特急「白鳥」 ロングラン1040km取材記 (2)

さようなら、「白鳥」!!

♪ 〜 皆様、大変長らくお待たせ致しました。 本日、2度目の運転となります、特別急行列車「白鳥」号 青森行、間もなく発車致します。 〜♪


さて、前回の取材が終わったその週末、衝撃が走った。新潟日報で「特急『白鳥』が来年3月に廃止になる」という記事が載ったというのである。記事によれば、「白鳥」だけでなく、新潟直行の「雷鳥」や「スーパー雷鳥」も廃止の対象に入っているとのことで、正直「何で?」と驚いた。 さっそく山賀部長に「えらいこってす」と連絡をしたのは言うまでもない。
「白鳥」廃止の理由については、もういちいち触れない。が、前回の取材記でもお分かりの様に、通しで乗る人もほとんどおらず、大阪〜青森を無理やり1本の列車で結ぶ意味合いが既になくなっていたのは事実だろう。

しかし、昭和36年以来、約40年間に数多くの人々が利用した「老舗」特急がなくなるとあって、年が改まってから、このニュースは「鉄ちゃん」関係だけでなく、朝日や日経などの一般紙でも広く取り上げられ、にわか「白鳥」ブームとなってエスカレートして行ったのである。。

そんな最中、私は、たまたま2001年2月26日(月)に東北に出張することになった。その瞬間、「廃止間際で大変やろけど、もう1回『白鳥』の取材に行こか!」 風邪でせき込みながらも、心は雪の大地に飛んでいた。すぐに 大阪→仙台 の飛行機をキャンセルし、前日の日曜日に大阪〜青森を「白鳥」で通し、青森泊、当日青森から出張先に向かおうという計画を立てたのである。
ところが、「白鳥」の指定を取ろうとすると、あの時ガラガラだったと言うのに、何と満席!?
どうも怪しげな旅立ちとなった。。

1.大阪〜新潟

「白鳥」最後の日曜日、2月25日。私は、病み上がりだったが、このチャンスを逃がしては一生悔やまれる、とばかりの悲壮な決意と使命感(?)に追い立てられ、録音機材を詰めた。1gでも荷物を軽くするために下着以外の着替えも切り詰めたものの、風邪の身に機材は重い! 出張に備えて背広にオーバー、しかしそれにデイパックを「背たろうて」、というミョーないでたちで大阪駅に向かった。

「たかやま」の時と同じ11番線へ。ところが、どこから現れたのか、ものすごい人だかり!特に神戸寄りのホーム先端はカメラ「鉄ちゃん」だらけ。どうやら何百人という人が集まっている模様だ。ある程度の覚悟はしていたものの、今までの取材の中では、「ひばり」(上野→仙台)最終列車('82.11)に次ぐ喧騒ぶりだ。
ホームでは日曜日のせいか、大勢の家族連れや「鉄ちゃん」が無闇にウロウロし、その上「近ツー」の旗の下、万博の時のノーキョーさんではないかと一瞬思った程のご年配の団体様がぞろぞろと集まり、まあにぎやかなこと!まるで今日にでも廃止になるみたいだ。

「11番線、お下がり下さぁーーーい!! 『白鳥』号入線です!」いつもの駅員が今日は血相を変えて叫んでいる。「ピッ、ピィーーッ!」注意の笛も鳴る。10時5分、警笛を鳴らしながら「白鳥」が物々しくホームに入って来た。皆必死の形相でカメラを構えている。

電車はいつもの9両では納まらないのか、2両増結。しかも、その号車の振り方は「増3」「増4」という具合に、いかにも急ごしらえな感じだ。今日はそれでも足らなかったらしく、「本日指定席はすべて満席となっております」と繰り返し放送していた。
私は前々日に辛うじて通路側ながら指定席が手に入ったので難は逃れたものの、こりゃ大変ナリ。

発車までの短い時間に写真を撮るためにうろつく。後ろのボンネット車まわりは、入り込むのが難しいほどの「鉄ちゃん」だらけ。かと思えば、他の車両では、杖をついた老夫婦が「特急『白鳥』青森行」のサインの前で記念写真を撮ったりしている。2人の思い出の列車なのかな?ほほえましい光景だ、と思い、カメラでパチリ。

10時12分、怒号と喧騒の中、「白鳥」は定時発車。3号車のデッキでこれを収録する。ところが、運悪く車内販売の人から発車直後に「マイク、うまく行きましたか?」と声を掛けられ、ほとんどボツ! 熱が出そうだ。。
しかし、事実は事実。あくまで冷静に録音を進める。車内放送、新大阪と淡々と録音し、念のため車内を見回る。どうも95%以上がアブノーマル、つまり「鉄ちゃん」か「お名残り乗車」組のようだ。これじゃまるでイベント列車みたいで、あらかた予想はしていたものの、実に面白くない。しかも私の乗った3号車はさっきの「近ツー」様のツアー枠のど真ん中らしく、私の席もそのキャンセル、おこぼれでやっと取れたことも分かって来た。

