2017年 溝手康史 2018年1月 「登山者ための法律入門 山の法的トラブルを回避する 加害者・被害者にならないために」 (山と渓谷社) 972円 1月12日刊行 土地所有権を含む財産権の保障とその自由な行使が資本主義経済を支えている。しかし、ロバート・ライシュが述べるように、自由な市場をいかに規制するかが重要である。ヨーロッパでは財産権の行使や自由競争を制限する考え方が強い。しかし、日本やアメリカでは、自由競争の規制緩和が主流となっている。アウトドア活動の分野は、もともと、無法状態であり、強固な財産権の保障の前でアウトドア活動は、無力である。自然へのアクセスの問題は、自由な財産権の保障をどれだけ制限できるかという問題であり、自由競争の制限の問題である。 欧米ではこの問題が何十年も前から意識され、土地所有者とアウトドアでのレクレーションを求める庶民の間で闘争がくり返された。その結果、ヨーロッパでは、多くの国で自然へのアクセスの法的な権利が認められ、拡充されてきた。しかし、日本では、その点が意識されず、アウトドア活動が無法状態にある。無法状態では、事故が起きれば、簡単に制限・禁止できる。 2017年12月27日 トムラウシ事故ガイドら書類送検 2009年のトムラウシ事故についてガイドらが送検された。マスコミ何社かから取材があった。ガイドの刑事責任は明らかだが、注目されるのは、ツアー会社の元社長が送検されたことだ。起訴されるかどうかは未定だが、ツアー会社の社長が送検されるは初めてである。 一般に、ツアー会社の幹部はツアーに立ち会っていないので、事故に対して因果関係を持ちにくい。学校での山岳事故で引率していない教師や校長、那須の雪崩事故で現場にいなかった高体連の委員長、列車事故でのJR社長、原発事故の東電社長や総理大臣、津波被害における学校の校長や市長などは、刑事責任を問いにくい。民事責任は比較的広く認定されるが、刑事責任は謙抑性の原則がある。世論は、「悪い奴らをすべて処罰しろ」となりがちであるが、人間のミスに関する刑罰は限定が必要であり、どこかで線引きが必要である。 元社長が起訴されるかどうかはまったく不明であり、今後、注目される。 2017年12月16日 貴乃花が警察と検察を取り違え これは、よくある話。 「警察と検察」、「警視庁と警察庁、検察庁」、「消防庁と東京消防庁」、「弁護士と弁理士、司法書士」、「法律事務所と法務事務所」、「科料と過料」、「訴訟と調停」、「調停委員と裁判官、審判官」、「被告と被告人」、「刑事上の過失と民亊上の過失」、「法律と行政指導」などの違いを知らない人は多い。 そのようなことを指摘すると、多くの裁判官は、「そんなことはないでしょう」と言って信じないようだ。法律家の常識は、法律家の間でしか通用しない。 「弁護士から○○と言われた」と言う人がいたので調べて見たら、その人の言う「弁護士」とは法務事務所の司法書士だった。 「調停時に、裁判官から○○と言われた」という人がいたので、調べてみたら、その人の言う「裁判官」とは、調停委員のことだった。調停委員は法律の素人であることが多いが、それを知らない国民が多い。 相談者が「裁判で決まった」と言うので調べてみたら、調停で合意したのだった。相談者は、自分で合意したという自覚がなく、「裁判所が決めた」と理解していた。調停を裁判だと考えている人は多い。国民の半分は、調停と裁判の違いがよくわからないのではないか。 新聞記者は、刑事裁判の被告人のことを「被告」と記事に書く(これは間違いである)。 民亊、刑事、家事と言ってもフツーの人にはわからない。家事事件を、火事のことだと思う人が多いようだ。学校の教師でも、家事事件の意味を知らない。学校の教師からも、「債権者とは何ですか」という質問を受ける。これでは、学校で消費者教育はできない。教師は学生時代に大学で、消費者、法律、事故のリスクマネジメント、野外活動などを学ぶ学ぶ必要がある。 問題は、多くの国民が、法律を知らないことを当たり前だと考えている点である。法律は、「お上」や一部の専門家だけのものだと考えている人が多い。しかし、「法律を知らないことで不利益を受けるのはあなたたちですよ」と言いたい。ここでいう「あなたたち」は国民をさしている。 2017年12月15日 「増税ラッシュ、佐川長官に怒りの声」というマスコミ記事のおかしさ この記事のタイトルを見て、??と感じる人がどれだけいるだろうか。 