用して、公費の支出を抑えているということだろうか。
 今回の御嶽山の事故は、「自己責任」ではないとされるようだ。これが、平日に1人で登って、噴火に巻き込まれれば、「自己責任」とされ、世論から見離されたかもしれない。「単独登山は無謀である・・・・・」
 自衛艦と漁船の衝突事故は、自然災害ではなく、被害者の数も少なかったが、国は、何億円もかけて、海底を何か月も捜索した。被害者の数は、必ずしも、関係なく、政治状況と世論が公費での捜索期間を決定するようだ。政治状況と世論が見方をしてくれなければ、公的な捜索から見離されるということ。 
 日本では、世論が向く方向次第で、世論が凶器にもなれば、大きな支援にもなる。政治家とマスコミが世論を操作する。この点は、日本、韓国、中国は、いずれも似ている。事件や事故に対する世論の動向が、非難に向くか同情に向くかは、政治家とマスコミに操作されやすい。「大衆は簡単に操作される子供のようなものだ。大衆は深く考えることはなく、感情で動く」というヒトラーの言葉。
 2004年にイラクで3人の若者が拉致された事件では、政治家とマスコミが世論の非難をあおり、2003年にイラクで日本人が仕事中に殺害された事件では、世論は同情した。

 
外国で、テロの被害者が1人であれば、自費で搬送し、被害者が多数の場合は公費で搬送する。公務員の場合は公費を使うが、登山やボランティア活動の場合は役所ら見離される。仕事中の被災は考慮される。登山の場合は、被災者の数が多くてもダメ。ただし、今回は特別。
 今回は、行方不明者が見つかるまで何年でも捜すのだろう。すべての事故について、このように捜索してくれればよいのだが。

 遭難者の救助・捜索活動について特別扱いする場合としては、
 ・被害者の数が多い場合
 ・被災に関して行政に対する非難が生じる恐れのある場合
 ・政治家の意向が反映するする場合
 ・世論の動向
 ・政治家、皇族、公務員が関係する遭難
 
などがあるだろう。

 問題は、事故や災害があった場合に、公的機関の捜索、救助活動にどれだけの税金をかけるかが、世論と役所の政治的思惑に左右され、公平ではないという点である。この点でも、日本は法治国家ではない。
 同じ山岳遭難でも、特別扱いしてもらえない人は、不公平感が残る。
 
 また、先日、同じく、弁護士ドットコムから、富士山での登山者の糞尿の垂れ流しに法的責任が生じないのかという問題について、500字で書いてくれという電話があった。私は、「500字も書くような内容ではない」と返答した。野外での糞尿を規制する法律、条例を制定しなければ、罰則や損害賠償請求は難しい。野外での野グソは、日本全国、どこにでもあるが、現状では規制がない。
 世界遺産である富士山では、携行トイレの持参を義務づけ、排泄物を持ち帰らなければ罰則を科してもよいのはないか。それができれば、日本も環境先進国に一歩近づくだろう。
 登山者が多ければ、トイレが足りず、順番待ち状態になる。根本的には、富士山の入山者数の規制しかない。「アメリカの富士山」のMt.ホイットニーでは、入山者数を1日100人程度に制限している。山小屋の数も少ない。山を経済活動の対象にすると、富士山のようになる。
 


2014年9月13日
「リーダーの法的責任」・日本山岳会での講演・東京

 
日本山岳会で法律の話をした。
 日本山岳会は、各地の支部が独立した山岳会のようであり、山岳会としては、特殊な形態である。この企画は、最初に、日本山岳会多摩支部が考えたようである。多摩支部は、山岳遭難の多い奥多摩と関わりがあるのだろう。
 日本山岳会の支部が各地で活発に活動しているようだ。障害者の登山の支援など、ボランティア的な活動もしているようだ。
 
 参加者は、皆、熟練した登山家であり、熱意を感じた集会だった。
 
 それにしても、新幹線での往復は疲れる。いつも利用していた新幹線利用で無料になる駐車場が閉鎖されており、慌てた。別の駐車場は満杯。列車の時間が迫っていたので、やむを得ず駅の傍の高額な駐車場に入れるほかなかった。今後は、東京往復は、新幹線ではなく、飛行機を利用することにした。



2014年9月12日
残業代未払社会・日本

 
残業代の未払いなどが問題となっている「たかの友梨ビューティクリニック」を経営する「不二ビューティ」(東京)は11日、「労働基準法の順守に全力を尽くす」とする文書を公表した。(朝日新聞デジタル)
 
ブラック企業に限らず、日本では、残業代の未払が当たり前になっている。残業代をきちんと払う会社の方が珍しいくらいだ。
 ある結婚式で祝辞を述べた○○省の新郎の上司の課長が、「仕事は深夜まであり、残業代は出ませんが、やりがいのある仕事です」と述べていた。これを聞いても誰も気に留めなかったようだ。誰もが、残業代が出ないのは、当たり前と思っているのだろうか?
 公務員の残業代未払いは当たり前である。私もかつて、公務員をしていたが、残業代は、一部しか出なかった。毎晩、午前0時を過ぎても仕事をしている公務員の場合、残業代をきちんと払えば、給料が基本給の2倍くらいになるのではないか。学校教員はもともと残業の観念がなく、夜間、休日に働いても賃金は出ない。公務員の給料を減らすことに快感を感じる国民は、公務員の給料が2倍に増えれば納得しないだろう。それだから、民間企業でも残業代未払が当たり前になる。公務員を叩くことは、民間企業の社員の待遇に跳ね返る。雇用する立場でいえば、できるだけ安い賃金で長時間働いてもらいたいと考えるのは当たり前であり、これを働く者(国民)が規制しなければ、ザルになる。
 国民がもっと賢く考えなければ、この国はよくなっていかないだろう。国民の間で互いに非難し合うだけでは、自分自身が困ることになる。
 

