Ichiroの生録取材記 (2)

ディーゼル急行 「たかやま」 大阪━高山

■取材日

1999年11月6日(土)

■取材スケジュール

大阪(08:02)→高山(12:50)


目 次

はじめに  
発車前の「たかやま」 大型の「ヘッドマーク」が特徴
大阪駅にて
大阪〜米原 波乱の旅立ち
米原〜岐阜 淡々と関ヶ原越え
岐阜〜下呂 リゾート列車を満喫
下呂〜高山 いよいよ
ラストスパート
取材補足 帰路、翌日の京都
再トライ
おわりに  

はじめに

21世紀を目前に、「急行」と名のついた列車が、いよいよ日本から消え去ろうとしている。

'99年12月4日、大阪発の最後の昼間急行が、なくなってしまった。 それが「たかやま」である。「たかやま」は、その名の通り、大阪から飛騨地方を直接結ぶことを目的に、'71年10月から設定された。東海道本線、高山本線を経て、温泉地の下呂、高山祭などで有名な高山を通り、飛騨古川まで5時間以上をかけて走っていた。

設定当初は国内旅行ブームに乗り、最後まで関西からの固定客でにぎわっていたが、車両が30年以上経って古くなり、スピードも最近のものと比べて見劣りがしていたため、今回のダイヤ改正で「ワイドビューひだ」型特急に格上げされ、その使命を終えてしまったのである。

Ichiroは、「たかやま」廃止! の情報は早くから耳にしていたので、クーラーの騒音が入らない観光シーズンに狙いを定め、どんな出会いがあるか、ハプニングは起こらないか、など期待と不安を抱きながら、再びデジタル録音機をデイパックにしのばせて勇躍?大阪駅に向かった。
尚、「だいせん」でお世話になった山賀部長は今回はご予定がおありで、取材は単独行となった。

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大阪〜米原 波乱の旅立ち

11月6日土曜日の朝。普段より1時間早起きして、Ichiroは大阪駅11番ホームに立った。ここは広い大阪駅の中でもゆったりした雰囲気の味わえる場所で、通勤列車などは立入禁止? もっぱら北陸方面などの長距離列車専用ホームとして使われている。長さも特別長い。

おりしも停車中のボンネット型特急「雷鳥」を見ながら録音の準備を行う。7時48分、「雷鳥」が北陸方面に向かう大勢の観光客を乗せて発車した直後、「ガーーッ」というエンジン音とブレーキのきしみを上げながら、めざす「たかやま」がホームに入って来た。

列車の編成は

←飛騨古川 Cキハ586003(普通車自由席)Bキハ286002(普通車自由席)Aキロ286002(グリーン車指定席)@キハ586002(普通車指定席)

の4両。 長いホームの前寄りに申し訳なさそうな格好で納まった。
正面には、大きな「ヘッドマーク」が掲げてある。合掌造りの家を背景に温泉につかるおねえさまの図柄。「たかやま」にふさわしい素朴なデザインだ。車両はいずれも国鉄時代から30年以上も活躍してきた「急行型」ディーゼルカーで、年季の入った外板ベコベコの車体を、ピンクとオフホワイトのツートンカラーで隠している。まるで「姥桜」のようで、アンバランスぶりが面白い。グリーン車も連結されている。

ドアが開き、待ち構えたお客さんがパラパラと乗り込む。この列車、大阪から飛騨高山方面への唯一の「直通」列車とあって、やはり乗り換えがお嫌いな?年輩の方が目立つ。今日は高山観光か、はたまた下呂の温泉か、と羨ましく思う。ま、私も取材から解放されれば、酒の一杯でも含ませて、湯船につかって楽しんでやるわい…などと意地を張ってみる。さあ、取材後の「打ち上げ」のため? 気合を入れるぜ!