サントリーの醸造所が見えて来た。山崎である。ここには、大カーブがあり、鉄道写真の名所(?)にもなっている。今日は、いつになくカメラの放列が出来ていた。「あれ見てん。すごい人やで」車内でもどよめきが起こる。

10時15分、京都。ツアーの京都乗車組がどっと乗る。ツアコンらしい若者がひんぱんに出入りし、録音の邪魔をして鬱陶しい。「鉄ちゃん」が走る。その上例の「ソラシド」の発車音も鳴らない。でもって、やたらうるさい。段々アホらしくなって来た。

列車は湖西線に入った。比良は今日も雪。車内では、例のツアコンがツアー特製の「さよなら『白鳥』記念乗車券」をメンバーに配っている。
11時過ぎ、近江永原からの電源切替えを収録するため、5号車デッキへ。途中の車両も「鉄ちゃん」他で異様な雰囲気に満ちている。

敦賀を出、北陸トンネルを抜けると、本格的に雪が積もっていた。とは言っても、この1月に「雪まみれ 北陸出張災難記」で難儀した時ほどではない。今日は何事もなく通過。ツアーのメンバーは誂えの弁当を食べている。

福井12時5分着。ここも、あの時と違って、雪はない。その代わりかどうかわからないが、降りた瞬間、ものすごい突風のサービスを受ける。ますます面白くない。しかし、腹は減る。これからに備え、「越前弁当」とかいう幕の内を食べ、風邪薬も飲む。体調はまだもう一つ。

12時56分、金沢。またさっきのツアコンがウーロン茶を買いに走る。仕事で大変とは思うが、こちらの邪魔をされるとアタマに来る。いつもの素晴らしいお琴の発車音も、いつにない喧騒の中、空しく聞こえる。
ここで、私はとうとう「取材中止」の決意をした。この馬鹿騒ぎをずっと追い掛けても、後世に残る録音には到底なり得ないことがはっきりしたからだ。普段着のありのままの姿をナチュラルに追い求めるという、私の生録スタイルと全く合わず、愛想を尽かしたのだ。それにしても、よく金沢までガマンしたものだと思う。

後の目的は、前回の取材の補足、つまり直江津〜新潟の車内販売のおばさんの「放送」が収録出来れば良しとする。そう考えると段々眠たくなって来た。ぼんやりと外を見る。「白鳥」は山に分け入り、ちょうど源平の古戦場、倶利伽羅(くりから)を走っている。ここはまた鉄道写真の名所でもあるが、めぼしいカーブには「鉄ちゃん」がずらり。雪もあり、さぞいいシャシンが撮れるのだろう。しかし、中には線路内に平気で入り込み、しかも保線区員の監視用の見張り台に乗っている不埒なヤツまでいる。
「アホなやっちゃ」しばらくぼやいていたが、風邪薬が効いてきたのか、本格的に眠たくなる。

13時34分、富山。何故かしばらく止まっていたようだが、定かではない。再びすぐ眠る。延々と眠る。。。
目が覚めると、もう直江津。古いレンガ車庫が目に飛び込んで来た。

さあ、前回録り逃がした車内販売のおばさんの「放送」を狙うぞ! と背伸びをして、気合を入れる。14時49分の直江津発車から、録音スタート。ところが何もなし。念のため20分テープを回す。

米山あたりで、天気は再び晴れ。日本海の荒波に沿って走る。今日は一段と波が逆立っている。入江の岬からはまた「鉄ちゃん」がずらり! 「あそこからやったら、ええ写真が撮れるやろなあ」と歓声が上がった。

日本海と別れ、しばらく走ると今度は吹雪だ。あたり一面、真っ白になる。石油の油井とおぼしきヤグラもかすんでいる。それにしても、今日の天気は実に目まぐるしい。

15時38分、長岡。ここを出ても車内販売の放送はなし。やがて、当の車内販売がワゴンで登場したが、残念ながら、あのおばちゃんではなかった。。
「よし、ヤメ!」これ以上マイクを持っていても仕方がない。マイク、レコーダー一切をデイパックに詰め直し「武装解除」。やっと身軽になる。
それにしても、今日は意味もなく疲れた! こうなったからには、一刻も早く「宴会モード」に切り換えたい。例のエチゴビールとおいしい駅弁!そうだ、ヒラメ寿司がいいなあ、と早くもアタマは新潟の駅弁屋に。。

