特急「白鳥」 ロングラン1040km取材記

♪ 〜 本日は、特別急行列車「白鳥」号にご乗車下さり、有り難うございます。
列車は間もなく発車致します。お見送りの方は、どうぞホームからお願い致します。 〜♪


1.青森〜新潟

取材前日12月2日、全日空「超割」を利用して関空から札幌に飛ぶ。札幌まで1万円は安い。今回、久々に私のお取引先の「鉄ちゃん」でおられる山賀部長と一緒だ。千歳空港の、空港では日本一という売店で、カニ、イクラ、シャケなどのすし弁当と、サッポロビール、「北の誉」などを買い込み、早速汽車旅スタート! 千歳空港→南千歳→新得→滝川→札幌と6時間かけて、ぐるりと北海道を小回り。雄大な雪景色に見とれる。
札幌では駅前の「 灸屋」でカニや魚、そして地酒を味わう。本場のカニは、さすが! その後雪道に滑らないよう気を付けながら、時計台やイルミネーションが美しい大通公園を見て、すすきのまで歩き、「ひぐま」の塩ラーメンを賞味。これまた美味かった。
札幌駅で、大阪までのきっぷを買う。いよいよ気分は盛り上がる。ここから「白鳥」の始発駅青森までは、夜行急行「はまなす」のカーペット車に乗った。最初はフェリーの桟敷席を想像していたけれど、ちゃんと仕切られていたし、枕、シーツ、ハンガーも備わり、スペースもまずまず。寝台車と遜色ない、と言うより幅は寝台より広そう。寝心地はまあまあだった。途中「コーーーーッ」という青函トンネル独特の音で目が覚める。
5時前、早くも「おはよう放送」が流れた。もちろん外は真っ暗。5時18分、寝不足の目をこすりながら、放り出される様に青森で降りる。北海道と違い、もう雪はなく、どうも小雨模様。欠伸をしながら見渡すと、向こうのホームには、お目当ての特急「白鳥」がこうこうと明りをつけて止まっていた。

駅の階段を上がり、いよいよ乗り込む。485系という、およそ30年前の電車による9両編成で、今や懐かしい クリーム地+窓回りワインレッド の国鉄特急色をまとっている。しかも、先頭車は昭和33年にデビューした特急「こだま」の伝統を受け継ぐボンネットタイプ。'50sのアメ車のイメージだ。何だか20年ぐらい前の学生時代にタイムスリップしたみたい。
私達は自由席の8号車に居座った。「はまなす」からの乗り換え組は案外多い。と言っても50人位かな。ホームでは立ち食いそばと駅弁屋のいるあたりだけが人気がある。私もこれからの長丁場に備え、まずは月見そばを頼む。眠気ざましに缶コーヒーを買い、いよいよ本番開始!

6時10分、発車音が鳴り響く。ところが、これが東京と同じで、いささかがっかり。11分、「プシューッ」ドアが閉まり、いよいよ1040kmに及ぶ長い旅が始まった。

 

「本日もJR東日本をご利用下さり、ありがとうございます。この列車は特急『白鳥』号、大阪行です。…」車内放送が流れ、大阪までの停車駅が延々と語られる。実にその数38! ところが、電車特急でおなじみの「鉄道唱歌」のオルゴールが流れない。おやおやと思う。あれっ、と半ば戸惑いながらデッキから車内に入る時に何とトラブル発生!手がマイクに触れてしまった。一瞬がっかりしたが、後で編集すれば、とすぐ気を取り直す。どうも気合が合わない様だ。(ここは、後日「査定」をしてみたけれど、どうやら問題なかったので、一安心…)

間もなく車内改札が始まった。とりあえず押さえる。後は秋田までお休み。

6時30分過ぎ、川部あたりでうっすらと夜が明ける。津軽富士、岩木山はよく見えない。

6時40分弘前着。その後大鰐(おおわに)温泉を過ぎ、やがて矢立峠。かつてD51が重連で奮闘した陣場あたりを「白鳥」は悠然と駆ける。その頃何度もSL撮影に足を運んだという山賀部長のお話を聞く。 7時13分大館着。軽便鉄道時代の同和鉱業の情景や花岡事件など、過去の歴史を想像する。ここから分岐する花輪線が大回りして消えて行った。