車内は、内張りが変わったり、座席が「直立不動」型ボックスシートから特急の流れ品「簡易リクライニングシート」に改装してあったり、洗面所に手が加えられているものの、うす汚れた感じは変わらない。グリーン車もシート地が明るくなったものの、相変わらず4人掛けだし、総じて国鉄急行型時代のイメージはそのまま、といった印象だ。

私は、例によって指定席は保険代わりに確保しておいたけれど、人混みが期待できる自由席のC号車に居座ってマイクを構えることにした。家族連れや老夫婦が何組もいるし、自然な会話を狙ってみよう。

おっとどっこい、今日も「鉄ちゃん」は元気一杯!だ。 カメラやビデオを持って、相変わらずウロウロしている。
この「たかやま」、われわれ「鉄ちゃん」にとっては、冒頭にも触れたように大阪発の「最後の昼行急行」で、今まで残っていたのが不思議なくらいのStone Age物だ。特に「キハ58系」という今回取材した車両は、全国で2000両以上も活躍し、どこにでも見られたディーゼルカーの代表的な系列だったけれど、JRに変わってからはパワーの強い新型に次々と置き換わり、今や崖っぷちに立たされている。

8時2分、ベルが鳴り、「ガラガラゴーン」とドアが一気に閉まって、「たかやま」はいよいよ発車。マイクを持ったままデッキからすぐにC号車の車内に入る。大阪駅を急行型ディーゼルカーで旅立つのはひょっとして始めてかしら? と考えている内に車内放送が流れてきた。「お待たせ致しました。本日は急行『たかやま』にご乗車頂き、ありがとうございました…」良く言えば上品だがボリュームがひどく小さく、よく聞き取れない。出来るだけゆっくりとマイクをスピーカーのある方向に近づけてみる。 これは困った!とあせっていると、快速電車に追い付かれ、並走しながら淀川の鉄橋をごうごうと渡る。

曖昧な中、新大阪駅を発車。何だか先が思いやられる。録音屋にとっては、車内放送は命のようなもの。これがボンヤリしていると、全体が締まらない。とはいえ、「やらせ」で車掌さんに音量を上げる様お願いする訳には絶対に行かない。「ナチュラル」志向の私の沽券にもかかわる。例によって、これが「たかやま」の現実とあっさり割り切って、このボソボソ声とお付き合いすることで腹を固めた。

そんな私の悩みを吹き飛ばすように、いつの間にか「たかやま」はエンジンをうならせながらマキシマム95km/hで朝の東海道を飛ばしている。車内も段々にぎやかになって来た。すかさずこの快走ぶりを録音する。途中山崎の手前で今度は各停に追い付かれたが、辛くも逃げ切る。この京阪神間の複々線区間は抜きつ抜かれつで、エキサイティングする場面が多く、いつも飽きない。時には新幹線や阪急とも出会うことがあるけれど、「たかやま」では期待できなかった。

愛宕山を眺めつつ桂川の古い鉄橋を渡れば、もう京都だ。再びデッキでマイクを構える。後ろを振り向けず東寺の五重塔も分からないまま、ゴトゴトとポイントを渡り、未来都市のような京都駅に横付けになった。
京都ではかなり沢山のお客さんが乗ってくる。見るからに温泉めあてのおばさん、若者もいる。何だか怪しげなお坊さんと檀家一行(これもおばさん也)も入ってきた。

8時35分、発車。しかし、どうも京都駅でも「音」が乏しい。「ガーーッ」というディーゼルカーのエンジン音がうるさく、駅の放送もろくに入っていない様子だ。まるで「だいせん」の松江駅の二の舞か? とこの時はさすがにあせった。「たかやま」にとって大事な停車駅、京都の音がこんな風では、先が覚束ない。

東山、逢坂山のトンネルを貫き、琵琶湖を眺めながら「たかやま」はマイペースで走っている。車内はますますにぎやかになり、行楽気分満点。そんな中、私一人が落ち込んでいる。さっきの京都の音が気に入らないのだ。もともと予約してあった@号車の指定席にぐったりと納まり、今日の取材の是非、つまり打ち切るべきか否かをぼんやりと考えた。石山、草津も憂鬱な内に過ぎてしまった。

しかし、結論としては、このまま取材を続行することにした。
明日(日曜日)取材し直すと、あさってからの会社に影響する(→疲れる!)という打算的な理由がまず頭をよぎったのはともかく、こういう行楽パターンでは 土曜日出発→日曜日戻り がピークで、たとえ明日高山行を取材しても今日のような人出は期待できないこと、明日のピーク、大阪戻りの取材を行っても、「たかやま」の行路が「下り坂」となり、まるで迫力に欠ける結果になるだろうということから、このまま継続し、取材の仕切り直しをすることを決心した。又、京都の不具合は、明日大津まで再度取材し補完することにした。
さあ、落ち込んでいても仕方がない。心機一転、再び前のC号車に戻って取材を再開した。

