二.異常陰影が発見できなければ、それは読影医師の過失である。


 1. 本件訴訟は胸部レントゲン撮影写真の読影上の過失が最大の争点とな
   っている事件である。そして定期健康診断における胸部レントゲン撮影
   写真の読影は病的な異常陰影を識別して再読影や比較読影に回し病気の
   早期発見を目的としている。
    原判決は、昭和61年9月撮影のレントゲン写真には異常陰影がある
   と認めながらも、その発見可能性につき、血管が錯綜、前後に肋骨の陰
   影、影が大きくない、読影に熟練した者でも判断を誤る可能性がある、
   などという異常を指摘しにくいいわば「医学的条件」に加えて、定期検
   診では数百枚のレントゲン写真を、短時間に受診者の予備知識なしに読
   影するといういわば「制度的条件」を考慮すれば、一般臨床医としては
   過失なしとするものである。

    つまり、ここでは本件異常陰影の「医学的条件」ならびに健康診断と
   いう「制度的条件」を理由に、また「一般臨床医」の医療水準を基準に
   考えれば過失はないと判断した。

 
 2. しかし労働者の健康を維持するため病気の早期発見を目的とする健康
   診断は職場単位での集団検診の形で行われるのが一般的であるため、短
   時間に大量のレントゲン写真を読影する訓練を受けた熟練した医師によ
   って行わなければ、その目的を達し得ない。
    したがって、読影上の過失の有無を判断するに際しては、こうした集
   団検診でのフィルム読影の訓練を受けた熟練医のあるべき注意義務を基
   準にしなければならない。
   
    また前記「医学的条件」や「制度的条件」も集団検診が一般の診療と
   違って患者の病状を総合的に判断して病名を診断する必要がなく、単に
   精密検査に回すべき異常所見の有無さえ識別すれば足りるという性質上
   過失を否定する条件とはなりえず、民法709条の過失の解釈を誤った
   違法がある。


 3. 職場の定期健康診断は、労働安全衛生法66条により事業者に義務づ
   けられており、同法規則44条で医師による胸部エックス線検査等の項
   目が定められている。
    そして労働者は事業者が行う健康診断を受診すべき義務が定められ、
   事業者が指定した医師が行う健康診断を希望しない場合には他の医師の
   健康診断を受けねばならない(同法66条5項)。
    こうした法の趣旨からすれば、職場の健康診断は労働者が権利として
   健康状態を把握し病気を早期発見することをその主目的としている。
   
    また法は、医師による健康診断と診断項目を要求するだけで、必ずし
   も従業員集団を同一機会に同一場所で行う集団検診の形態で行うことま
   で要求していない。いかなる形で行うかは事業者の選択に任されるとし
   ても、それは健康診断のレベルを落としていいことにはならない。
    少なくとも従業員の健康を維持するため、各検査項目について病的異
   常の早期発見を期するため、この種の診療に精通した能力ある医師が従
   事することを当然に予定しているといわねばならない。そして通常の事
   業者である企業は、医師や医療機関を有しないから、健康診断受託医療
   機関である検診機関に委嘱してこれを行うのが一般である。
 
 
    もっとも本件被上告人〇〇海上の場合は、昭和60、61年には自社
   内の診療所で被上告人小〇などの医師を雇用していわば自前で健康診断
   を行っており、昭和62年は関連会社である被上告人〇〇ビル診療所に
   委嘱して行っていた。

 4. こうした実情からあるべき健康診断での医療水準を考えれば、多数の
   被検者を短時間に診察して、病的異常の有無を検索し識別するという、
   特殊な能力に通じた医師が関与することによって初めてその目的を達成
   し得る。

   
   労働安全衛生規則44条が要求する項目は
    1)既往歴及び業務歴の調査
    2)自覚症状及び他覚症状の有無の検査
    3)身長、体重、視力及び聴力の検査
    4)胸部エックス線検査及び喀痰検査
    5)血圧測定ならびに尿中の糖及び蛋白の有無の検査  
   に限られている。

    医師による一般診療は、右の1)から5)のみならず患者本人の訴え
   を基礎に、問診・触診・聴打診に加え、エコー・CT・MRIその他画
   像検査、血液生化学等の臨床諸検査を行い、これら結果の総合判断とし
   て病名診断を行い、適切な治療法を選択実施する過程である。
    これに対し健康診断に従事する医師は、右の1)から5)の調査ない
   し検査それ自体は医師でない看護婦や検査技師が実施するので、その結
   果から病的なものを正常群からふるい分ける(スクリーニング)ことが
   主たる業務となる。

    そのため、判断の対象は常に同一事項であり、また判断基準も通常は
   機械的定型的で足りる反面、大量の被検者について限られた時間で判定
   を行うという特殊性がある。そこでこうした限定された項目について、
   短時間に大量の情報を読み取る訓練を受けた医師がこれら健康診断に従
   事しているのが通常である


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