しばらくまどろむ。目が覚めると、もう東能代(7時51分)だった。

8時頃、気分転換に車内をうろつく。自由席は各車両20〜30人は乗っているようだったが、指定席はガラガラで、せいぜい2〜4人といったところ。これじゃまるで回送列車だ。

秋田が近づいた。「白鳥」は中々のペースで走っている。1つ手前の駅から本番スタート。8時43分、定時に秋田着。ここでは車掌さんの交替風景も収録した。向こうのホームには、大阪からのブルートレイン「日本海3号」が入って来た。
秋田からは車内販売も乗車、やっと列車らしくなる。ところが一向に現れない。延々と待ちぼうけ、ようやく録音。窓からは、いよいよ日本海の荒波が見え隠れする。厳しい自然に耐えながらもそそり立つ松が美しい。
7号車では北海道帰りのおじさん3人組が楽しそうに話をしている。引出物からして、結婚式帰りなのだろう。久しぶりに聞く東北弁。これを狙う。けれど、耳が付いて行かず、雰囲気しか分からない。(家で「査定」した時も、やはりよくわからなかった)中国語に親しんだ私も現地の方言には参ったけれど、日本語も面白いものだな、と改めて感心。ご一行は象潟(9時40分)で降りて行った。

鳥海山はよく見えず。10時10分酒田に着いた。山形県の停車駅の代表として録音する。かなりお客も増えて、だんだん活気づいて来た。雨もいつのまにか上がり、遠くには雲の切れ目も見え出した。
左前方に月山が望まれる頃、山賀部長が「大島さん、あれ白鳥の群れですよ」と教えてくれた。見れば刈田の中に白い点のような鳥が群がっている。その数100羽以上というグループが、あちこちに目に飛びこんで来る。特急「白鳥」の由来、まさしくここにあり。
やがて、県境の鼠ヶ関(ねずがせき)。ここからは「笹川流れ」の景勝が楽しめる。穴の開いた巨岩が荒波に洗われている様は寒々とはするものの、中々の見どころだと思う。山賀部長は、ここもSL時代にC57などを追いかけて'何度も回られた由。「白鳥」はカーブに身をくねらせながら、のんびりと走って行く。
このあたり、沿線の集落は荒涼とした板張りの粗末なものが多い。同じ日本海沿いでも、山陰よりも更にうらぶれた感じだ。特にこれと言った産業もなく、自給自足に近い状態が続いているのだろうか?寂しい眺めが続く。

今度は新潟県、最初の停車駅は村上。おっと、その前に「白鳥」も電源切り換えだ。(交流50Hz→直流)何故か2回も電気がついたり消えたりと、あわただしい。後で車掌さんに伺ったところ、以前切り替えミスで事故があったからだとか。
その村上(11時27分着)では大勢乗って来る。日曜日の昼前で、ちょうど良い時間帯ということもあってか、自由席はほぼ満員。「白鳥」が初めて活気づく。ほとんど新潟に出掛ける人みたいだ。

11時54分新発田(しばた)着。ここから白新線に入る。新潟はもうすぐだ。私は新潟着を押さえるため、出来るだけ賑やかそうな車両を物色、グリーン車となりの5号車を選んだ。今乗ってきた感じの親子連れを狙う。素朴な会話が楽しかった。
やがて、大きな車庫が見えて来る。上沼垂(かみぬったり)運転所だ。上越新幹線開業前の特急「とき」の先頭車が保存してあり、電車特急では後輩の「白鳥」を見上げている。実はこの電車こそが、ボンネット型特急の元祖、かつて東海道を「こだま」で活躍していたクハ181である。
上越新幹線の高架が近づき、いくつもポイントを渡る。12時17分、新潟定時到着。「白鳥」は駅の建物の真ん前、1番線に横付け。さすがの貫禄だ。