すでに「たかやま」は、9時35分発の近江八幡を出て、ちょうど車内改札(検札)が始まったところ。チャンスを逃すまい、と空いている通路側のシートに座り、しっかりと録音させてもらった。
いつの間にかC号車もほとんど満席になっている。京都や草津あたりで相当乗ったようだ。

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米原〜岐阜 淡々と関ヶ原越え

さあ、お次は米原での運転士交替だ。先頭車、つまりC号車のデッキに出てマイクをセットする。ここからは、ガラス越しに緊張する運転台の様子が手に取るように伝わって来る。

さて、このディーゼルカーの運転、最近の電車と違ってなかなかコツがいる様で、発車から40km/hあたりまでは「変速」つまりオートマ車と同じ運転を行い、その後いったんエンジンをアイドリング状態に戻してから「直結」つまりギアミッションによるマニュアル運転に切り換える。平坦で線路の状態も良い東海道本線ではひたすら「直結」→OFF→「直結」の運転を繰り返している。しかし、最高速度は95km/hで、これは戦前のSL超特急「燕(つばめ)」と同じレベル。急行料金を取らない「新快速」が130km/hで走っている今となっては、いかにものろい。

運転士が通過駅の時刻確認をしたり、信号の指差し確認を行っているのを頼もしげに眺め、録音しているうち、はるか先に新幹線の高架橋が見えてきた。いよいよ米原到着である。

「ご乗車ありがとうございます。まいばら、まいばらです」久しぶりに聞く肉声でのホームのアナウンスが流れる中、「たかやま」は9時33分米原に着いた。がなりたてる様な、うるさい放送だが、デジタル音声ばかりの現代ではかえって新鮮に聞こえるから不思議なものだ。ホームは後の快速を待つ人でにぎやか。この取材もやっと少し活気付いたみたいで、かえってほっとする。

「異常ありません」 敬礼を交わして運転士が交替。 ここからは運転士もJR西日本→JR東海と会社も変わる。ちなみに「たかやま」は、車両がJR西日本、運転士はそれぞれの担当エリア持ち、車掌はJR東海と入り組んでいて、売上の精算や経費負担など、さぞややこしかろうと考えた。

しかし、会社分割の弊害もチラと目撃してしまった。乗務を終えた「たかやま」のJR西日本運転士に、たまたまホームにいた人が「岐阜で途中下車して、名古屋まで行きたいんだけど、いくらぐらいか?」と問いかけた。ところが運転士は「(JR東海エリアで)会社が違いますもので…」「だいたいでいいのに」「すみません、わかりません」と、いかにも逃げ腰の対応をしていて情けなく思った。会社が違う、まして運転士で職種も違うのはわかるが、せめて調べてあげる位の誠意は必要ではないだろうか。余計な仕事と片付けるのではなく、JRトータルの利益のことをもっと考えて欲しい、と残念に思った。

「たかやま」は、米原を出ると雄大な伊吹山を眺め、新幹線ともつれ合う様にして、やがて山間に入る。 車掌さんに許可を頂いて、B号車の車掌用扉の窓を開けさせて頂くことにした。ここは以前の「だいせん」とは違ってオープンスペースになっているため、気兼ねなく録音が出来る。窓のロックを外すと、さっそく冷たい風が吹き込んで来た。狙うは新幹線との出会い。何ヶ所かトライしてみたが、離れすぎたりタイミングが合わず、結局はうまく行かなかった。

やがて関ヶ原の古戦場を過ぎる。ここの駅員が独特の言いまわしで「せきがぁーはらぁー」と駅名を告げていた、という高校の日本史の先生の話しをふと思い出した。ここでの録音はあきらめて、先生の若かりし頃を想像しながら、いにしえに思いをはせる。

関ヶ原を過ぎれば再び視界が開け、どんどん山を下る。石灰石を採り過ぎて削れてしまった哀れな山が目に入って間もなく、随分にぎやかになってきたな、と思ったら大垣に着いた。京都からのお坊さん御一行はここで下車。勤行か、はたまた講演か。いやまあ、いろんなお客さんが乗っているもんです。

