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  登山道の管理責任

(要旨)
 登山道の管理責任(損害賠償責任)は、登山道が「通常備えるべき安全性」を欠いている場合に生じる。 登山道の「通常備えるべき安全性」の内容は、登山道の形態によって異なる。登山道には、遊歩道、鎖や梯子で整備された登山道、経験者向きの登山道、自然状態に近い登山道などの形態がある。遊歩道の場合には一般の道路と同じく重い管理責任が生じ、自然状態に近い登山道では管理責任は軽い。
 登山のスタイルは登山者の文化的欲求に基づいて多様であり、それに応じて登山道の形態も多様である。登山道の形態によって登山道が想定している危険性の程度に違いがあり、管理者の管理責任の範囲と登山者の自己責任の範囲が異なる。
 登山のスタイルが多様であること、登山道が多様であるべきこと、登山道の管理=整備ではないことを前提に、登山道の形態を区分して管理を行う必要がある。

1、問題の所在
 登山道で崖崩れ、落石、梯子や鎖の崩壊などにより事故が生じた場合に登山道の管理責任が生じるのか、生じる場合に誰が責任を負うのかという問題が生じる。
 2005年5月8日に白馬岳の大雪渓で大規模な崩落事故があり、登山者1人が死亡、1人が重傷を負った(注1)。2006年には、十和田八幡平国立公園内の城ケ倉渓流歩道の落石死亡事故で、管理していた市の担当課長が事故防止策が不十分だったとして業務上過失致死容疑で書類送検された(注2)。関係者や専門家の間で、「予測できない自然事故で責任を問われるのであれば、歩道を閉鎖するしかない」という意見が生じる。妙義山では、転落滑落事故が多いことから、登山道の鎖を撤去して、登山道を事実上閉鎖することが警察から提案され、議論を呼んでいる(注3)
 登山道の管理責任を考える前提として、登山道とは何か、登山道の管理者が誰かという点が問題になる。
 日本語の登山の範囲は広く、登山道の範囲も広い。登山道は、遊歩道、ハイキング道、トレッキング道、ガレ場や雪渓上のルートなど、およそ登山に使用される道をすべて含んでいる。
 登山道の設置者、所有者、管理者が曖昧な場合が多く、これが登山道の管理責任の問題を難しくする。一般にあらゆる土地の所有者は定まっているが、自然状態の山岳地帯はもともと所有権の観念に馴染みにくい。土地所有権は土地に資本を投下して管理することから生じたという歴史的経緯があり(注4)、資本投下や管理のされていない砂漠、不毛の山岳地帯、深海の海底、海の岩礁などは、所有権の対象として考えにくい。管理権は所有権から派生する権限であり、管理責任は管理権と密接な関係がある。
 さらに、山岳地帯にある登山道は都会の道路に較べれば管理の困難な面があること、山岳地帯の登山道では一定の危険性のあることを予測すべきことなどが管理責任の内容に影響する。
登山道に限らず、管理責任に対する国民の意識が高まっており、それに対応した管理が必要である。

2、裁判例
 登山道の管理責任(工作物責任、営造物責任)に関して、以下の裁判例がある。
@国立公園内の周回路の架け橋から観光客が転落して死亡した事故について、架け橋の営造物責任を肯定。大阪地裁昭和46年12月7日判決(判例時報662号66頁、判例タイムズ272号167頁)。大阪高裁昭和48年5月30日判決。最高裁昭和50年11月28日判決 
A国立公園内(西沢渓谷)の歩道の柵が折損してハイカーが転落した事故について、歩道の営造物責任を肯定。東京地裁昭和53年9月18日判決(判例時報903号28頁、判例タイムズ377号103頁)。  
B国立公園内を散策中の観光客が地盤が陥没して負傷した事故について、危険箇所への立入禁止の立札をしなかったこと、防護柵を設置しなかったことについて営造物責任を肯定。広島高裁昭和57年8月31日判決(判例時報1065号144頁)。なお1審の広島地裁呉支部昭和54年4月25日判決(判例時報936号101頁)は、事故のあった場所は公の営造物にあたらないとして営造物責任を否定。
C国立公園内(大台ヶ原)の吊り橋から登山者が転落して死亡した事故について、吊り橋の営造物責任を肯定。神戸地裁昭和58年12月20日判決(判例時報1105号107頁、判例タイムズ513号197頁)。大阪高裁昭和60年4月26日判決(判例時報1166号67頁)。最高裁平成元年10月26日判決(判例時報1336号99頁、判例タイムズ717号96頁)。
Dえびの高原の遊歩道外の場所を散策中の観光客が地盤が陥没して負傷した事故について、遊歩道の営造物責任を否定。福岡地裁平成4年4月24日判決(判例タイムズ791号116頁)。福岡高裁平成5年11月29日判決(判例タイムズ855号194頁)
E立山の地獄谷の遊歩道付近の湯だまりで入浴した登山者が有毒ガスを吸引して死亡した事故について、遊歩道の営造物責任を否定。広島高裁平成11年9月30日判決(注5) 
F国立公園内の奥入瀬渓谷の遊歩道付近の休憩場所で上から落ちてきた木の枝で観光客が負傷した事故について、遊歩道の管理責任を肯定。東京地裁平成18年4月7日判決(奥入瀬渓流事故、判例時報1931号83頁)。東京高裁平成19年1月17日判決(判例タイムズ1246号122頁)。最高裁平成21年2月5日判決。