増税は、法律に基づくのであり、法律は国会で決まる。それを決めるのは、首相や自民党である。それを支えるのは、選挙の結果であり、国民の投票である。官僚は、国会が決めたことを執行するだけであり、官僚を動かすのは政治家である。さきの選挙で自民党が「大勝」したことが大増税につながった。佐川氏は増税とは何の関係もない。増税をもたらしたものは、選挙結果である。佐川氏への批判は、政府に対する不満をかわす役割を果たす。ある種のスケープゴート。ヒットラーが、当時の国民の不満を諸外国やユダヤ人に向けさせたように、あるいは、江戸時代に農民の幕府への不満を商人に向けさせたように、為政者は常に庶民の攻撃先を作出する。政府への不満を公務員個人への非難に切り替え、公務員の首を切って決着させる。 森友学園問題で佐川氏は首相や政府の意向に忠実に従っただけで、それに従わなければ、自分が左遷させられるだけである。主君に忠実な官僚。主君に忠実な役人は、忠臣蔵では殺人罪さえ犯しても、国民から賞賛されるのだが。表面的な現象を見て情緒的に反応し、しばらくたてば、忘れてしまう国民が多い。増税に国民が不満を持っても、次の選挙の時には国民は増税のことは忘れているだろう。税金の使い道を考えずに国民は選挙で投票をしている。それが、日本と北欧などの先進国の違いである。 2017年12月13日 伊方原発運転差止決定 この決定を出した広島高裁の裁判長は、知っている人だが、これまでに、行政側敗訴の判決を多数出している。もし、そのような判決をだしていなければ、高裁長官になってもおかしくなかっただろう。地裁所長をした後に現場の裁判官に復帰したのは、裁判所の出世コースにいることを自ら拒否したのだろう。間もなく定年退官なので、国民向けの退職時の置き土産といったところか。 2017年12月9日 富士山、ヘリ救助中の落下事故判決 京都地裁平成29年12月7日判決は、遭難者のつり上げ中の落下について消防隊員に過失がなかったと判断をし、静岡市の損害賠償責任を否定した。 判決文を見なければ詳細は不明だが、つり上げ用具の選定が適切かどうかが裁判の争点だったようである。 2017年12月6日 NHK受信料・最高裁判決 「やはり」という感想の判決。最高裁の判断は政治的、政策的なものである。最高裁は政治には逆らえない。それはあらかじめ予想されたことだ。代理人弁護士は、ほとんど弁護士費用をもらわずに、ボランティアで裁判をしたのだろうが、最高裁で争うことは賢明な方法ではなかった。 2017年12月5日 トムラウシ事故の送検 2009年のトムラウシのツアー登山事故について、近日中にツアー会社の関係者が送検されるらしい。マスコミから何件か取材があった。仮に送検されても、起訴されるかどうかはわからない。たとえ公判請求がなされても、判決は執行猶予付きの刑になるだろう。過去の山岳事故の裁判の有罪判決はすべて執行猶予付きの禁錮である。 日馬富士の事件 マスコミ大騒ぎしているが、略式起訴されて罰金になるだろう。事件としては軽微な事件である。 2017年12月4日 NHK受信料問題 12月6日の最高裁判決の前のコメント テレビを設置したら自動的にNHKの受信料が発生するというのはおかしい。NHKの利用を強制することになるからである。現在のNHK受信料は、設置料であって受信料ではない。テレビを設置して設置料が生じるのはわかるが、受信可能であっても受信を拒否する自由がある。「NHKを見ること」を国家は強制できない。強制的にテレビ設置料を徴収することは、税金にほかならない。たばこ税や酒税、ガソリン税などと同じである。それは、テレビがぜいたく品だから課税するということか?なぜ、テレビだけ課税するのか?とれるところから取るのが日本の税金。それは江戸時代から変わらない。 NHKが映らないテレビを製造すべきではないか。たぶん、かなり売れるだろう。それは国が許さないか? テレビ購入者からテレビ税、放送税を徴収する方法はNHKを国営にする必要があるだろう。 現在、受信料の多くが、高額なNHKの職員の給料に使われている。受信料が税金になれば、NHKは国営になり、給料は公務員のレベルに下がる。 2017年11月24日 国際自然環境アウトドア専門学校(新潟県・妙高市)で講義 午前4時過ぎに家を出て、東京経由で妙高市で3時間講義をした。日本でアウトドア活動を教えている専門学校は、ここしかないとのこと。