「たかやま」は大垣を出ると、揖斐(いび)川、長良川と大きな鉄橋を相次いで渡り、しばらく高架を走ると、10時14分岐阜に到着。ここでは2回目の運転士交替がある。それを収めるためC号車デッキに行くと、おや? 運転台側にマイクを向けているウォークマン「鉄ちゃん」がいる。何と私と同業?だ。お互い干渉しない様気をつけながら、岐阜での運転士交替を録音した。
それにしても、2人目の運転士はわずか乗務時間40分!余裕の運転だったに違いない。

10時16分、「たかやま」は東海道本線に別れを告げて、いよいよ高山本線に踏み入れた。私の取材もここからが本番である。

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岐阜〜下呂 リゾート列車を満喫

高山本線に入ってから、さっそく「列車縦断」にチャレンジ。先頭のC号車最前部デッキから、どんじりの@号車デッキまで、マイクを持ったまま連続してたどる。私が「だいせん」で発明?した手法だ。

「たかやま」車内は、リゾート行き列車そのものの雰囲気。あちこちで笑い声が聞こえ、取材していて実にほほえましい。すでに出来上がっているグループもあり、その上に岐阜から乗り込んだ弁当売りのおばさんが、にぎやかさに花を添えている。おまけに車内放送では、この高山本線の案内まで流し出した。

私のいでたちは、例の1m水道管の先にマイクを付けた状態。「たかやま」車内を回っていると、何やら本格的な取材クルーだな、という好意的な見方をする方が多く、「わ、マイク持ってるで」とか、意味もなく「キャキャァー」と子供が叫んだり、と言ったトラブルがなかったのが有り難い。(最近の方がカメラやマイク慣れしたせいだろうか) 肝心な時にもしこれをやられると、それまでいくら苦労をしていても、一瞬の内に全てが「ボツ!」となる。録り直しは出来ないのだ。この点が一発勝負の取材の怖さでもあり、醍醐味でもある。
しかし、ロケ隊のようなこの格好、自分ではもう慣れてしまったものの、さぞ目立つことだろう ^^;;;


「たかやま」車内 @号車にて

「列車縦断」を終えた後、これからの長丁場に備えておばさんから弁当を1つ買い、再びC号車へ。早い昼食を取る。弁当は「松茸弁当」。期待してふたを開ければ、かんじんの松茸は2切しか見当たらず、いくら鼻を近づけても一向に松茸の香りがしない。味はまずまずだったのがまだ救いだった。 ちなみに残暑が続いた今年は松茸が不作だったそうで、デパートの食料品売場で検分(香りを楽しむだけ。私のような貧乏人のすること也)しても、例年以上に高く、やはり安物と外国産の一部ではさっぱり香らなかった。

その弁当を食べている途中でまた車内放送。今度は犬山城の案内が流れた。今日の車掌はよほどの名物車掌なのかな?それとも高山本線では当たり前のことなのだろうか? いずれにせよ、この声を逃す手はない。早速録音をスタンバイさせた。

ちょうど通路をはさんだ反対側には、女子大生の3人連れがいるので、そこに狙いをつける。授業や先生の話などの後、ひとりが車窓に目をやり「きれいな川やねえ」と話しかけた。「これ何川?」 「知らん」「長良川ちゃうか」
その時、いつの間にか さっきの弁当屋のおばさんが来ていて「今は木曽川。もうすぐ分かれて飛騨川になる」とすかさず説明。タイミングの良さにびっくりした。 長良川と言ってた子は、「なんやぁ、ちゃうやん」と他の2人からひやかされていた。
と思いきや、弁当屋のおばさんは「何買うの? 弁当いくつ?」とさっそく商売。女子大生はあわてて断っていた。このおばさん、なかなかやり手だな、と感心。

「みなさん、次のトンネルを抜けてから、右手をご覧下さい。飛水峡です」 再び車内放送が流れる。奇岩がそそり立つ飛騨川の名勝、飛水峡にさしかかったのだ。
「うわぁー、きれ」の歓声が上がり、「ええなあ。電車の旅も」と女子大生も「たかやま」に満足の様子ではしゃいでいる。 このあたりは、好みの問題で意見が分かれるだろうが、私は生録をする時にこういう声をアクセントとして使っており、大歓迎だ。やらせや大げさなのは論外だけれど、自然な感じの声は聞いていて楽しい。