3、登山道の管理責任
(1)法律の仕組み
登山道における管理責任として問題になるのは、工作物責任と営造物責任である。
登山道が公的利用に供されている場合、「公の営造物」の「設置・管理の瑕疵」があれば損害賠償責任が生じる(営造物責任、国家賠償法2条)。「公の営造物」は自然物を含み、公的利用に供されている橋、鎖、柵、登山道は「公の営造物」である。「設置・管理の瑕疵」とは「通常予想される危険に対し、通常備えるべき安全性を欠いている」ことを意味する。この場合には、国や公共団体(以下、公共団体等という)が損害賠償責任を負い、原則として公務員個人は責任を負わない。
 それ以外の登山道の場合、「土地の工作物」の「設置・保存の瑕疵」があれば、損害賠償責任が生じる(工作物責任、民法717条)。「設置・保存の瑕疵」は国家賠償法2条の「設置・管理の瑕疵」と同じ意味である。この場合、工作物の占有者(管理者)が損害賠償責任を負い、占有者が注意義務を尽くしたことを証明した場合には工作物所有者が損害賠償責任を負う。
 登山道は土地の工作物、公の営造物に該当する。これらの責任は、土地の工作物や公の営造物の設置・管理の瑕疵に基づく無過失責任である。
(2)登山道の形態は多様であり、登山道の形態により安全性の程度が異なる。登山道における工作物責任や営造物責任(以下、管理責任という)の内容は、登山道の管理状況に左右される。
@自然状態に近い登山道
 踏み跡程度の登山道、沢の中のルート、ガレ場、雪渓などがこれにあたる。剣岳の三の窓付近、長次郎雪渓などがこれに該当する。この種の登山道は、登山道に人工的工作物がなく、整備することを想定していないので、原則として管理責任は生じない。
A一般の登山道
 この種の登山道は、鎖、梯子、橋、標識などが設置されていることが多いが、整備の程度はさまざまである。
 管理責任を考えるうえで、その登山道が管理されているかどうかが重要である。
山岳の土地所有者は明確であるが、土地所有者が登山道を管理しているとは限らない。自然公園の特別地域では登山道の整備に環境大臣等の許可が必要であるが(自然公園法13条3項)、これが登山道の一般的な管理権限を意味するわけではない。前記2Aの裁判例は、自然公園法に基づいて国が権限を有していることが直ちに歩道の一般的事業執行権限を意味するものではないと述べている。
 日本の登山道の多くは、管理されているかどうかが曖昧であり、管理されている場合でも、管理者が曖昧なことが多い。
 山小屋関係者や有志がボランティアで登山道を整備することが多いが、彼らは登山道の管理者ではない。しかし、ボランティアで整備する場合でも事務管理に基づく注意義務が生じる。事務管理とは義務がない者が他人のために事務処理を行う場合であり(民法697条)、事務処理に関して、例えば、ボランティアで登山道を整備する場合でも、すぐに切れるような鎖を設置してはならないなどの注意義務を負う。
 登山道の管理責任(工作物責任、営造物責任)は、事務管理に基づく注意義務と異なり、登山道を継続的に管理する注意義務である。ボランティアで登山道を整備をした者は登山道の管理者ではないので、このような管理責任を負わない。
 公共団体等が登山道に鎖、梯子、橋、柵などを設置する場合は、公共団体等は権限に基づいてこれらを設置しており、鎖、梯子、橋、柵などの管理権限を有する。これらは公共団体が管理する公の営造物であり、設置管理の瑕疵があれば公共団体等に営造物責任が生じる。
 前記2@、A、Cの裁判例はいずれも橋や柵の瑕疵に基づく事故であり、鎖や梯子に関する裁判例はないが、理論的には橋や柵と鎖、梯子を区別する理由はない。鎖や梯子に設置管理の瑕疵があり、事故が起きることが予測できる場合には、営造物責任が生じる。古くから設置されている鎖や梯子、丸太橋などのほとんどは公共団体等が設置したものではなく、公共団体等の管理が想定されていないので管理責任は生じない。
 また、険しい山岳地帯にある登山道では管理に困難が伴い、期待される管理の程度が限られる。険しい山岳地帯では1年間に何回も鎖や梯子の安全点検をすることを期待できず、登山者はその点を承認すべきである。管理者が登山道に設置した鎖、梯子、橋などを何年も点検せず、それらの損傷が予測されるのに、それを放置したために事故が起きたような場合に管理責任が生じる。
 登山道の形態により想定される管理の程度が異なる。初級者を対象とする登山道では、道が整備され、標識があることが期待されるが、上級者を対象とした登山道では標識がなくても、登山者が自力でルートを判別することが想定される。このような登山道の種別が管理責任の内容に反映する。登山道の分類が必要になる。