それにしても、広島から妙高市までは遠かった! が、一日で往復可能という点は驚きだ。 六甲山を歩く この日、日帰りできないことはなかったが、神戸で新幹線を下車し、25日に六甲山を縦走した。9時間歩いた。六甲山では1年間に何十人も遭難しており、遭難が多いのはなぜなのかという点を自分の目で確かめる必要があった。 縦走路は、車道を歩いたり車道に沿った整備された歩道を歩くもので、はっきりいってつまらない。しかし、登山口から稜線に出るまでは尾根や沢が入り組んでおり、通常の登山を楽しむことができる。市街地のすぐのそばにこれほど地形の複雑な山があることに驚かされる。六甲山の地形は興味深い。広島市でも、武田山などは、市街地から登山道が始まり、六甲山と違って自然の山の中を縦走できるが、六甲山ほど地形が複雑ではないので、たとえ道に迷っても市街地に出やすい。六甲山は、山頂や稜線は観光地だが、山麓は自然が残され、地形が複雑で道迷いしやすい。リスクのある登山道と観光地のハイキング道が混在している点が、事故につながるのだろう。初心者が熟練者向きの登山道に入りやすいことが遭難につながるのだろう。熟練者と言っても、山歩きの熟練者と登攀の熟練者を区別する必要がある。山が危険だから遭難するのではなく、自分のレベルを超える登山をするから遭難するのである。 ![]() ![]() ![]() 2017年11月23日 自然の中を歩く権利、Rights to roam イギリスでは、歩く権利はフットパスを歩く権利だと思っていたが、そうではなかった。2000年に、Countryside and Rights of Wayという法律が制定され、フットパス以外の場所でも、歩く権利が認められた。スコットランドでは、この権利は、サイクリングやキャンプの権利を含む。北アイルランドは、土地所有者の政治的な力が強く、ヨ−ロッパの中でもっともこの権利が保障されていない国とされている。先進国の多くが、この権利を保障している。多くチェコスロバキアでも、自然を利用する権利がする権利が認められているが、道以外の場所での森の通行通行はできない。自由な市場の規制が少なく、財産権の保障の厚いアメリカでも、レクレーション法でアウトドア活動が保障されている(ただし、私有地での規制は強い)。 日本は、先進国の中ではもっともアウトドア活動の法的保障のない国だが、法律に基づいて運用されていないので、アウトドア活動が目立たなければ事実上どこでもできる場合が多いという不思議な国だ。目立てば叩かれる。 2017年11月18日 破産事件は増えたのか? 平成27年の破産事件数が増加したことがマスコミで取り上げられている。これが、「破産が多い」という間違ったイメージをもたらしやすい。平成27年にほんのわずか破産事件数が増えたが、6万4000件であり、平成15年の25万2000件に較べれば、激減している。 平成15年以降破産事件が減った理由がよくわからないという意見があるが弁護士の利息制限法による計算が一般化し、過払金請求や債務整理を手がける弁護士が増えたこと、裁判所が破産債権に関して利息制限法計算を求めるようになったことなどが関係しているだろう。平成15年以前は、債務整理対象者でも破産申立をした方が簡単で弁護士の収入にもなるので、破産申立をする弁護士が多く、裁判所もそれを容認していた。しかし、裁判所の破産事件数があまりに増えすぎたので、裁判所が破産債権のチェックにうるさくなったということである。その後は、貸金業法改正や貸し出し規制が破産事件数の減少に影響している。 現在、社会の格差が拡大しつつあり、今後、破産事件数はほんのわずかだが、増える可能性がある。非正規雇用者や高齢者の破産は若干増えるだろうが、あくまで破産が激減していることにかわりはない。 2017年11月17日 韓国と北欧の違い 韓国では政府高官が不正行為で続々と逮捕されている。韓国と北欧、ドイツ、スイスなどの違いのひとつに、法の支配の有無、コンンプライアンスの有無がある。韓国では、法律はあくまでタテマエであって、実態は、コネ、情実、利権、血縁関係、人間関係によって政治、経済、社会が動いている。それが、社会の効率の悪さや生産性に影響している。日本、中国も、韓国と似たようなものである。世の中は法律では動いていない。たとえば、日本では、職場の上司から飲食を誘われてそれを断ると昇進に影響しやすいが、欧米ではそのようなことはない。それが法的なコンプライアンスである。