前にも触れたが、列車に「乗って、楽しんで、降りる」 までを 「乗客+列車のメカ」 の両方の側面から、出来るだけナチュラルに追い求める。これが、私の一貫した生録スタイルである。この点が、市販のCDにあるようなものと根本的に異なっているし、私の手法こそが、その列車の特色を浮かび上がらせる唯一のものだと確信している。

例の同業、ウォークマン「鉄ちゃん」君は、相変わらず運転台直後のデッキにへばりついたままだ。あそこでは単なる機械音と車内放送ぐらいしか録音出来ないはず。車内の楽しい雰囲気とは無縁のポジションだ。それに車両の端ではエンジン音もあまり入らないだろう。まあ、「たかやま」の「記録」にはなるだろうが、回送列車ではないのだし、余りにも味気ないのでは? と同情してしまった。

やがて、山にへばり付いたような感じの小駅で停車。どうやら上りと列車交換(行き違い)らしい。単線区間ならではの光景だ。
それっ、とばかり先頭の運転台後ろのデッキに出向き、録音を始める。運転台をのぞき込み、時計と運転士用の時刻表とを照らし合わせる。11時5分。飛水峡信号所という、時刻表に載っていない「駅」だ。停車時間も数分ある。私の回りにはカメラ「鉄ちゃん」他 約2名がギャラリーとして集まり、運転台を眺めている。ここも紅葉の錦がきれいだ。

しばらくして遠くから「ファーーン」という警笛を山にこだまさせ、上り特急「ワイドビューひだ6号」が軽快に駆け抜けて行った。横でシャッターを切る「鉄ちゃん」。やがてこちらも発車。 そのすべてを収めさせてもらった。

列車は飛騨川を何度かジグザグに縫いながら走っている。段々山間部に入ってきた感じで、スピードは70km/h程度に落ちて来たけれど、紅葉があちこちで見受けられる様になった。天気も最高で、澄みきった青空が実にすがすがしい。

「あちこちで録音されてるんですか?」 さっきのギャラリーから声をかけられた。聞けば、草津から高山へ社内旅行に行くという40代半ばの会社員で、もと「鉄ちゃん」といった風情。 2人で運転台を見ながら「だいせん」や「たかやま」などの取材の経緯、高山本線のことなど、いろいろ話をする。

運転台から前を見ていると、高山本線は線路がコンクリート枕木で実によく整備されていて乗り心地も良いけれど、カーブや上り坂が連続していて、運転士にとっては、ややこしそうな路線だ。 しかも「たかやま」では、岐阜から高山まで実に2時間半以上も連続勤務を強いられ、緊張が続く。運転士交替がないのだ。さぞ疲れるだろう、と想像する。停車中にコーヒーぐらい飲んだらええのに(JRの規定では認められているらしい)とか、2時間半もあればトイレに行きたくなるんちゃうか、とか余計な心配をする。

飛騨金山の手前では35km/hの徐行。おや、と思ってよく見れば、何と土砂崩れの跡。2人で顔を見合わせる。その後、もう1ヶ所同じ様な徐行があり、山を走る鉄道の厳しさを見せつけていた。

11時33分、飛騨金山を発車。徐行のせいか、上りが遅れているのか、2分半の遅れが出ている。
列車は、川をせき止めたダム湖を通り過ぎる。鏡のような水面に山の紅葉が映り込んで、本当に絵のような美しい光景が続く。対岸には「たかやま」お目当ての写真「鉄っちゃん」が。きっと素晴らしい作品が出来たに違いない。

さっきの会社員とはいったんお別れし、今度は車掌室をのぞいてみることにした。
グリーン車A号車の端にある「乗務員室」をノックする。高山運輸区の小笠原氏。例のぼそぼそ声の主だ。いつもの様に取材の目的などをきちんと説明し、下呂でのドア扱いなどの取材をお願いした。車内放送の沿線案内に感心した、と水を向けると「いや、実は…」と言いながらワープロ打ちの虎の巻?を見せてくれた。 下呂や高山もしっかりと案内文が出来ている。高山運輸区で作成した沿線案内のマニュアルらしい。 それでは、と次の下呂温泉の案内を「生」録音させて頂くことにした。