 また、山岳地帯の自然環境が厳しいことから、登山者は鎖や梯子などが損傷しやすいことを認識すべき面があり、過失相殺される場合が多くなる。前記2Aの事故では、裁判所は登山者が柵の安全確認をすべき面があるとして4割の過失相殺をし、Cの事故では3割の過失相殺をしている。なお、前記のとおり、工作物責任や営造物責任は一種の無過失責任であり、管理者の管理責任に過失や違法性は必要ないので、登山者が登山道の危険性を認識していたことは違法性阻却事由にならない。
 登山道への落石、落木、崖崩れなど自然現象に起因する事故については、遊歩道の場合を除き、管理責任は生じない。前記の2005年の白馬岳の大雪渓での事故について、登山道の管理責任は生じない。ただし、この場合も、落石防止ネットの設置や崖工事などをすれば、人工的構築物について管理責任が生じる。
 遊歩道を除き、登山道に鎖、梯子、橋、柵などが設置されてなくても、管理の瑕疵にはあたらない。登山は自然の危険性を承認する行為であり、落石、転落、滑落等は登山に通常伴う危険だからである。橋が設置されず、沢を渡渉するルートは@の自然状態に近いルートであり、橋のないことは設置管理の瑕疵ではない。しかし、「整備された登山道」として一般登山者に供用されているルートに橋がなく、危険な渡渉を強いられて事故になれば、設置管理の瑕疵になる。その登山道をどのようなルートとして想定するかという理念によって、「通常備えるべき安全性」の内容と管理責任の内容が変わる。
 登山道の管理責任の内容は、その登山道で実現しようとする登山のスタイルに規定される。登山のスタイルが曖昧であれば、「通常備えるべき安全性」の内容が曖昧になり、管理責任の内容も曖昧になる。
B遊歩道
 ここでいう遊歩道は、名称に関係なく、安全な通路としてハイカーなどに提供されている道をさす。多くの観光客を集めることを目的に設置されることが多く、設置・管理者が明確である。遊歩道は期待される安全性の程度が高いのに対し、一般の登山道はある程度の危険性を想定しているという違いがある。
 前記2Aの事故の場合は、自然公園法に基づいて県が遊歩道を開設して管理し、この歩道は観光パンフレットにも記載され、年間15万人が利用していた。遊歩道の管理者は明確であり、遊歩道に設置管理の瑕疵があれば損害賠償責任が生じる。
 Cの事故が起きた橋は県が設置管理し、シーズン中は1日に500〜600人の登山者が通行していたこと、県が定期的に橋の安全点検をし、老朽化した橋の通行人数の制限をしていた。このケースでは道そのものは一般の登山道であるが、橋については安全管理が要求されるので、遊歩道と同じ扱いができる。
 B、D、Eの事故は、遊歩道外の場所の地盤や、遊歩道から離れた場所にある湯溜まりという自然物に起因する事故である。地盤や湯溜まりについては自然的要因に基づく危険性を排除することは難しいが、利用者が遊歩道から危険な場所に立ち入らないように管理することが可能である。遊歩道の近くに危険な場所があり、事故を予見可能な場合には、危険個所に立ち入ることを禁止し、防護柵を設置することが要求される。
 Dの事件の高裁判決は、遊歩道を整備した場合に、事故発生の危険が予測される場所への利用者の立入を禁止する措置をとる義務があると述べたうえで、自然をあるがままの状態で公園にした場合には、自然の中に存在する危険は利用者が回避することが予定されていること、遊歩道外への立ち入りは原則として利用者の判断と責任であることから、この事故を予見することはできなかったとして、管理責任を否定した。
 Fの事故の高裁判決は、国有林野の管理経営に関する法律に基づいて国が土地を県に貸し、県が遊歩道として整備管理していたこと、事故現場が遊歩道に近接しており、遊歩道の利用者が事故現場を利用することが予定されていたこと、現実に事故現場を利用する観光客が多かったこと、事故現場付近にベンチ等が置いてあり、付近の休憩所の利用者数は年間50万人だったことなどの理由から、事故現場の通行の安全が確保されていない場合には、遊歩道に通常有するべき安全性を欠くと判断した。
 一般に、山林中の自然木が落下して事故が起きたというだけでは、自然木の管理責任は生じない(注6)。しかし、Fの事故のように、自然木の近くに管理された遊歩道があり、遊歩道付近に自然木が落下する危険があれば、遊歩道の利用者に危険が生じないようにする管理責任が生じる。
遊歩道の管理責任の内容は一般の道路の場合とほとんど変わらない。最初からそのような認識で遊歩道を設置すれば問題はないが、登山道を単に「歩きやすく安全な方がよい」という発想で過剰に整備すれば遊歩道に近づき、重い管理責任が生じる。上高地、北八ヶ岳坪庭、立山室堂周辺などのように、山岳地の観光地では通路の一部が遊歩道化される。
 前記2の裁判例はいずれも、遊歩道に関するもの、もしくは、それと同視できる登山道に設置された工作物に関する事例であり、これらの裁判例の判断を安全化されていない登山道一般に拡張すると議論が混乱する。