「間もなく新潟です。進行方向が変わりますので、座席の向きの転換をお願い致します…」ツアーのメンバーは慣れない椅子と格闘して、何とか方向転換。あちこちでガタンガタンという音が車内に響く。

「白鳥」はやや遅れて、16時23分、ようやく新潟に着いた。

2.新潟〜青森

新潟では、6分停車。12月に乗った上り列車と違って、雪などの遅れの余裕を見ていないのか、とにかく時間がない! ところが、ここも大阪駅に負けないほどの人!お客が入れ替わるため、乗り降りで手間取る上に、「白鳥」狙いの「鉄ちゃん」が混乱に輪をかけている。写真と駅弁を求めて、今度は私が走り回らされる羽目になった。
まず、先頭車に向かう。1号車の回りには40人位がボンネットを狙ってパチパチやっている。ここの写真は適当に済ませ、さあ、今度は駅弁!と思ってホームの人垣越しに見ても、それらしいものは見えず。急いで6両目のグリーン車のところまで走ったが、何とシートを掛けて休んでいた! えらいこっちゃ、せめて缶ビールとつまみは確保せんと、と今度はキヨスクに向かって走る。が、早くもベルが鳴り、時間切れ。 あぁ。

16時29分、非情にも「白鳥」は私のエチゴビールとヒラメ寿司をほったらかして、無理やり飛び立ってしまったのだった。。

ますます腹が減る。と同時に、この馬鹿「白鳥」騒ぎに腹が立って来た。しかし、ここからも車内販売があるはず、それを絶対逃がさんぞ! 腹を固めることにした。
やがて、ガラガラと言う音と共にワゴンがやって来た。 早速弁当2個とラガー2本を買い求め、早目の夕食をとることにした。
今日の車内販売は、かわいそう。恐らくいつもの何10倍も売れているのだろう。すっかりやつれ、ワゴンを押すのも大儀そうだ。息使いも荒く、「はあ」とため息が漏れている。同じ時給だったら大変だな、といささか同情した。
さて、その待ちに待った2つの駅弁だが、1つ目の「コシヒカリ弁当」は、特に印象なし。もう1つの「まさか いくら なんでも寿司」は、マス、イクラ、シャケのちらし弁当だった。味はまあまあだったけれど、腹が減って餓鬼の様になっていたので、有り難かった!

その間に17時14分、村上で電源切替え。暗くなった車内をすかさず写真に収める。

食事で満足した後は、しばらく今日の取材メモをとる。日も暮れて、外はもう紺色の世界だ。荒れた日本海が一面に暗く広がっていた。波頭だけが白く牙をむいている。

薬とビールのせいで、しばらくおねむ。19時頃、「突風のため、徐行しております」と放送が入り、目が覚めた。見れば、酒田を過ぎ、吹浦(ふくら)のあたり。確かに「白鳥」は35km/h位でそろそろと走っている。
再び眠る。同じ様な放送を、夢うつつの内にもう1回ほど聞いた様な気がする。

20時5分頃、仁賀保(にかほ)着。行き違い停車とのことだったので、目覚まし代わりに外に出ようとしたが、何とドアが凍って開かない。仕方なく手で開け、外に出る。おお、10cmくらいの新雪が! やがてツアコンやツアー客も気付き、皆で新雪を踏み合う。写真も撮った。

羽後本荘20時20分着。さっきの徐行のせいもあり、約38分遅れ。こんな調子で果たして青森は大丈夫かな?と一瞬不安がよぎる。
21時ちょうど、秋田。遅れはそのままだ。雪の中、「鉄ちゃん」が頑張っていた。

再び車内を見渡すと、すっかり宴のあとで、皆さんまあおとなしいこと!ツアーに参加しているちびっ子だけが元気だ。トイレに立ったついでにデッキにいるツアコンの主任に尋ねると、「『さよなら白鳥』ということで、昨日(2月24日)出発から『白鳥』最終(3月2日)まで1日200人で募集しましたが、当たりましてね。ほとんど満席です」とのこと。青森泊と、函館泊と2種類あって、帰りはさすがに飛行機とか。気になる料金は青森泊で29,000円。ハードスケジュールながら、「白鳥」人気を利用した商売は中々好評で、特に年配客に人気があったらしい。今日の客筋も、リタイア組がかなりを占めていた。けれど、この13時間缶詰の難行苦行(?)は辛かったに違いない。私の先輩の知人もこの「白鳥」に乗ってギックリ腰になったとか。。まあ、「白鳥」に揺られている間に、飛行機だとアメリカまで十分行ける時間だから、さもありなん。
それにしても、昔の人はよくこんな窮屈な旅に耐えられたものだな、とつくづく感心した。