「次のトンネルを出たあたりから始めますよ」 車掌さんにマイクを向け、本番開始! まるでインタビューの様な大げさな感じだけれど、止むを得ない。吸っていたタバコを消し、昔の電話の受話器より一回り大きな放送用(兼 運転士連絡用)のマイクに向かって、小笠原車掌がしゃべり出した。
「…下呂温泉は、その昔傷ついた白鷺がお湯につかってケガを治したことから発見されたという伝説があり、有馬、草津と共に三名泉に数えられています…」
外の紅葉を眺めながら、小笠原車掌の声が淡々と響く。 新幹線でいちいちこんな案内をされれば、睡眠妨害でさぞヒンシュクだろうが、そこは「たかやま」、リゾート気分を盛り上げるのに、こうした沿線案内がひと役かっていることは間違いない。さっきの女子大生の時のように、車内の雰囲気まで変えてくれるのだから。

11時54分、「たかやま」はその下呂に2分遅れで到着。おばさんを中心に、かなりのお客が下車。ここでは上りの特急「ワイドビューひだ8号」と交換。ステンレスの車体が入ってきた。来月「たかやま」が廃止されてからは、あの車両に置き換わるのだ。くたびれた「姥桜」から、最新鋭のハイテク特急にグレードアップされるので、普通ならばもろ手を上げて賛成!するのが当たり前なのだけれど、老いたりとは言え、長年来活躍してきたこの急行がなくなるのは、やはり寂しい。

「すぐ発車ですか?」 「たかやま」に乗っている「鉄ちゃん」が車掌にわざわざ断って、カメラを持って駆け出した。新旧の顔合わせをフィルムに収めようとしているらしい。

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下呂〜高山 いよいよラストスパート

11時58分、「たかやま」は約2分半遅れで発車。小笠原車掌はホームを監視しながら笛を鳴らし、「はい、発車!」と声を出して確認。ドアスイッチを操作し、ドアを閉め、最後に発車合図のブザーを押した。「グウォォーーー」とエンジンがうなり、発車。 しばらくして、下呂の町を流れる正午のメロディーが飛び込んで来た。

飛騨川を渡り、「たかやま」は再び上り坂にチャレンジ! 遅れを取り戻すために必死で走っているはずだ。しかし、一向にスピードは上がらない。対岸の道を郵便配達の赤いバイクが走っている。最初は何気なく見ていたのだが、5分以上経ってもいつまでも見えている。レールの継ぎ目音でスピードを測ってみると、60km/h+α程度しか出ていないようだ。

「たかやま」は、4両で1080馬力とパワーがありそうに見えるけれど、エンジンの基本設計は何と戦前のもので、現代の「ワイドビューひだ」型ディーゼルカーや電車特急と比べてパワーが半分以下しかないことと、ギア系統が昭和20年代の古い設計のままで、特に上り坂に弱いらしい。まあ、今日のような紅葉日和には実に有り難い列車ではあるが。。。

列車は相変わらず飛騨川(益田川)に沿って走っている。段々川幅も狭くなって来た。荒々しい岩がごろごろした川面を、目も覚めるような紅葉がやさしく包み込んでいる。


紅葉の美しい「たかやま」車窓 (運転台デッキから撮影)

12時36分、これまで木曽川、飛騨川、益田川と名を変えながら、ずっと「たかやま」に寄り添って来た流れの最後の鉄橋を渡る。いよいよ分水嶺が近い。
12時37分、久々野(くぐの)に到着。車掌さんから「高山本線のサミットであり、一番きつい上り坂に掛かる」と聞いていたポイントだ。あらかじめ許可を得ていた、B号車の車掌用扉の窓を開け、マイクをセットする。