4、登山道の形態と管理
(1)登山道の形態の分類
日本のほとんどの登山道は管理者が曖昧で、登山道の形態の区別がない。整備された登山道もあればそうではない登山道もあるが、登山道の形態によって区別しているわけではない。たまたま近くに営業小屋がある山域、管理人の常駐する「避難小屋」のある山域、登山者の多い山域で登山道が整備される傾向がある。剣岳の三の窓付近の登山道や長次郎雪渓のルートなどは、管理されない結果として自然状態に近いのであって、意識的に「自然状態のルート」として管理されているわけではない。
 「歩きやすいように整備してほしい」という登山者もいれば、「多少危険性があっても、自然状態のルートがよい」という登山者もいる。「スリルを味わいたい」という登山者もいる。登山者の欲求は多様であり、快適性を求める登山、自然性を求める登山、スリルを求める登山はそれぞれスタイルが異なる。異なるスタイルの登山を同じルートで実現するのは無理であり、登山のスタイルに応じた多様な登山道が必要である。
 登山は人間の文化的欲求の表現形式であり、登山のスタイルは人によって異なる。登山のスタイルは国家や他人によって強制されるものではない。山域やルートに応じて登山道の形態を区別し、多様な形態の登山道を設置することが必要である。
日本では登山道の管理者が曖昧であるが、ドイツやオーストリアでは、高山の登山道は全国組織の山岳団体が管理し、山麓の登山道は自治体が管理しているようである(注7)。ヨーロッパアルプスにはhiking道、高所歩道、安全化された登路、登攀路などの種別があり、hiking 道は形態別に色分けされている。スイスでは、黄印は誰でも行ける道、赤白印は山に慣れたハイカーの道、青白印は易しい岩場登攀や氷河などの危険を伴う道である(注8)。ヨーロッパでは、歩くかどうかを基準にhiking とclimbingを区分し、岩稜の歩行や、アイゼン、ピッケル、ロープを使用する氷河の歩行はhikingである(日本語のハイキングとは意味が異なる)。hikingが行われる道がhiking道である。登攀路は、岩壁に設置された鎖やワイヤーを登山者がハーネス、カラビナ、スリングで登降するルートであり、山歩きやクライミングとは別の登山形態である(注9)。日本には登攀路の概念とそのような登山スタイルは存在しない。
 日本には、ハイキング道、トレッキング道、縦走路などの言葉があるが、それらが意味する内容は曖昧である。日本語のハイキング、トレッキング、縦走などの言葉の意味も曖昧である。
 冒頭で述べた妙義山の登山道はヨーロッパの登攀路に近いルートであるが、妙義山が山歩きのスタイルで登られていることに問題がある。妙義山の登山道の理念と形態を明確にしなければ、鎖を撤去すべきかどうかを決めることができないだろう。
 ヨーロッパの登山道の分類を参考にすれば、遊歩道、危険性の低い整備された登山道、危険性の高い整備された登山道、整備のされていない登山道、登攀路などに分類できる。
 遊歩道はその安全性に対する利用者の信頼が高いので、落石、崖崩れ、自然落木、急な増水、転落などが予想される箇所では、それらに対する安全対策が必要である。遊歩道の近くに危険な場所があり、間違ってそこに立ち入る可能性がある場合には、そこに進入しないように看板や柵等の設置が必要である。このような管理は一般の道路とほとんど同じである。通路が自然状態の形状を持っていたとしても、通路が人工的に管理された観光施設の一部を構成する場合には、通路を安全管理する義務が生じる。
 「危険性の低い整備された登山道」は、初心者向きのルートであり、転落、滑落、落石の危険性のない登山道や、危険箇所が鎖や梯子で整備された登山道である。小さな子供を連れた登山を安全に行うことができる。この種の登山道に柵を設置した場合には転落防止できるだけの強度が要求され、これが欠ける場合には「登山道の瑕疵」になる。しかし、転落防止用の柵のないことが「登山道の瑕疵」になるわけではない。この点が遊歩道との違いであり、登山道では柵のあることは「通常備えるべき安全性」に属さない。
 「危険性の高い整備された登山道」は、一応整備されているが、転落などの危険性のあるルートであり、槍穂の縦走路、剣岳の別山尾根などがこれに該当する。自然条件の厳しい山域にある登山道もこれに該当する。この種の登山道は、多数の参加者を引率する形態の登山に馴染まない。危険性の低い整備された登山道との違いは、地形と整備の理念による。この種の登山道に柵を設置した場合に、転落防止できるだけの強度は要求されず、この点は危険性の低い整備された登山道の場合と異なる。この種の登山道はある程度経験のある登山者が対象であり、登山者は転落しないように自分で注意することが想定されている。したがって、登山者は、登山道に柵があってもそれを当てにした登山をすべきでない。登山道の柵は、もっぱら心理的な恐怖感を取り除くため、もしくは、崖になっていることの注意喚起のためであることが多い。この点、危険性の低い整備された登山道では、子供連れの登山などを想定しているので、設置された柵は寄りかかっても倒壊しないだけの強度が必要である。両者の区別を明確にすることが重要であり、子供連れの登山を安全にすることができる登山道かどうかが、事前に表示される必要がある。このように登山道の区分がなされるならば、危険性の高い整備された登山道では、鎖や梯子による整備を最小限にとどめることが可能になる。
 「整備のされていない登山道」は、鎖や梯子で事故を防止するのではなく、登山者の技術と経験で事故を防止することが予定される。途中の標識の不備や踏み跡の不明瞭さが前提であり、ルートファインディングの能力が必要になる。剣岳の三の窓付近の登山道や長次郎雪渓、低山の踏跡程度の不明瞭な登山道などがこれに該当する。槍ヶ岳の北鎌尾根は、この種の登山道プラス登攀的要素があるが、北鎌尾根は現在のルートと登山スタイルが定着しており、「鎖や梯子を持ち込まない」ことが管理の内容となる(注10)