再び眠る。夢の中で「青森から札幌行の『はまなす』にお乗換えの方は、申し出て下さい」と繰り返し放送していたのを、うつろに聞いた気がする。多分「白鳥」の遅れが縮まらず、青森での乗換えに間に合わないのだろう。
結局案外乗換え客がいたのか、青森で「はまなす」が接続待ちをすることに決まった様だ。

23時24分、25分遅れで「白鳥」は青森駅に到着。 あー疲れた。私は半分眠気まなこ。。
降りてびっくり、外はブリザードだった。線路もホームも一面の雪におおわれている。大勢の客が降り、ホームは時ならぬ混雑。「白鳥」待ちだった「はまなす」がすぐ出て行った。
雪を踏みしめながら、写真を撮る。先頭車はともかく、最後尾の車両は雪だるまみたいになっていた。かなりの人垣。「鉄ちゃん」に混じって、家族連れなども記念写真を撮っていた。

明日の上り「白鳥」のホーム入線時刻を駅で確認し、パウダースノーを蹴りながらホテルへ向かった。

3.翌朝、青森駅で

ホテルの風呂で、冷え切った体を温めて、仮眠。朝4時に起きた。普段では絶対考えられない時間だ。駅前にコンビニもなかったせいで、缶コーヒーにアーモンドチョコ、それとポテトチップスで朝食代わりにする。

4時半過ぎ、「白鳥」入線時刻に合わせて小走りに駅に行くと、あれっ、駅が閉まってる!やむを得ず、ガラス戸に寄りかかって、こごえながら録音の準備をする。
ふと見ると、頬かむりをして、寒さにじっと耐えているおばあさんが。こんな朝早くから仕事にでも行くのだろうか? 何故か訳もなく、涙が出そうになった。そして、道楽でこんな所にいる自分に感謝した。

5時、駅員が現れ、ようやく戸が開く。ところが、肝心の改札は「白鳥」入線時間と同じ5時10分にしか開かない!駅員に「中に入れてくれませんか」と頼み込んでみたけれど、結局駄目。まあ、改札が開いとらんかったら、どうせホームでも「白鳥」入線を放送せんやろ、とあきらめる。
5時10分、改札が開くと同時に3番線にダッシュ。しかし、やはり「白鳥」はもう静々とホームに入って来ていた。

さて、今日の目的は、前回の12月取材時の補完、つまり青森での「はまなす」到着と、ホームの駅弁売りと駅そばのシーン、そして「白鳥」出発シーンの収録である。幸い昨晩の様なブリザードは全くなく、録音には絶好のコンディションである。

人気のない3番線。駅弁屋のおじさんと、そば屋のおばさんが、黙々と支度をしている。雪の積もったホームに暖かい湯気が流れる。寒い早朝ならではのシーンである。
そこへ、5時25分、ディーゼル発電機のごうごうと言う音を響かせて、札幌からの「はまなす」が遅れて入って来た。前回私達がそうした様に、旅人が「白鳥」に乗り込んで行く。ようやくホームが活気づき、駅弁やそばが賑わう。横ではホームの雪かきが黙々と行われていた。
私は、このシーンをマイクを出来るだけ近づけ、臨場感のある録音をした。

今日は月曜日ということもあって、これまたラッキーなことに、昨日の大阪や新潟の様な馬鹿騒ぎはない。わずか10人ほどの「鉄ちゃん」がカメラを構えているだけだった。

6時11分、例の東京バージョンの発車音の後、軽く警笛を鳴らし、「白鳥」は再び大阪に向かって静かに羽ばたいて行った。
これが、特急「白鳥」と私の永遠の別れであった。

6時15分、本番終了! 前回の取材内容をベースに、「白鳥」の作品となる素材は十分そろった。重い機材を「背たろうて」はるばる青森まで来た甲斐はあった。
しかし、1時間以上も雪のホームにじっと立ち尽くしていたせいで、寒い、寒い! 文字通り、体がシンから冷えてしまった。そうだ、そば屋! と思ってのぞいてみたけれど、「白鳥」発車とともに、あっさりとクローズ。仕方なく待合室に駆け込み、ココアで暖を取る。やっと生気がよみがえった。

その後、私は休むことなく、東北新幹線八戸延長でなくなる「はつかり6号」を盛岡まで取材。これも「白鳥」と同じ485系だが、近年リニューアル改造され、まるで新車のようだった。しかし、音はさすがにごまかせない。
盛岡から新幹線に乗り換え。ここでアタマをしっかりと「仕事モード」に切り換えて、出張先に向かったのだった。

 

♪ 〜 約40年間皆様に親しまれて参りました、この特別急行列車「白鳥」号は、本日が最後の運転となりました。長らくのご利用、誠に有り難うございました。 〜♪

2001.3.18
神戸にて
Ichiro