協調性を重視するだけの企業は、生産性に劣り、グローバルな競争に勝てない。 2017年11月14日 埼玉県の防災ヘリの有料化の範囲 埼玉県の防災ヘリの有料化は、条例上は、「県の区域内の山岳において遭難し」、防災ヘリの救助を求めた者とされているが、それをl規則で、山頂から〇〇キロメートル以内の山域に限定している。条例上は、すべての山岳を含むが、それを議会を通さない規則で制限するというおかしな仕組みになっている。議会は山岳でのすべての防災ヘリを有料化したのだが、県知事がその適用範囲を制限したことになる。 おそらく、条例を執行する知事部局としては、「有料化の範囲が特定されなければ、行政の執行ができない」と考えたのではなかろうか。条例に、登山者の除外については告示に委ねるという条例の規定になっているが、山岳の範囲の指定をを規則に委ねるという委任規定はない。ヘリ有料化の範囲は条例の核心をなす部分であるから、有料化の範囲は条例で明確にするする必要があり、有料化の範囲を議会が知事に丸投げすることはできない。 岐阜県の登山届け出条例で規制範囲を条例に明記したのは、そのためである。埼玉県の条例でも、岐阜県条例のように、条例に別表をつける必要があった。しかし、岐阜県条例では別表記載の区域が危険であることが、危険区域での登山届け出を義務づける理由になったが、埼玉県では、別表記載の区域でヘリを有料にする理由は、「別表記載の区域で山岳事故が多く、ヘリの安易な要請が多い」ことが理由になりそうだが、それは事実か? いずれにしても条例に別表がついていないので、有料化の範囲について議会で議論がなされていない。議会のコントロールの欠如。 埼玉県では、条例ではなく規則(これは、議会の議決は不要)によってヘリが有料化される区域が決定される。さらに、遭難者が移動した場合、どこが遭難場所なのかという問題がある。東京都の区域で遭難し、埼玉県内に移動した場合、どうなるのか。ヘリのピックアップ地点が遭難場所であれば、できるだけ山頂から離れた場所に移動してピックアップしてもらえば無料になる。遭難者は稜線に引き返せばヘリが有料になり、沢を下降すればヘリが無料になる。これでは、危険な下降を勧めて遭難を助長するようなものだ。山頂からかなり離れた場所での遭難は、有料化の対象とならない。観光客、釣り人、山菜取り、研究者等も規制区域ではヘリは有料である。 規制区域外ではどんなにヘリを悪用しても無料であるが、規制区域では正当なヘリの利用は有料である。川や海では、安易な事故でもヘリは無料である。GPSが普及しているので、ヘリ有料化の範囲があらかじめデータとして入力されていれば便利かもしれない。そんなソフトが出るかもしれない。 ヘリ有料化の効果はほとんどなく、今後、埼玉県に年間20〜30万円の収入が入るかもしれないが、ヘリの悪用防止にはならないし、今後、ヘリの事故が起きるかもしれない。無意味な条例だが、埼玉県がこの条例で一躍有名になったことは間違いない。埼玉県議会の自己満足と政治的パフォ−マンスの面が大きいのだろう。 まったくおかしな条例である。こんな条例を制定するようでは、トランプの出すおかしな命令と大差ない。おかしな世の中になったものだ。 2017年11月12日 ボランティア活動について すぐれた仕事はボランティア活動、ボランティア的活動によってなされることが多い。 ボランティア活動をするには、収入を得る生業が必要である。ボランティア活動は生業ではない。なぜなら、ボランティア活動では収入を得られないから。弁護士のすぐれた仕事も、しばしば、ボランティア的に行われる。配偶者の収入や年金収入のある弁護士は、ボランティア的にすぐれた仕事をすることが可能だろう。 研究者も、すぐれた仕事はボランティア的である。すぐれた研究で収入を得ることは難しい。大学の教師が受け取る給料は、研究の対価ではなく大学で学生を教えることの対価である。すぐれた研究をしてもしなくても、給料はもらえる。優れた研究=収入ではない。 作家はすぐれた作品を書くから収入を得るのではない。作品が売れるから収入を得るのである。すぐれた作品=収入ではない。 2017年11月10日 タイでのツアー中の事故 11月8日、タイでツアー中に自動車事故で日本人4人が亡くなった。事故の原因は、自動車の運転手の運転ミスにあるようだ。 事故の損害賠償はどうなるのだろうか。 