 
2014年9月2日
ドラマ「花子とアン」のフィクション性
 NHKドラマ「花子とアン」が人気を博している。私もこれを見ている。確かに、面白い。面白すぎて、「いくらなんでも、話ができすぎている」と思う場面があるが、たいていそういう場面はフィクションである。このドラマは実話に基づいているが、フィクションも多い。フィクションの部分は2割程度か、3割程度か、それはわからないが、ストーリーを面白くするために意図的にフィクションを混ぜている。どこまでが本当の話かわからない巧妙さがある。
 どうせドラマだから面白ければそれでよいではないかと言う人がいるが、多くの視聴者は、すべて「実話」だと思っている。実話だからこそ、視聴率が高いという面がある。これが、完全なフィクションであれば、ここまで視聴率は高くないのではないか。このような視聴者の誤信を利用して視聴率を稼ぐ手法はフェアーではない。また、視聴者に間違った知識を与えることになる。

 同様の問題は、新田次郎の小説「点の記」やその映画にもある。新田次郎の小説を実話だと誤信している人は多い。新田次郎は、実話を題材にして、ところどころ、適当に事実を変えて小説にした。事実を変えた部分は、重要な個所が多い。新田次郎には、そういう作品が多い。新田次郎は、「小説だから、事実はいくらでも変えてよい」と考えていたが、読者は、実話として小説を読む。これは、ある種の詐欺的な手法である。小説や映画の中で、作家によって改変され、利用される登場人物は、名誉を毀損されるケースもある。

 フイクションはフィクションとして、それを明示すべきである。「このドラマには、一部フィクションがあります」と明示すべきだろう。また、フィクション部分は、実在の人物と誤信されるような記述をすべきではない。
 これらの点が気にならない視聴者は、いかがなものか。


2014年8月31日
迷惑防止条例の拡大適用
 最近、衣類を着た女性の写真を撮っても、迷惑防止条例違反で逮捕されるケースがあるらしい。まるでイスラム教の国ですな。
男性の写真を撮っても、迷惑防止条例違反になることがありうる・・・・・・羞恥又は不安を覚えさせる態様で、衣類の上から撮影することは条例違反であり、そこでは、女性に限定されていない。もともと、迷惑防止条例の適用対象は非常に広い。羞恥心とか、不安とかいうのは漠然としており、単なる不快感も羞恥心に入ってしまうのではないか。
 無断で他人の写真をとれば、すべて逮捕というのは、行き過ぎではないか。恐くて、屋外の写真が撮れなくなる。
羞恥とか不安は内心のことなので、外部から見えない。そのため、条例の適用が無限定になる恐れがある。
 その結果、屋外の写真にたまたま女性が写っていれば、すべて逮捕ということになりかねない。なぜなら、写真に写った人が羞恥心を覚えたと苦情を言ったから・・・・・

 「街中の様子を撮ろうとしただけで、女性を写すつもりはありません」と言っても、「そんなことが通ると思うのか。女性が無断でカメラを向けられ、恥ずかしい思いをした言っている。とりあえず、署まで来てもらおう」
と警察官。そして、逮捕。否認すれば、20日間間の勾留。

江の川でカヤック

 
久しぶりにカヤックをした。3年振りくらい?


2014年8月
「責任回避社会の行方」・広島弁護士会会報97号


2014年8月
北アルプスでの遭難
 今年の盆に、北アルプスで何件かの遭難事故があった。
 そのうち、死亡した2人は広島県三次市にある山岳会に所属し、死亡した1人は福山山岳会の会員だった。
 私の事務所は広島県三次市にあるが、亡くなった2人とは面識がない。県北山の会の会員ということだが、この会については知っている。
 福山山岳会とは、時々、山で出会うことがあり、名越實氏の捜索でも協力してもらった。
 広島県居住者が3人、同時に亡くなったことはまったくの偶然だが、それだけ多くの人が広島から北アルプスに行っているということだろう。
 広島での土石災害があったので、事故後に、マスコミがこの遭難事故を取り上げることが少なかったが、そうでなければ、北アルプスでの遭難は、もっと、マスコミからひどく「叩かれて」いたことだろう。

 今年の盆は、私も、1人で気軽に山の中を放浪しようかと思っていたが、天候が悪いので中止した。それは、単に、雨の中を歩いても面白くないという理由からである。
 山では、何が起きるかわからない。亡くなった2人は、沢を渡渉中だったが、ロープを使用してもしなくても、安全に渡渉できるかどうかの判断は難しい。登山には、そのような難しい判断が常につきまとう。それが、登山なのだ。この日、天候が悪いので、山小屋での滞在を1日延ばしていれば、遭難はしなかっただろう。あるいは、川岸で水量が減るまで待つという方法もあった。都会でも、この種の判断ミスは多い。都会では、待機できずに大雨の中で行動しても、ずぶ濡れ程度ですむが、山では、生死の分かれ目になりやすい。
 

 

                            


「登山の法律学」、溝手康史、東京新聞出版局、2007年、定価1700円、電子書籍あり

                                

               
  
 「山岳事故の責任 登山の指針と紛争予防のために」、溝手康史、2015
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数90頁
        定価 1100円+税

                               

                      
  
 「真の自己実現をめざして 仕事や成果にとらわれない自己実現の道」、2014
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数226頁
        定価 700円+税