Ichiro の生録取材記(1)

客車急行「だいせん」大阪━出雲市

■ 取材日

1999年9月某日

■ 取材スケジュール

大阪(22:55)→出雲市(07:23) (21:39)→大阪(07:01)

 
マイクを持つ取材姿の Ichiro
出雲市駅にて (山賀部長撮影)

■はじめに

急行「だいせん」 は、大阪から福知山線経由で鳥取、松江を通り、神話の里・出雲市まで8時間半かけて走る夜行列車である。

日本の鉄道では、この10年余り加減速性能が良い電車やディーゼルカーへの転換が急速に進み、昔ながらの客車列車は、いつの間にかほとんど姿を消してしまった。
今回取材をした「だいせん」は、そうし た貴重な客車列車の中でも、特にレアもの二重丸の列車と言える。
編成は、今や懐かしい 寝台車+座席車 で、しかも電化区間があるのに、わざわざディーゼル機関車に引っ張られる、まさに「お宝もの」。歴史も風格もある伝統の夜行列車であったが、この10月2日のダイヤ改正でディーゼルカーに置き変えられてしまった。

Ichiroは、客車「だいせん」廃止!の情報を耳にして、急遽デイパックにデジタル録音機を詰め、9月のある週末に仕事関係で「鉄ちゃん」(鉄道ファン)の山賀部長とともに、昔ながらの客車急行の持つ「汽車旅」の味わいを求めて出雲へと旅立った。


■大阪〜三田 さまざまな客を乗せて

今年の大阪は、9月に入っても記録破りの熱帯夜が続き、一向に秋の気配がない。この調子だと、ひょっとして正月になっても、まだ「暑い暑い」と、ぼやいているのではないだろうか。

ある週末の22時15分、Ichiroと山賀部長は、こんな話をしながら大阪駅1番ホームに立っていた。
他のホームでは、勤め(飲み?)帰りのサラリーマンやOLでごったがえしているのに、ここだけはどうも空気が違うようだ。バッグを手にした夫婦や若者がたむろしている。長距離列車のホームではよく見かける光景で、大げさに言えば「旅立ち」の雰囲気。いつもなら、反対側から「酔っ払いモード」で快速を待っているのだが、今日は寅さんではないけれど「労働者諸君!今日もお勤めごくろーさん!」と叫びたい気分だ。

しかし、1番ホームにいるのはそれだけではない。カメラやビデオを持ち、そろってチェックのシャツを身にまとった若者もウロウロしている。「鉄ちゃん」だ。(相棒Setsuが言うには、体型を見ただけでそれと分かるそうである…^^;;;) 客車「だいせん」が廃止と聞いて、駆けつけたらしい。
実は、私自身も間違いなく「鉄ちゃん」。 「自爆」してしまいそうなので、これ以上のコメントは差し控えるが、やはりどうも浮いている感じだなあ。

ホームで取材の準備をする。私の場合、「音像」を耳の高さに合わせるために、1mぐらいのバー(と書くと聞こえは良いが、実はホームセンターで買った、380円也の水道管!)の先にマイクをセットするので、かなり目立ってしまう。向かいのホームから好奇のまなざし。録音機との接続も終わり、準備完了。 山賀部長がキリンを差し入れてくれる。階段囲いをバーカウンター代わりにして、旅立ちと取材の成功を祈り、乾杯。 ああ、うまい!

22時35分、ヘッドライトを輝かせ、いよいよ「だいせん」が入ってきた。ホーム全体がものすごいディーゼルの騒音と熱気に包まれる。それもそのはず、今日はなんと機関車が重連(2両)! マイクを持つ手に思わず力が入る。
列車の編成は、

D座席車(自由席)+C座席車(指定席)+B寝台車+A寝台車+@寝台車+機関車+機関車 (→出雲市)

で、機関車2両がわずか5両の客車を引っ張る、まるで「お召し列車」のような豪華編成?だ。

機関車はDD51形という、凸型で朱色の見るからに武骨なヤツ。寝台車は14系15形、これは以前九州方面の「ブルートレイン」で活躍していたタイプだ。ブルーの車体にステンレスの帯が往時をしのばせる。座席車は12系という、主に急行や団体列車に使われていたもの。
いずれも'60〜'70sの国鉄時代に製造された、つわもの揃いだ。JRに変わってからシートや内装などに手が加えられているものの、懐かしい「汽車旅」の風情を残している。

最終「だいせん」と
「鉄ちゃん」
'99.10.1 大阪駅にて
私たちは、予約していた@号車の寝台に荷物を置き、さっそく車内を見回ってみることにした。

寝台車は山陰旅行の若者、これから故郷に帰る老夫婦などがパラパラ。静かに酒盛りを始めているグループもある。「さよなら」乗車の「鉄ちゃん」もいる。

一方座席車には、一杯機嫌のサラリーマンが目立つ。実はこの「だいせん」、福知山方面の終列車の役割を担っているらしい。急行料金を払えば定期券でも乗れるので、特に最近大阪のベッドタウン化が急速に進んだ三田方面の利用が多いという。

取材のスタートは、まずこの「終列車」だ! とまずD号車に陣取ることにした。

発車の放送が流れ、ベルが鳴る。 ドアが閉まり、ガタン!という軽い振動。いよいよ発車だ。これからの旅への期待と不安の入り混じった、しかし楽しみな一瞬である。見慣れた大阪の夜景が、なぜか新鮮に目に飛び込んで来る。日常との別れ…
普段の旅立ちの場合は、まあこんなものだが、今回は取材。必死でマイクを握る身には、そんな感傷に浸る暇はない。絶えず先のことを考え、回りに気を配り、どうしたら「だいせん」 らしい特徴を引き出せるかな、そればかり気に掛けている。