2.新潟〜大阪

新潟では客の大半が入れ替わり、車掌さんもここで交替。駅が行き止まり式なので、列車はここで進行方向も逆になる。つまり今来た同じ方向に引き返すと言うわけだ。「白鳥」はここで17分も大休止。雪などによる遅れを見込んでなのだろうが、随分のんびりしたものだ。私は取材で忙しいことにかまけて、山賀部長に駅弁、ビールに缶コーヒー2つなど、用立てをお願いする。

ホームでは、まず立売りの駅弁屋さんの声を録音。あまり景気は良くないようで、ひやかしにおばさん達がのぞいていくが、あまり数は減っていない様子だ。
ここでは、とうとう「鉄ちゃん」が現れる。特にボンネット型の先頭車の回りには3〜4人がカメラを持ってうろうろ。廃止も近いのかな、とつい勘ぐってしまう。
そうこうしていると、時ならぬスコール。突然ホームの屋根が「ザーーッ」とざわめく。新潟に長いこと止まっていたら、雨に追いつかれてしまったらしい。

12時34分、新潟発車。 あとは一気に大阪へ! と言いたいところだが、まだ道半ば。あと6時間30分以上もある。程なく大阪までの停車駅の案内が始まった。

さあ、お昼だ!早速缶ビールを山賀部長と開け、乾杯。ビールは何とあの「エチゴビール」(ピルスナータイプ)で思わずにっこり。さすが目ざとい山賀部長、と感謝。コクのあるおいしい地ビールである。駅弁は「鮭寿司」、富山の「ますのすし」の鮭バージョンといった趣で、お味の方もまずまず。

のんびりとお昼を楽しんでいると、突然車掌が来た。車内改札だ。お箸を置いて、あわてて本番。全く取材中は気が抜けない。そうこうするうち、今度は車内販売の放送が入る。面白そうなおばさんの、よどみない声。しまった、何とかもう1回やってくれないかな、と悔しい思いをする。やはり、人のくつろぐ時間は、録音屋にとっては稼ぎ時なのだ。のんびりと弁当を広げてはいかんかった、プロ根性に徹しなければ、としきりに反省。しばらく「長距離もの」を手掛けていないと、どうも腕もカンも鈍る様だ。食事を急いで済ませ、車内販売の追っかけをする。有機栽培のブドウで作ったワインや、さっきの「エチゴビール」も売っている。こだわりの?車内販売だった。

13時23分長岡発車。しばらくして待望(?)の「鉄道唱歌」のオルゴールが鳴り、車内放送が始まった。その後さっきの車内販売のおばさんの放送も流れた。が、これは惜しくも最初を録り逃す。どうもいけない。

また仕切直し。次は糸魚川での今日2回目となる電源切り換えと、その先の富山までは予定がなく、少し余裕が出来るので、車掌室をノックすることにした。去年の「たかやま」以来、車掌さんとはとにかく仲良くして、ドアの開閉や放送の「生」取材、そして裏情報などを得るのが、私のJR取材の基本パターンとなっている。車掌さんは青森〜大阪までの全区間をJR東日本が受け持ち、新潟〜大阪は「新潟運輸区」がその任に当たる。今日は鈴木、木村の両氏。さっそく直江津での録音許可をもらった。

14時15分直江津着。やっと晴れて来た。ロシア人とおぼしき2人連れと日本人女性の通訳がグリーン車に乗って来る。
1分停車の後、発車。このシーンをしっかり収録。鈴木車掌が車掌室の窓から顔を出しながら、ドアスイッチを操作、「 ドア閉」を指差確認し、「側灯、滅!(そくとう、めつ) 発車!」と喚呼。歯切れの良い声が響く。きりりとした動作も鮮やかだ。
ついでながら「側灯、滅!」とは、ドアが開いている時に点灯する各車両側面の赤ランプが「滅」つまり消えれば、ドア閉め完了、すなわち発車OK、という意味合いの鉄道用語だ。

