取材番外編 − 雪まみれ 北陸出張災難記(その1)


2001年1月中旬、日本は15年ぶりという大雪に見舞われました。雪の量は、北陸地方を中心に1m近くになり、交通は北陸本線や高速道路が何日もマヒした他、雪降ろし中に墜落したり、車中で暖を取ろうとエンジンを掛けっぱなしにしていて一酸化炭素中毒にかかるなどして、幾人もの死傷者が出るなど、大変な被害となってしまいました。

たまたまIchiroは、この時金沢、富山と二度にわたって出張、めったにない体験をして来ました。今日は、その顛末を皆さんに 見て頂こうかと思います。

1.金沢出張(1月15日) 大阪〜金沢

この日は、朝の特急に乗り金沢に昼一に入って仕事を済ませ、大阪に夜帰る、典型的な日帰りパターンで出張を組んでましたが。。。

@スーパー雷鳥38号 (大阪09:42→金沢12:22)

今回は4人での出張です。私は部長と一緒にこの電車に乗り込みました。
まず、発車が20分近く遅れ、北陸本線に入ったあたりから、かなりの積雪。止まらないはずの敦賀でストップ。北陸トンネルを出ると、雪は本降りになり、だんだん一面真っ白に。12:08武生でラッセル車作業待ちで約1時間足止め。14:00過ぎ、福井で30分前に大阪を出た「雷鳥9号」に追いつき、こちらが先発。メンバーの1人とここで合流しました。

その後もノロノロ運転が続き、遅れは増すばかり。小松の手前では踏切の支障装置のセンサーに雪が詰まったのか、赤信号が出てストップ。安全確認のために、わざわざ運転士が電車を下りて何百メートルも雪の中を歩き、30分近いロス。その後15:00前にも同じトラブルで停車。非常ブレーキではなく、リバース(逆転)で止まるのを初体験しました。 極めつけは金沢手前の踏切で今度は車が脱輪! 金沢には3時間20分遅れの15:40にようやく到着しました。

金沢駅は、人が渦巻いていました。どうも大阪方面行きの上りが全く動いていないらしく、パニック状態。。

Aしらさぎ10号 (金沢14:05→米原16:07)

金沢では、一行4人がやっと出会え、予定より遅れながらも仕事は無事終了。18:00過ぎに駅に戻りました。が、電車はろくに動いていません。私は「とりあえず動いている電車で少しでも先に行きましょう」と呼びかけ、入ってきた「しらさぎ」(この日は米原止)に飛び乗りました。幸い車内はがらがら。打ち上げのビールが買えなかったのだけが残念でした。
電車は、吹雪の中をそれなりに飛ばし、「まあ、行きよりましかな」と思いきや、福井の3つ手前の丸岡で1時間停車。このままでは米原で新幹線に間に合わない恐れもあるので車掌室をのぞくと、「大阪方面なら、30分後に『サンダーバード』が来るから、それに乗換えてほしい」とのこと。福井には21:00頃ようやく到着し、寒いホームで「サンダーバード」の到着を待ちました。
ところが、一向に「サンダーバード」が来ないばかりか、乗って来た「しらさぎ」も動く気配がありません。私達は手分けして駅前のコンビニに買い出しに行ったり、駅そばを食べたり、長丁場に備えることにしました。私はしっかり「写ルンデス」を2本買い、取材態勢です。。
22:00過ぎ、「今庄付近で貨物列車が動けなくなり、ラッセル作業中です。2時間以上かかる見込みで…」とホームに放送が入りました。万事休す。私達は、ホームから見えていたビジネスホテルを押さえ、明日のきっぷを手配するため取りあえず精算所に並びました。「北陸で雪が降るんは、当たり前やんか!」横でおっちゃんが血相を変えて駅員に怒鳴っています。「何ヶ月かぶりに東京に帰れるっていうのに…」とケータイで話をしている若いサラリーマンの姿も。。「止むを得なければ、即ち止むを得ない」内田百閧フ名言通り、私達はじっくり腰を据えることにしました。
ホテルで1時間ほど酒盛りの後、ぐっすり眠りました。部屋からホームをのぞくと「しらさぎ」はまだ羽を休めていました。

