三.肺癌は助からないとの予断から証拠に基づかない原判決
1. 原判決は、手術不能な場合とか、遠隔転移が認められればとか、証拠
上不明な事項についてまで上告人に不利な推定を重ねているが、法的正
義の立場からは看過し難い偏見である。
確かにまゆみの肺癌の病状を正確にとらえることは困難である。
しかしそれは被上告人桐〇が検診担当医師としての職務を怠り、まゆみ
の異常陰影に気づきながら精密検査を受けさせず、そのために治療上か
つ予後判定に必須の肺癌を詳細を詳らかにしえないことに起因する。
自ら犯した過失を逆手にとって、病状が不明だから回復可能性の証拠は
不十分で、損害と過失は因果関係がないと主張するのは、いかにも不合
理でなかろうか。
昭和61年6月ないし7月という、被上告人桐〇が過失によりまゆみ
の治療機会を奪った時期での唯一の証拠であるレントゲン写真では、い
ずれも胸水の存在は認められず胸膜への転移もないから手術は可能であ
った。
また昭和61年9月の写真はともかく過失時点である6月ないし7月
には遠隔転移の証拠はないから、無理な推論である。
2. さらに原判決は、上告人が「治療機会の喪失自体が患者に精神的苦痛
をもたらす独立の損害であり、医師に対して慰謝料支払義務を負わせる
根拠となる」と明確に主張しているにもかかわらず、「右のような考え
方は、医師の過失と患者に生じた結果との間に因果関係が認められず、
したがって当該過失によって損害が発生したといえない場合にまで、損
害賠償責任を肯定しようとするものにほかならない」として退けた。
けれども上告人が過失と因果関係ある損害と指摘しているのは、まゆ
みの死亡という結果でなく、治療機会喪失という損害である。
被上告人桐〇の過失がなかったならばまゆみの死亡もなかった、との主
張はもとよりしていない。
医師の過失によって生じた結果は、延命利益あるいは治療機会の喪失
であることは主張自体から明瞭である。
ここでも過失によって生じた損害があるか否かと、その損害がどの程度
の価値があるかとは、別の問題である。
そして被上告人桐〇の過失すなわち定期検診での胸部レントゲンフィ
ルムの異常陰影を認識しながら、精密検査を受けさせなかった医師の姿
勢は、社会的に許容し難いもので非難を免れない。
さらにこれによってまゆみが奪われた治療の機会も、生命健康の視点か
ら無視し難い価値があり、十分に法的保護の対象となりうる。
3. そうすれば原判決が、本件が「当該過失によって損害が生じたといえ
ない場合」と認定するのは、社会一般の経験則から肯定し難い結論であ
る。
自然的因果関係の観点からは、被上告人の関与がなくともまゆみは肺
癌で死亡したといいうる。しかし法的立場からは、桐〇医師が注意義務
を尽くしていさえいれば、まゆみは治療機会を奪われてあっけなく肺癌
で早死にした、という事態は避け得たと思われる。
また桐〇医師は義務を尽くすべき→精密検査を受けさせるべき→治療
機会を与えるべき→あっけない死亡を回避すべき、との法的価値判断が
すでになされたのであるから、本件は当該過失によって損害が生じたと
の判断しか論理的にはありえない。
いわゆる期待権や延命利益、治療機会の喪失に関しては、多くの学説
判例で論議されており、いまだ定説をみない状況である。
が、医師の過失を認定しておきながら、当該過失と死亡との因果関係が
判然としないからといって、直ちに医師を免責にするにはなお躊躇する
事例が存在するとの認識は、ほぼ一般的になっている。