長いトンネルをいくつも抜け、糸魚川(14時40分)直前で、2回目の電源切り換え。今度は交流60Hzに変わる。日本海沿線の複雑な電化工事の歴史が伺える瞬間でもある。どこかで「バシッ」と鳴ったと思ったら、また蛍光灯が消えた。車掌さん曰く、上手な運転士の場合だと、電気が消えず、いつこの切り換えが行われたか分からない程だとか。

お次は富山。今回の取材に当たっては、取りあえず「1県1駅」は録音しようと心に決めていた。「たかやま」みたいに沿線の案内放送がある訳でもなく、今回の「白鳥」はまとめ方が難しい。いつまでも車掌さんばかり追いかけるのも芸がない。次は京都まで置いておくとして、あとはあっさり流すことにする。

しばらく休む。さすがに早朝からの13時間連続勤務(?)はきつい。車掌さんも延べ3シフトで通す距離なので、疲れるのも無理はない、と勝手に決めこむ。
目が覚めると、また荒れた海が目に飛び込んできた。親不知(おやしらず)あたりだ。また小雨が降っているらしく、憂鬱な暗い海が広がっている。

寝ぼけまなこでデッキをうろついていると、中国の女性が携帯で彼氏?と電話中。いろいろな人が乗っていることの証拠?としてこれも録音する。きれいな標準語で聞き取りやすい。

富山15時33分着。ここからは、私自身の出張その他でおなじみのルートになる。車内が異様に暑かったせいで(多分、寒かった青森と同じ暖房の設定にしていたんだと思う)ホームに涼みに出ていたおっちゃんがどうも危なっかしい。マイクに当たったり、変に話し掛けられやしないかと、ひやひやした。ここの発車音は子守唄風で独特な感じだったけれど、暗いイメージとのクレームがついたらしく、知らない間に曲が変わっていた。
発車後しばらくして、バッテリー切れ。大勢に影響はなかったが、またしても、ひやひやである。まあ、長い取材だと、多少のミスもあるわい、と開き直る。

金沢。ここではどっと乗って来る。カニとおぼしき青いスチロール箱を下げたお客さんも、ちらほら。すでに酔っ払いモードで盛り上がっている様子だ。16時12分、珍しいお琴による発車音に送られる。この音楽、加賀百万石の栄華を今に伝える様な素晴らしいもので、日本の鉄道でもピカ一だと思うが、いかがだろうか?

外はいよいよ暗くなって来た。青森を出てもう10時間以上経ったことになる。同じ列車に乗っていながら、夜明けも日暮れも体験出来るのは、夜行列車以外、日本では滅多にないことだ。
さて、車内に目をやると、すっかり満席になっている。青森発車のガラガラ振りがウソのようだ。喫煙車は段々タバコ臭くなり、いつもの(?)北陸特急のパターンになって来た。車掌も通気口を開ければいいのに、とにかく煙がこもって実にむさ苦しい。
その内車内は倦怠ムードになり、皆さんお休みモードに変更。会話も途絶えがちになって来た。
退屈しのぎに再び車内を見回ったところ、青森からずっと通しで乗っているのは、どうやら私達以外に「鉄ちゃん」らしい若者が1人だけ。かつての「北海道連絡」の大義名分は、飛行機や新幹線の発達ですっかりなくなってしまったようだ。

17時4分福井着。青っぽいホームの明りが寒々としている。ここは富山と同じ発車音だった。特に何もなし。

次は北陸トンネルの「走り」を録音。開通当時は日本一のトンネルとして賞賛され、私も小学校のたしか「硬筆」の教科書で習った記憶がある。 17時20分過ぎ、先頭の1号車デッキまで歩き、マキシマム130km/hの轟音を押さえる。「ゴーーッ」という音は、耳がマヒしそうな程だ。バッテリーの都合で前後に絞り、トンネルを出て、敦賀の出発(17時41分)まで録音。雨でレールが濡れていたのか、特急電車の空転の音を初めて聞いた。「ヒューー」というモーターの音が突然跳ね上がる。これは中々面白いかも。