 以上の登山道の形態に応じた整備やルートの情報提供が必要であり、ルートの入口に色分けした標識等で危険性を表示する必要がある。前記の裁判例でも、危険性の表示が重要であることを指摘している。現在でも以上のような登山道の分類は可能であるが、従来は「たまたま登山道がそのような形態になった」のであって、登山道の形態の理念に基づいて意識的に分類がなされてきたわけではない。
 日本では、登山に限らず、一般に危険性を表示することに対する抵抗感が強い。これは、危険性を表示する側と受け取る側の双方に当てはまる。安全性とは危険性の程度にほかならず、危険性を正確に表示、認識することが安全管理の出発点である。長次郎雪渓の例で言えば、登山道の管理者はルートを整備する必要はないが、一般ルートとの分岐点に、長次郎雪渓の危険性について表示する必要がある。指定された登山道でなくても、現実に多くの登山者が登降していれば、登山ルートである。一般ルートの登山者が他の登山者につられて長次郎雪渓に入ることが十分に予想されるので、一般ルートの管理の観点からも長次郎雪渓の危険性の表示が必要である。危険なルートを表示すれば登山者が間違って迷い込みやすいので、従来、「知らしむべからず」という手法がとられる傾向があったが、これは登山者に自立的な判断力のないことを前提にしており、民主主義の時代にふさわしくない。管理者はルートの危険性を登山者に正確に伝えるべきであり、その点は、2のB、D、Eの裁判例からも読みとることができる。
(2)登山道の形態に応じた管理
 登山道の形態を区別することは、登山道の形態に応じて管理責任が生じること、及び、登山者が登山道の形態に応じて危険性を認識して行動すべきことを意味する。
 登山道の管理責任は、上記の登山道の形態に応じて異なる。登山は一定の危険性を承認したうえで行われる行為であり、登山に鎖、梯子、橋、落石防止ネット、転落防止用の柵などが不可欠なわけではない。鎖や梯子などがなければ、それを前提に「通常備えるべき安全性」を考えるので、鎖や梯子などのないことは登山道の瑕疵ではない(ただし、遊歩道では、安全性に欠ければ設置管理の瑕疵になる)。前記2Aの裁判例は、柵がなくても通行可能であるが、柵を設置する以上、柵に登山者が寄りかかることを予測して管理すべきであると述べている。
遊歩道、危険性の低い整備された登山道、危険性の高い整備された登山道、整備されていない登山道の順に管理責任が重い。登山道の理念が登山道の形態を決定し、登山道の形態が「通常備えるべき安全性」の内容を決定する。一般に登山道を整備すればするほど、管理責任が重くなる。
 登山道の理念はルートの性格に応じた一貫性が必要である。管理者が登山道を管理することと、ボランティアによる整備の違いは、一貫した統一的な理念に基づく継続的な管理ができるかどうかという点にある。
 登山道を新たな鎖と梯子などの人工物で整備することは、登山道の形態を変え、登山のスタイルを変える。槍ヶ岳の頂上直下は岩稜のルートとして歴史的に認知されてきたが、梯子が増えれば、登山のスタイルが岩稜の登降から梯子の登降へと変わる。槍穂縦走路の大キレットに大量の梯子、鎖、柵などを設置すれば初心者でも登りやすくなるが、それでは、「大キレットを縦走する」という登山文化が変容する。長年、そのルートが登られてきた登山のスタイルは、無形の文化としての価値がある。歴史的に形成された登山道の形態を尊重すべきであり、新たな鎖や梯子の設置、あるいはそれらの撤去については、慎重な議論が必要である。 
 歴史的に形成された登山文化を尊重すべきことは、山小屋の設置や林道開発にも当てはまる。登山ルート上に、避難小屋という名称の営業小屋を設置することや道路建設による登山のアプローチの変化は既存の登山のスタイルを変える。また、人工的な構築物を持ち込むことは、それ自体がありのままの自然を損なう。登山の理念や登山文化に対する理解が稀薄であれば、「安全な方がよい」、「便利な方がよい」、「観光客が増えた方がよい」という功利的な考え方が登山を支配しやすい。もともと、安全性、利便性、功利性だけを考えれば、登山は無用の存在である。
 日本で登山道の管理者が明確でない理由として、管理責任を負うことを嫌うことと、登山道の整備に経費がかかる点がある。登山道の管理=安全化=整備と考えると、際限のない整備が必要となり、経費がかかる。登山道が遊歩道に近づけば、奥入瀬渓流事故の判決の射程距離に入る。しかし、整備をしなければ経費はそれほど必要ではなく、管理責任は重いものではない。
 登山は、それが危険な行為であることを前提としたうえで、人間の主体的な行動として憲法13条の保障の対象である。一般の道路については、事故の防止のうえで、禁止、罰則、道路の整備が効果的であるが、登山は自然の中で危険性を承認して行われる人間の主体的な行動である点、事故の不利益は基本的に登山者自身にふりかかる点(交通事故のような対人性、対物性が弱い)で、道路のような警察的管理になじまない。危険な登山道について通行禁止などの警察的規制をすれば、山岳事故は確実に減るが、それは登山の否定につながる。登山道を鎖、梯子、階段、柵、防護ネットなどで整備すれば事故は減るが、そのような管理方法は安全性が要請される登山道に限るべきである。
 登山道の形態別管理は、登山者が、登山道の形態によって危険性の程度が異なることを受け入れ、それに応じて行動できる登山の文化を前提とする。登山者は、登山道の形態に応じて危険性を認識し、自分の責任で登山道を選択する必要がある。登山者は、中級もしくは上級の登山道を選択すれば、登山道が安全に整備されていないことによる事故の危険性を承認して行動しなければならない。ヨーロッパでは、登攀路での事故が多いにもかかわらず登攀路が容認されるのは、登攀路の危険性を認識して登山を行うことが前提だからである。他方、日本での妙義山の登山道の閉鎖の議論は、「間違って妙義山の危険なルートを登る登山者を保護しなければならない」というパターナリズムが根底にある。もともと、近代的な登山は、危険性を認識して主体的に行動できる近代的市民像が前提である。
 登山道の形態を区分し、登山道の管理責任の範囲と登山者の自己責任の範囲を明確にすることが必要である。そうでなければ、登山道をどこまで整備すべきかの基準が曖昧になり、登山道の管理者は奥入瀬渓流事故の判決におびえることになる。

