四.治療機会の喪失による損害を認めるのは正義の要求である。
1. 損害賠償請求事件では、主張する違法行為と相当因果関係にある損害
のみが許容されるのであるから、損害項目は特定されねばならず、違法
行為との因果関係も主張される必要がある。
本件で仮に被上告人桐〇に義務違反が存在せず適切な医療を受けた場
合に、肺癌の根治は無理にしてもどの程度の治療効果が期待できたのか
必ずしも判然としない。
しかし医療は回復ないし治療の可能性が存在する限り、医師は最善を尽
くして診療に従事すべきものであり、水準的診療とされる治療法には、
ある程度の改善可能性が見込まれるのが一般である。
患者はその時々に病状に応じて治療を受ける権利を有しており、医師は
専門家としての知識経験を駆使してその権利実現(治療の機会を提供す
る)に努める義務がある。
これを医師の義務違反と患者に生じた損害の観点から述べれば、医師
が患者の診療に関して注意義務に違反した場合には、それがなければ与
えられた治療の有効性の程度や価値に応じた損害を被ったことになり、
過失ある医師の責任範囲になる。
やや比喩的に述べれば、治癒の蓋然性(救命の可能性)がかなり高い場
合には医師の過失に対して患者は死亡損害を求めうるし、治療効果が全
く期待できない(例えば不適応)症例では、治療機会喪失による損害は
ゼロに帰する。 (もっともその場合にはいわゆる期待権侵害の妥当領域
であるとする説がある−新美教授)。
しかし医学的に有効な治療法として水準的医療の一部を構成している
限りにおいては、治療効果が全くない例は稀であろう。
そうであるから、医師の怠慢ないし不注意によって本来受けられるべき
治療を受ける機会を奪われた患者は、受けた場合に期待いうる治療効果
に応じて損害を求めうると考えられる。
2. こうした機会喪失による損害という考えは、医師のみならず弁護士や
その他の専門家・職業人の責任領域にも妥当するが、とりわけ医師の過
失が明らかであるが結果との因果関係が判然としない場合の賠償責任を
導く根拠として是認されている。
現代の水準的医療の恩恵を受けつつも、患者の権利保障の立場から医
療過誤訴訟を通じてあるべき医師像を模索している欧米では、こうした
機会喪失の考えによって、例え治癒率が50パーセント以下の困難症例
であっても、医師の怠慢によって治療の機会さえ与えられなかった患者
の地位を守ろうとしている。
アメリカではハースコビッツ判決・Herskovits
v Group Health Coop
664 P.2d 474 (WA 1983 )以来、チャンス喪失理論の適否をめぐって
連邦及び州裁判所でいくつかの判例が出されてきたが、否定論の有力な
根拠となっていたオハイオ州最高裁判決
Cooper v Sisiters 272 N.E.
2d.97(OH 1971) が1996年に至り破棄変更され
Roberts v Ohio
Permanent Medical Group 668 N.E.2d.480
(OH 1996) 機会喪失による
損害を肯定する立場を鮮明にしたのを象徴として、大多数の裁判所で採
用されている。
学説の殆ども医療過誤事件に限定すれば、チャンス喪失論ないし機会
喪失論を肯定している( M.BoumiI &
C.Elias "The Law Of Medical Li
ability" P.121 1995 West ,King
,"The Law of Medical Malpractice"
P,206 2nd.ed.1986 West' 我が国へはわずかに高波澄子[1995]アメ
リカ法263頁があrだけなので、前記
Roberts判決の上告代理人訳を
末尾に添付する)。
イギリスでは高裁でのホットソン判決・ Hotson
v East Berkshire A
rea Health Authorative [1987]2 All
ER 909 HR 以降、貴族院で破棄
されたもの同種判例と学説の支持が続いている(Markesinis
& Deakin
"TORT LAW" 3d ed.1994,p.260
)。
さらにフランスでは、もともと過失によって患者の回復または延命の
可能性(機会)を喪失せしめた医師に損害賠償(Pertes
de chances
deguerison ou de survie )を認めるのが1965年以来の破棄院の
伝統である。
(J.Penneau"La Resuponsabilite de
medecin",p.31 1992 Dalloz)
3. 今日洋の東西を問わず、患者の権利を尊重すべき要請は変わらず、又
おもに民事裁判によって被害の救済を図る仕組みも共通である。
そして医師に対する患者の賠償請求を規律する法が、債務不履行ないし
不法行為であっても法の実質的要件もおおむね共通と考えてよい。
にもかかわらず、日本のみが因果関係の証明が患者側に大きな負担を
課すため、医師の過失が明らかな場合にも免責されるという不合理が生
じている。
法が各国独自の文化的社会的背景を持ち、事件解決の具体的妥当性が
これら伝統の中で評価されるにしても、社会が要求すべき医師の規律や
診療準則は基本的に共通であってよい。