海外旅行での死亡事故の場合、ツアー会社は1人について2500万円を支払う特別補償金制度がある。しかし、これを超える金額の補償の義務はツアー会社にはない。ツアー会社に事故の責任があるかといえば、過去の裁判例からすれば、否定される。通常、自動車の運転手はツアー会社の社員ではなく、現地業者に委託しただけであり、ツアー会社に使用者責任は生じない。ツアー会社が事故を予見することも無理であり、過失がない。パック旅行中のバス事故について、ツアー会社の責任を否定する裁判例が多数ある。学校教育の場では、ツアーを業者に丸投げしたケースで、ツアー業者を学校の履行補助者と認定して学校の損害賠償責任を認定した裁判例がある(カヌー実習)の事例。通常の観光旅行では、委託した現地業者(輸送業者、オプショナルツアー業者)は日本のツアー会社の履行補助者として認められていない。学校教育の場では生徒は保護の対象だが、観光旅行では観光客は保護の対象ではないようだ。 旅行者は現地の運転手やタイの業者に損害賠償請求をするほかないが、おそらく支払い能力が不十分だろう。タイの自動車保険制度がどうなっているのか調べる必要がある。 本来、ツアー会社は、パック旅行の前にそのようなリスクを説明する必要がある。事故がが起きても、特別補償金しか出ませんよ、と。それをしないことが多い。日本では、交通事故で損害賠償を受けるのが当たり前だが、海外旅行ではそうではない。それが海外旅行のリスクである。 2017年11月9日 九州大学でのアウトドアの正課実習中の事故 平成成28年9月6日に、九州大学総合科目「フィールド科学研究入門“屋久島プログラム”」実施期間中に、大学生が屋久島の安房川で亡くなった。大学から事故報告書が公表されている。大学の正課実習中の事故としては、平成20年の愛知大学の栂池高原スキー事故がある。この事故については、裁判で引率教師が執行猶予つきの禁錮刑の判決を受けた。民亊上は、大学が損害賠償賞金を支払ったと思われる(裁判になっていない)。 大学の正課授業中の事故については、引率教員に安全管理義務があり、大学の責任が認められやすい。屋久島での事故についても、大学の報告書を読む限り、大学の法的責任はまぬかれないだろう。刑事責任については、引率教師の過失を認定することは可能だろうが、自然のリスクがもたらす場面では刑事責任が生じる範囲を限定すべきである。すべてのミスに関して刑事責任を追及すれば、自然の中での文化的活動ができなくなる。日本は、過失事故の刑事処罰の範囲が欧米よりも広い傾向がある。医師の刑事事件、山岳ガイドの刑事事件など。 近年、大学の成果授業としてフィールドワークが増えており、そこには、大学構内や街中での実習とちがって、自然がもたらすリスクがある。自然の中では、そのリスクを管理できる能力が求められる。大学では研究者の水難事故なども起きており(東京大学での事故など)、実験室とアウトドアの違いを理解する必要がある。 アウトドア活動のリスク回避については、訓練を要する能力が必要である。リスク回避の能力が欠ける場合には、「アウトドア活動をしない」という選択になる。屋久島のケースでは、「安房川で学生を泳がせない」という方法である。このようにすれば、引率者に「川での遊泳で事故のリスクを回避する能力」は不要である。リスク回避の能力の欠如を自覚しない引率者が多い。小、中、高校の授業中の事故は、だいたいすべて、そうである。 大学の正課実習と違って、大学のクラブ活動は大学生の自律的な活動であり、大学が負う安全管理責任の範囲は限られ、大学生の自己責任が原則となる。法的には大学生は大人として扱われる。学生であっても、クラブ活動では、「自分の命は自分で守る」という自立性が求められる。そこまで考えてクラブ活動をする大学生がどれだけいるだろうか。高校生の時から自立性を養う教育をしなければ、選挙権だけを与えても、また、大学生の管理を強化するだけでは、そのような自立は無理ではなかろうか。 あらゆる活動にリスクがあるが、特にアウトドア活動には、自然がもたらすリスクがある。リスクを理解し、リスクを承認し、リスクをコントロールすることが大切だが、それが無理であれば自重することが必要である。 自然のリスクをどこまでコントロールできるかを判断することが大切だが、それが難しい。そのため、小学校では、「川にに近づくな」という指導になるが、生涯、川に近づかない生活はできない。どこかで川のリスクを学ぶ必要がある。それを教えるのはどこか。