5、まとめ
以上に述べたように、登山道の形態を区別して管理することが必要である。登山道は、安全化された遊歩道、危険性の低い整備された登山道、危険性の高い整備された登山道、整備のされていない登山道などに分類できる。登山道の形態に応じて「通常備えるべき安全性」が異なり、これが管理責任を左右する。また、登山道の登山道の形態を表示することで、登山者が登山道に伴う危険性の程度を認識し、了解することが可能となる。


[注]
1)白馬大雪渓の落石事故から安全対策を考える、小森次郎、岳人710号、p.147
2)デーリー東北新聞2004年10月2日の記事
3)妙義山 整備か登山禁止か?、打田^一、羽根田治、山と渓谷902号、p.162
4)土地所有権と現代、篠塚昭次、NHKブックス、所有権の誕生、加藤雅信、三省堂、人間の心と法、加藤雅信外、有斐閣p.37
5)工作物・営造物責任」北河隆之 外、新日本法規出版、p.167 
6)大阪高裁昭和53年4月27日判決は山林中の立木の倒壊による事故に関して管理責任を否定した。判例時報903号、55頁。判例タイムズ368号、p.265
7)続生と死の分岐点、ピット・シューベルト、山と渓谷社、p.18
8)ヨーロッパアルプス登山・ハイキング、金原富士子、本の泉社、p.21
9)ヨーロッパアルプス登山・ハイキング、金原富士子、本の泉社、p.22
10)外国のトレッキングルートには、橋、梯子、残置ロープなどの人工物は一切存在せず、国立公園の管理官が人工物を持ち込ませないために厳しく管理している地域がある。そこには登山ルートの理念と自然保護の理念がある。