明けて16日。この日は早く会社に戻るため、5時過ぎに起床。「さあ、今日はどうかな」カーテンを開けると、何と昨日の「しらさぎ」が止まったまま! ダイヤは乱れっぱなしのようです。6時過ぎ、皆で駅に行き、駅員さんから状況を確認。今庄の貨物列車はラッセル作業が終わったものの、今度は後続の普通列車が雪まみれになり、またラッセル出動!とのことで、一向に埒が開きません。昨日乗るはずだった「サンダーバード」も加賀温泉で夜明かしした様です。大阪に帰るには、と聞くと、「しらさぎ」に乗って米原に出た方が良いとのことでしたので、私達はホームに向かい、グリーン車に落ち着きました。写真を撮ろうと先頭車を見ると、ヘッドライトの前に雪が角のように積もっていました。

数百人の人が徹夜した「しらさぎ」には、どことなくすえた臭いが漂い、みんな疲れ切った表情です。車掌室をのぞくと、北陸地域鉄道部の清水、竹腰両車掌が目を真っ赤にして発車を待っていました。JRからの差し入れもなかったのか、ホームの駅そばとコンビニ開店の放送が入るや、黒山の人だかり! 新聞社などマスコミも取材に来ています。

「(出発)信号を出すよう、指令に言って下さい!」清水車掌が無線で話しています。やっと発車の目途が立った様です。
07:17、福井発車。 「今から帰ります!」清水車掌が駅の助役に手を振って挨拶していたのが印象的でした。

武生を過ぎ、段々雪深くなって来ました。車両の床下からは、「ショリショリ」という雪の付く音が聞こえています。ストップした北陸道を眺め、今庄。雪はいっそう激しく、ホームはラッセルのせいもあってか、まるで雪の山!駅名標も半分以上埋もれています。

07:54、「しらさぎ」は北陸トンネルに入りました。すぐにサミット、後は下りです。ようやく100km/hを超えるスピードが出ましたが、しばらく走ると、雪が溶け出したのか窓に斜めに水が走り、床下からは「バリバリ」と雪のかたまりが落ちる音が聞こえて来ます。
08:00、トンネルを出て、敦賀。ドアが凍り付いてスムーズに開きません。

「もしもし、おはようさん。あんた、今どこや思う?」中国人の視察グループを引き連れた会社の幹部風のおっちゃんがケータイで話しています。

敦賀を出て、ループ線を過ぎたあたりで、08:15 信号停車。ここもかなりの雪! 程なく発車、08:22新疋田(しんひきた)通過。何とカメラ「鉄ちゃん」がいるのに驚きました。いつ電車が来るかも分からないのに。。遭難しないことを祈るのみです。
ここを過ぎればあとは楽勝のハズ。 「しらさぎ」はその後のろいながらも順調に進み、08:27に湖西線と別れてからは更に快調! 余呉湖を過ぎてからは徐々に空も明るくなって、08:53、無事に米原に到着しました。

米原から私達は09:10発「こだま497号」に乗り換え、新大阪09:51着。途中、野洲のあたりで車窓から雪が消え、大阪には10:00過ぎにようやくたどり着きました。大阪は、昨日と同じく快晴。ついさっきまでの大雪がウソの様です。

今回の雪は金沢、福井で73cm、今庄では129cmと15年振りの大雪を記録し、「スーパー雷鳥」で2時間40分かかる大阪〜金沢が、行きは6時間、帰りは16時間かかり、こちらも大変な災難でした。
この体験を通じて、どうも暖冬慣れ?してしまったのか、JRの雪に対する管理体制がヤワになったのかなあ、と、ちょっと情けなく感じました。

・ラッセル車の的確な運用
積雪○cm、気温○度とマニュアルにあるはずだが、降雪状況に応じての配置を再点検する。
・踏切支障の取り扱い
踏切の支障装置が作動した場合、いったん停車したら、運転士が「下りて」確認するのではなく、10km/hまでの「最徐行」で確認する。 これによってロスタイムも大幅に減らせるし、その間更に雪に埋もれるリスクも回避出来る。
・貨物列車の取扱い
他の列車の足を引っ張る貨物列車は、大雪の場合出来るだけ運休させるか、列車のブレーキ凍結防止策を強化する。

私の見た範囲でも、少なくともこうした措置を取ってもらっていれば、大混乱は避けられたのではないかな、と考えます。

最後が「鉄ちゃん」らしい?難しい話になっちゃいましたが、一回目の北陸受難記はこれでオシマイ。

Ichiro
2001.01.21
神戸にて