日本では、川のリスクを教える場がない。 2017年11月8日 てるみクラブの倒産 てるみクラブの倒産の背後に過剰な競争がある。詐欺事件がlクロ−ズアップされるが、詐欺がなくても、倒産すれば、多くの消費者被害が出る。政府が過剰に旅行会社を認可することが過剰な競争をもたらし、それが倒産につながる。市場が限られているのに、多数の企業が濫立すれば倒産するのは当然である。ある程度の倒産を見込んだ競争社会である。野放しの低価格競争が倒産をもたらす。 長距離バスツアー会社は、倒産だけでなく、事故をもたらす。ツアー登山でも、事故と倒産を繰り返している。 タクシー会社が濫立すれば、倒産する。タクシー会社の労働環境の悪さがタクシー運転手の質の低下や乱暴な運転を招いている。タクシーは、突然の車線変更、強引な割り込み、急停止、急加速をすることが多く、事故も多い。 薬局、小売店も倒産する。 予備校や塾が濫立すれば、倒産する。 不動産業者も倒産している。 倒産する住宅建設業者とマンション販売会社、団地造成業者。欠陥住宅の被害者は多い。 介護施設や福祉施設の競争は、劣悪な労働環境と介護環境をもたらし、多くの事件や事故をもたらす。 獣医学部もどんどん作れば、いずれ獣医学部がつぶれるだろう。加計学園一校だけならそれほどではないのかもしれない。うまくやったものだ。 政府は大学院を過剰に作り、食えない博士を増やしてきた。教育大学院、会計大学院で国民から金を吸い取る。 法科大学院を濫立させ、食えない弁護士を増やしたため、多くの法科大学院がつぶれつつある。 大学の数を増やして就職できない学士を増やした。多くの大学が淘汰されつつある。 日本ではほとんどの資格が過剰であるが、それは過剰に作り出すからである。濫立しないのは、医師だけである。医師連盟の政治献金のたまものか。資格と税金のばらまきで国と国民の借金が増えていく。 そのような政策は大学や企業にとって都合がよいが、被害を受けるのは国民である。過剰な競争が一部の者に巨万の富をもたらす。自由競争を適正に規制するのは政府の役割だが、政府は規制緩和政策をとっている。そのような政府を国民は選挙で選択し、リスクを選択した。てるみクラブの被害者はあくまで社会的少数者であり、選挙に影響しないのだろう。賢明な政府は賢明な国民に宿る。 2017年11月2日 田舎が住みにくい理由 ・仕事が少ないこと、賃金格差。公務員の正規と臨時の賃金格差 ・水道料、下水料が高い。1か月に1万2000円くらいかかる。これだけをとっても、「自治体選びに失敗した」と考えてしまう。 ・保育料が高い。これでは若者は住めませんね。 ・ゴミ回収費用がかかること。ゴミ回収袋は1袋が数百円もする。これだけでも、田舎に住まない方がよいのでは? ・福利厚生面で都会に劣ること ・地域の義務的な行事、役職が多いこと ・人間関係が窮屈で、地域が閉鎖的であること。排他的であること ・慣習に縛られ、新しいことを受け入れにくいこと ・学校、文化施設などの不十分さ 田舎では、現金収入が少なくても暮らしやすい点をアピールすべきだが、現実には、家賃を除けば、田舎の自治体では、福利厚生費が高く、自治体サービスを受けるのに手間取ることが多い。田舎の自治体は、年金生活者が増えることを歓迎しない。年収のない資産家も歓迎されない。住民税が入らず、介護サービスが増えるからである。若者の移住者を歓迎するが、若者の仕事が少なく、保育料が高く、排他的であり、よそ者が住みにくい。 田舎では教育熱が強く、自治体が進学塾を設置したりしている。田舎の塾に通うくらいなら、都会に住んだ方がよいのではないか。そのようにして育った子供は、大きくなれば都会に流出するだろう。 農業や林業で雇用創出を考える必要があるが、実際には、自治体は、企業誘致や観光業に多額の税金を投入し、失敗している。全国の田舎の自治体がどこもかしこも工場を誘致し、観光客を呼び込もうとしているが、企業と観光客の数が限られているので、すべての自治体の思惑を実現するのは無理である。田舎で工場勤めをするために、都会から田舎に移住する人がどれだけいるだろうか。 田舎の自治体は、表面的には移住者を歓迎するが、実態としては住みにくい。田舎の人口が急速に減少しているのは、経済的な面を含めて田舎に住む魅力やメリットが乏しいからである。年金生活者や年収のない資産家は田舎でも暮らしやすい。 「総務省「田園回帰に関する調査研究会」の中間発表というものがある。