さて、次のポイントは今日3回目、そして最後の電源切り換えシーンだ。今度は再び直流に戻る。と思ってマイクを構え始めた瞬間、アイヤ、もう電気が消えた! 日も暮れたので、ほとんど車内は真っ暗。しかし、皆さんお休みモードのため、ざわめきも起こらず、車内放送だけの単調なものだった。暗い車内から、鏡のような琵琶湖越しに遠くの夜景がポツリと見える。中々ロマンチックな眺めだ。
個人的には、夜走る列車ではこの「車内灯なし」も面白いなあ、と思う。「ひかりレールスター」の「サイレンスカー」みたいに「ナイトビューカー」とでも銘打って走らせてはどうだろう?夜景を楽しんだり、ゆっくりと眠りたい人にとって最高のプレゼントだと思う。スリが心配など、デメリットもあるだろうが…。

「白鳥」は、はや湖西線を琵琶湖に沿って爆走!北陸トンネルと同様に130km/hで近江今津以外の駅をすっ飛ばし、一路京都を目指す。 485系は古い国鉄型の電車だけれど、安定した走りっぷりである。この爆走シーンも収録した。

西大津を過ぎてから再び録音開始、今度は京都着発を狙う。山科を出て、東山トンネルを出たところでようやく車内放送があった。随分大勢の人が降りるようで、車内もざわつく。

京都。あとはもう通い慣れた道だ。向かいのホームは、新快速を待つ人でごった返している。私のマイク姿に好奇のまなざしが…、と「マイクを持ってどうされてるんですか?」酔っ払いのおっちゃんが声を掛けて来た。あわてて左手の人指し指を口に当てて首を横に振る。停車中で、しかも発車の音楽が鳴る前で良かったが、これまた冷汗ものだった。

「側灯、滅 !」再び鈴木車掌の声が響く。18時38分京都定時発車。

さあ、いよいよラストスパート!途中普通電車を何度か追い抜き、早くも新大阪が近づく。この時点で、レギュラーのバッテリー3本は全て使い果たし、残りは20分程しか使えない予備バッテリーだけとなった。抜かりなく最後を締められるだろうか?ハプニングは起こらないだろうか? 車掌室をノックし、不安と緊張の内に最後のスイッチを入れる。

「新大阪ぁー、新大阪ぁー、新幹線方面はお乗り換えです」 以外と多くの客が降りる。「発車!」まだ若い木村車掌にマイクを向ける。19時2分、発車後しばらくして「鉄道唱歌」のオルゴールが鳴る。新淀川の鉄橋を轟々と渡り、最後の放送が始まった。私は車掌さんの横にマイクを突き出して、生+スピーカー の両方の音を録音した。こういう時に例のバーは本当に役立つ。 「長らくのご乗車有り難うございました。間もなく終着駅、大阪です…」 さあ、早く無事に終わってくれ! 私は半ば祈るような気持ちでこれを見守っていた。
やがて、HEPナビオや阪急・阪神百貨店の明りが見えて来た。

19時6分。「大阪、終着駅大阪です。長らくのご乗車お疲れ様でした…」デジタルではあるものの、この女声の放送をこんなに嬉しく聞いたことはなかった。 乗客は思い思いにホームに散って行く。ひとしきり録音を終え、車掌さんに「有り難うございました!」と丁重にお礼をした。

行先が「回送」に変わった「白鳥」を見送る。19時20分、全ての録音終了!とたんに疲れがどっと噴き出てきた。
やった、とにかくも1040km乗り通した! 長い旅が、長い取材が、今終わった。
「お疲れ様でした!」 私と山賀部長は、打ち上げをする気力もなく、家路についたのだった。

 

2000.12.17
神戸にて
Ichiro

♪〜 本日は、大変長らくのご乗車お疲れ様でした。なお、引続きまして、2回目の取材内容を盛り込みました「白鳥」続行便を運転致しますので、またのご乗車を心からお待ち申し上げております。本日は、特別急行列車「白鳥」号にご乗車下さいまして、誠に有り難うございました。 〜♪

(個人名は、すべて仮名です)