五.本件では被上告人桐〇の過失で5年生存率30パーセントの治療機会が奪
われた。
1. 医師の過失で昭和62年6月時点で、まゆみが享受しえた水準的治療
のチャンスをごく平均的に考えれば、ステージVaの肺癌患者として一
般に有する「30パーセントの確率で5年以上生存可能な病状」である
これ以上の詳しい事情は不明である。なぜならそれは、被上告人桐〇が
まゆみに精密検査を指示しなかった過失が原因であって、桐〇医師と被
上告人〇〇海上を信頼していたまゆみの責任ではない。
原判決が癌の転移を示唆するとして引用する証拠は、手術が不可能と
判断されVa段階として治療を受ける機会が奪われたと判明した8月以
降の日大病院や東京女子医大病院での検査結果であって、過失当時の唯
一の検査結果であるレントゲンフィルムではない。
治療機会が奪われて既に病状悪化という損害が発生している時点を根
拠に、損害が大したものでなかったと理由づけるのは論理が破綻してい
る。
2. 証拠に基づいて損害を評価する、しかも着々と症状が進行するからこ
そ早期発見が義務づけられる肺癌での過失時点での損害を冷静に認定し
ようと思えば、医学的精緻さよりも証拠認定上の公平さを重視する必要
がある。
原判決はまるで病理学者のように証拠を捜して断定できない証拠がな
いとするが、裁判所に要求されている発想は、本来あるべき資料が医師
の過失によって存在しない現状でその責任額を判定するのに、公平に証
明を分配することである。
前記アメリカの多数判例が、機会喪失による損害を死亡や後遺障害と
は独立の権利侵害として賠償の認める論拠にしばしば引用される
Hicks v United State 368 F 2d.626 (
4th.Cir.1966) の632頁は、
「被告の過失によって患者が救命されるチャンスを奪われたのであれば
その救命可能性の程度がどの程度に評価しうるかは実現させなくした当
該医師の言にかかっているとする訳にいかない。もし救命しうるかなり
の可能性があり、被告医師がそれを奪ったときには、責任を負わねばな
らない。被告が実現しえなかった治療の成否を、絶対的確信の程度まで
証明するのはいかにも困難であろう。こうした場合の法は、もし患者が
入院して即時に手術を受ければ救命しえた事情を確信の程度まで証明せ
よとまで要求しない。」とする。
3. 被告医師が過失を犯したために法的に非難されている実情があるなら
過失の実体は病状観察の不十分であるから、非難が正当であると裁判所
が考える限り、過失当時の病状は観察不十分で判然としないのは当然で
あるから、判然としないからとの理由で医師を免責に導くのは健全な法
感情から許されないし、論理矛盾でもある。
本件で残された少ない証拠を前提に考えれば、被上告人桐〇の過失が
「30パーセントの確率で5年以上生存可能な病状」という治療の機会
を奪ったのであり、それに対応する金銭賠償を被上告人桐〇に命じるべ
きであった。
原判決は本件当事者の主張立証に目を向けず、また死亡とは独立した
損害項目としての治療機会喪失という損害を理解せず、被論理的な理由
で排斥しており破棄を免れない。(なお一審判決に対する同趣旨から批
判した判例研究として、北脇敏一ほか日本法学第63巻第2号がある)