2005〜2010年のデータをもとにしているのだが、その5年間で約27万人が都市部から過疎地域へ移住していることがわかる。」という記事があった。1年間に54,000人では大勢に影響しない。都会への流入者の方がはるかに多い。さらに、おそらく、ここでいう過疎地地域は比較便利な田舎であり、限界集落などは含まないだろう。都会から近い比較的便利な田舎は今後人口が増える可能性があるが、本当の過疎地は、いずれ集落や自治体が消滅するだろう。すでに消滅した自治体は多い。 2017年10月23日 プロ野球広島ーDeNA戦の感想・・・・リスクマネジメントとは何か 広島の監督は、選手の状態を見て臨機応変に判断せず、情緒的なパターン化した采配の傾向がある。昨年の日本シリーズとまったく同じであり、去年もまったく同じことを書いた。 この点、DeNAの監督は有能だ。DeNAの監督はダメージを受ける前に(点をとられる前に)早目にピッチャーを代えようとするが、広島の監督はダメージを受けてから(点を取られてから)ピッチャーを代える。ダメージは目に見えるのでそれほど考えなくても判断しやすいが、ダメージを受ける前に判断をするには考えなければならない。 リスクは、ダメージが生じる可能性をさす。ダメージが生じる前に対処する方法とダメージが生じた後に対処する方法の違い。両監督の采配は対照的である。采配が的中するかどうかの問題ではなく、リスクマネジメントの考え方の違いである。 登山では、ダメージを受けてから、たとえば、転落事故が起きてから手を打ったのでは手遅れである。野球ではダメージを受けても人が死ぬことがないが、登山ではダメージ=死である。登山では、ダメージが生じる前に対処しなければならない。 日本では、ダメージ、実害、事故が生じた後に重い腰を上げて対処する方法がとられることが多い。自然災害、原発事故、ツアーバス事故、イジメ、過労死などがその例である。事故が起きた後でも関係者が見て見ぬふりをすることも多い。前例踏襲のパターンで動く日本の社会では、リスクに機敏に対応して臨機応変に対処するには、かなりの勇気と思考力がいる。前例踏襲のパターンの中で育った者は、それからの脱却が難しい。 ダメージが生じてから対処するのは、リスクマネジメントではない。リスクマネジメントはリスクが現実化することを防ぐことを意味する。日本では、リスクマネジメントが軽視される。日本では、リスクから目をそむけて安心を得ようとする傾向があり、それが政治的スローガンになる。欧米では、リスクの現実化を防止する考え方が当たり前である。大リーグの指導者やラミレス監督の考え方がその例である。大リーグでは、データに基づいて選手を交代させ、短期決戦ではペナントレースの先発投手を中継ぎで起用したり、抑えで使ったりする。 ヒヤリハットから学ぶことがリスクマネジメントの能力を養ってくれる。野球でも、たまたま運よく打たれなかった場合でも、ヒヤリとさせられた場面から学ぶことが大切なのだが、それをしない指導者が多い。「打たれなくてよかった」と考えたり、自分の采配に自信を持つといずれ失敗する。誰でも不快な体験は早く忘れたいものだ。ヒヤリとする体験は不快な経験のひとつである。 リスクに対処するする臨機応変の判断ができるためには、経験と考える力が必要である。それは誰でもできることではないが、指導者やリーダーにはそれが必要である。リスクに対処できる者でなければツアーガイドになるべきではない。 野球では、監督の采配が的中したかどうかという評価がなされるが、登山の引率者は、采配が当たるかどうかという考え方をしてはならない。いずれの場合も、リスクを回避することが、ダメージを防ぐことにつながる。 指導者以外の一般人の場合、経験がない人はどうすればよいのか? リスクマネジメントの能力がなければ、登山や野球ができないということではない。指導者以外の人は誰でも専門家ではない。最初は誰でも初心者であり、すぐに経験を積むのは無理である。経験、判断力に欠ける場合は、リスクを犯さないという方法になる。登山では自分の能力を超える登山をしないこと、ツアー登山などでは、少しでも調子が悪ければ、すぐに下山させる方法になる。経験の足りない者が経験者と同じことをすれば、失敗する。 リスク回避力の不足する指導者の場合、参謀、アドバイザー、顧問からのアドバイスが重要である。周囲がイエスマンばかりであれば失敗する。