[文献]

1)国家賠償訴訟の理論と実際、国賠訴訟実務研究会編、三協法規、1996
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3)登山道の保全と管理、渡辺悌二外、古今書院、2008
4)国立公園の法と制度、加藤峰夫、古今書院、2008
5)工作物・営造物責任、北河隆之外、新日本法規出版、2005
6)里道・水路・海浜4訂版、寶金敏明、ぎょうせい、2009
7)山の社会学、菊地俊朗、文春新書、2001
8)続生と死の分岐点、ピット・シューベルト、山と渓谷社、2004
9)日本の国立公園、加藤則芳、岩波新書、2000
10)ヨーロッパアルプス登山・ハイキング、金原富士子、本の泉社、2009
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21)丹沢 周辺林道の通行止め、岳人728号、p.64、2008
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23)登山道の安全を考える、信州大学山岳科学総合研究所編、2009
24)妙義山 整備か登山禁止か?、打田^一、羽根田治、山と渓谷902号、p.162、2010
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(日本山岳文化学会論集8号、2010年、掲載)

 登山道のあり方・・・妙義山の登山道をもとに考える

                      


「登山の法律学」、溝手康史、東京新聞出版局、2007年、定価1700円、電子書籍あり

                                

               
  
 「山岳事故の責任 登山の指針と紛争予防のために」、溝手康史、2015
        発行所 ブイツーソリューション 
        発売元 星雲社
        ページ数90頁
        定価 1100円+税