22時55分、「だいせん」発車の瞬間はC号車デッキで捉えたが、「何かにマイクが当たらないか」「どのタイミングで客室に入り、どこでマイクを構えるか」など、心配ばかりである。

発車後しばらくして、予定通りD号車に移動。ちょうどタイミングよく車内改札(検札)が始まった。「環状線の京橋から乗ったけど、内回りと外回りで料金が違いまっか」というおばあさん。車掌と乗客とのやりとり。携帯で「お父さんや。今『だいせん』やけどな。ああ。12時10分篠山口や」と家に連絡する常連?の声などを、尼崎のあたりまで録音する。

尼崎を発車した後、「だいせん」は北に向きを変え、福知山線へ。のろのろと、淡々と70km/h位で走る。まるでスピード感がない。「時刻表」で例えば大阪−三田の時間を比べても、「だいせん」は明らかに遅い。5駅停車の快速電車で38分のところが、「だいせん」では2駅停車なのに47分もかかる。まったくマイペースだ。しかし、もともと夜行列車なのだし、こちらも急ぐ旅でもないので、ま、いいか、と納得する。

宝塚(23時23分)、三田(23時42分)で「酔っ払いモード」(の方ばかりではないでしょうが)のサラリーマンが降りる。下車シーンを狙ってマイクを構えたけれど、皆さんお疲れの様子で全く無言。鼻息の荒いおじさんが三田まで乗っていた位で、これもまた終列車の現実とあきらめる。それにしても、神戸線と違って、客筋がずいぶんおとなしい?ようだ。

■三田〜城崎 おやすみモードと深夜の喧騒

三田を発車後、「おやすみ放送」が流れた。「おやすみの妨げとなりますので、明朝6時過ぎの安来到着まで、放送は控えさせて頂きます。途中駅でお降りの方は、ご注意下さい」 車内灯が減光され、「だいせん」は深夜モードに切り替わった。段々と山間に分け入っている感じで、外の明かりもほとんど見当たらなくなって来た。
一段落ついたので、久々に今夜のベッド、@号車を覗いたら、山賀部長はもう寝息を立てていた。

しかし、取材で「だいせん」に乗った以上、こちらも「おねむ」 という訳にはいかない。
まずは、皆さんの「おやすみ」の収録を行う。深夜の洗顔の音と、寝台のカーテンを引き、ベッドの明かりを消すシーンをまず押さえる。

次に、「だいせん」の全体像を捉えてみるこ とにした。この列車は全部で5両しかないので、D号車から@号車までマイクを持ったまま連続してたどる「列車縦断」を初めて試みた。途中の寝台車では、イビキを立てたおじさんの音も入っており、深夜の「だいせん」の特色がよく表現出来たのでは、と自負している。

そうこうしているうちに、1時1分、列車は山陰本線との分岐点、福知山に到着。ここでは24分も停車する。
こちらの目指すは運転士交替シーン。到着前から@号車最前部デッキでマイクを構える。ドアが開き、1両目の機関車にゆっくり移動。相変わらず重連のディーゼルの騒音が凄まじい。運転士交替は「機関車異常なし」の引継ぎだけで、誠にあっけなかった。

福知山駅では、深夜にもかかわらず大勢の「鉄ちゃん」が写真を撮っていた。20人以上いたかしら。三脚を構え、みんなそれぞれの思いでこの「だいせん」を記録に留めようと必死のようだ。中には大声で何やら叫ぶのもいる。
廃止前の賑わいは想像以上だった。

それはともかく、ホーム端にコオロギが鳴いていたので、アイドリング中の機関車の音と一緒に録音する。そう言えば大阪駅でも、どこからかコオロギの声が聞こえていたっけ。
1時25分、定時発車。「だいせん」は、いよいよ山陰本線に足を踏み入れた。

さて、次なる目標はディーゼル機関車の走行音だ。今回の取材に当たって、何とか「だいせん」の機関車添乗が出来ないか、山賀部長と相談した。その結果、「『だいせん』機関車添乗申請」の文書を作り、仕事のスケジュールの合間にJR西日本本社を訪問、正式に申し入れを行ったが、現実は厳しく、安全上での配慮などを理由に断られてしまった。多くの人命を預かる現場に、一般の者が立ち入ってウロウロするのは、やはり難しいということなのだろう。

しかし、取材する手前、夜行列車の走行音、特に「だいせん」の場合はディーゼル機関車の音は欠かせないが、固定窓の寝台車では、それは望めない。
そこで、黒澤映画「天国と地獄」の「こだま」号シーンをヒントに、@号車後部の洗面所の窓をこじ開け、7pの隙間にマイクを近づけトライしてみたが、機関車の音が遠いことと、トイレに立つお客が来た場合に足音などが入るリスクがあったため、NGを出した。

本当に迫力のある録音をするには、機関車に近い、大きく開く窓を探すしかない。このため、@号車最前部の車掌室を開けてもらうことを考えた。ここなら機関車に「かぶりつき」だし、しかも密室なので誰も来ず、じっくりと録音が出来るはずだ。

さあ、これからが勝負! 2時28分着の豊岡までベッドで仮眠し、その後車掌室をノックすることにした。

(つづく)

注)個人名はすべて仮名です。