日本の組織はイエスマンで固める傾向がある。おそらく、野球も同じだろう。登山でも野球でも科学性が必要である。DeNAの監督は、データを重視する科学的野球、広島の監督はパターン化された勝利の方程式野球であり、後者は、マニュアルがあると安心する日本人に歓迎される。日本では、リスクマネジメントが嫌われる。リスクマネジメントの話をすると、非難されているように感じるらしく、「そんなに責めないでください」と言われることがある。そういう人は、失敗するとひどく落ち込み、自分を非難する。日本人にうつ病が多いのは、リスクマネジメントの欠如と無関係ではないのだろう。 一般に、勝つための野球はドラマが少なく面白みに欠ける。それは事故を防ぐための登山がドラマが少なく面白みに欠けるのと同じである。登山におけるドラマとは遭難である。遭難事故が起きて一斉に非難する対象があることを心のどこかで歓迎する人たちが国民の中にいないわけではない。 野球と登山は関係ないと考える人が多いが、人間行動としての共通性がある。登山は頭を使うスポーツだが、野球も同じだろう。特に、指導者はそうである。 2017年10月23日 衆議院選挙 選挙の結果、自民、公明の政府与党が衆議院の議席の3分の2を占めた。国民の25パーセントしか自民党に投票していないが、自民党が議席の75パーセントを占めた。選挙で投票をしないのは不信任のあらわれだが、結果的に与党を支持する効果をもたらす。 政府与党が議席の多数を占めるのは、現在の小選挙区制のおかげであり、国民から支持を得ていることにはならない。国民の一部の支持しか得ていないのに選挙制度の結果、政権が強大な権限をふるう状況は発展途上国では珍しくない。 いずれ、日本は事実上、破産するが、できれば、私が死んだ後にしてほしい。 今後、原発事故は必ず起きるが、事故が大規模かどうかは、その時の運次第である。確率的に人間は必ずミスを犯すから。 富士山は必ず噴火分するが、できれば、私が死んだ後に起きてほしい。 今後、戦争が起きる可能性が高いが、できれば私が生きている間に起きてほしくない。 自然災害は必ず起きるが、これも確率の問題。 これらに対処するのがリスクマネジメントである。 「安心と安全」の政治的スローガンは、慢心と事故・災害につながる。 これらをどするかは、民主制のもとでは、国民が選挙で選択するほかない問題なのだが、・・・ 2017年10月19日 アディーレの業務停止による混乱 法律事務所のアディ−レが業務停止を受けて混乱が生じていることがマスコミで過剰に報道されている。しかし、旅行会社、不動産会社、証券会社、保険会社、サラ金などが倒産をすれば混乱はもっと大きいのであり、アディーレ関係の混乱はそれらほどではない。大企業を含めた企業の不正は日常茶飯事であり、法律事務所が一般企業と同様に競争が激しくなれば、さまざまな問題が生じることは避けられない。個人事務所でも業務停止を受ける弁護士は多く、混乱の程度がアディーレほどではないだけのことだ。 アメリカでは、街中のいたるところに、「着手金無料で損害賠償金をとってあげますよ」という弁護士の広告が氾濫しているらしい。アメリカでは裁判をする人が多く弁護士も多いが、日本では、裁判をする人が少なく裁判件数も減っているのに弁護士の数を増やした。過払い金請求事件が大幅に減った現在では、アディーレのような法律事務所の広告が過剰になる。東京の法律事務所が地方の田舎でも派手な広告をしている。 最近、弁護士の過剰広告が蔓延している中でアディ−レがたまたま見せしめとしてやり玉にあげられた面はあるだろう。残業ただ働きの見せしめとして電通が起訴されたのと同じである。「どこでもやっているのに、なぜ、うちだけが?」という思いが電通にはあるだろう。アディーレも同じである。「期間限定セール」は多くの企業や販売店でもやっているのに、なぜ、弁護士会だけが過剰広告に重い処分をするのか? この程度?のことではどこでもやっているではないか。処分が重すぎるなどの声がある。 どこでもやっていることがまさに問題なのだが、アディーレを重い処分にし、「法律事務所は一般企業や個人商店とはちがいますよ」と、弁護士会全体の信用を維持しようという狙いが弁護士会にはあるだろう。不都合な部分を切り捨てて身内を守ることは、どの組織でも行うことだ。弁護士会よ、お前もか。 2017年10月18日 遭難をなくすつどい(京都市、京都府山岳連盟)、講演「山岳事故の法的責」 |