本番スタート。 駅での出迎え客とのやりとりが続いた後、いよいよ発車。クライマックスの峠に差し掛かる。エンジンはひときわ高くうなっているが、2%以上の上り坂で、せいぜい40km/hくらいしかスピードが上がらない。しばらくこの状態が続く。「たかやま」は老体にムチ打って最後の力走! 全てを集中させてこの坂に挑んでいる。標高も700mを越えたらしい。やがてエンジンフルパワーのまま、サミットの「宮トンネル」に突入、「グァァァァーー」という苦しそうなエンジン音がガンガン響く。しかし、この状態はすぐに止んで、「直結」にギアが切り替わった。トンネルの途中で、とうとうサミットを過ぎたのである。

さあ、あとはひたすら下り坂だ。「たかやま」も、「やれやれほっと一息」といった調子で、惰力でどんどん転がって行く。100m以上の高度差を一気に駆け下っているのだ。これまでのスピードがウソのようで、久々に95km/hをマークする。

2km余りのトンネルを出て間もなく、 飛騨一ノ宮を過ぎ、今度は高山を流れる宮川に沿って走る。分水嶺を越え、川の流れも変わった。この川は、やがて神通川となって日本海へ注ぐのだ。わずか数キロの違いで南北が分かれる。何だか不思議な気分になった。

「みなさん、お疲れ様でした。間もなく高山に到着致します…」 オルゴールが鳴り、相変わらずぼそぼそと小さな小笠原車掌の声がデッキに聞こえてきた。12時52分、「たかやま」は2分遅れで無事に高山に到着、大勢の観光客が降り立った。例の会社員とは目で合図し、再会を祈った。

12時53分、物すごいエンジン音をとどろかせ、煙を上げて「たかやま」は終点の飛騨古川に向けて走り去って行った。

 

高山では、早速ビールで打ち上げを行った後、市内観光。上三之町をぶらつき、高山城址に登る。ここの紅葉は実に鮮やかで、逆光で照らされた楓が印象に残った。その後 照蓮寺を訪問し、再び市内をぶらついて、駅に戻った。

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取材補足 帰路、翌日の京都再トライ

帰りも「たかやま」。 写真を撮っていたら、行きがけに車内で見かけた「鉄ちゃん」に声をかけられた。いろいろ話した後、駅前で買った地酒を車内で楽しむ。少し肌寒かったので、本当にうまい!透き通ったダム湖に夕日が沈む。幻想的な光景を眺めていると、陶然としてきた。

おや、また朝の弁当屋のおばさんだ。田中さんとおっしゃられる方で、この道すでに30年のベテラン。5歳と2歳の孫がおられ、何度か新聞にも紹介されたとか。敬意を表し、「栗こわい」(おこわ)を買う。写真も撮らせてもらった。

下呂ではビデオ「鉄ちゃん」がいた。結婚式帰りの和服のおねえさまが隣に座る。話しかけようかと思ったが、アマルティア・セン「不平等の法則」(著者は近代経済学の主流派、「エコン族」を「合理的な愚か者」と批判。'98ノーベル経済学賞を受賞したと後で知った) をずっと読み耽っていて、取り付く島なし。こちらも段々眠くなる。目がさめると、もう彼女はいなかった。ひょっとして夢だったのかしら?
前の席には若いカップルがずっといちゃついていて、可笑しい。あとでしげしげと顔を見たが、大山のぶ代 似ナリ。

「たかやま」に乗っていてひとつだけ頭にきたことがある。取材の時はウロウロしていたので気にならなかったが、座席の「簡易リクライニングシート」なる代物についてだ。リクライニングさせた時のロックがなく、少し体を浮かせただけで、「バタン」とシートが元に戻ってしまうのだ。
'70s前半の特急から、これは使われていたし、私も何度も利用したけれど、よくぞこんな中途半端なものを横行させていたものだと、今更ながら情けなく思った。リクライニングさえすれば十分なサービス改善だという傲慢さ。お客のためではなく、自分の「省力化」のために「改善」を行う本末転倒。CS(顧客満足)の叫ばれる現代では想像もつかないが、本当のCSが出来ているのか、自分を含めて再点検する必要があるのでは?と考えた。

草津からは、また複々線を走る。他の電車とのデッドヒートがないか、車掌さんに確かめてみたところ、「平日はある」とのことだったので、京都から再びB号車の車掌用窓を開け、チャンスをうかがう。途中、高槻と吹田の近くで各停を追い抜いた。録音はまずまず。

大阪には定時、20時26分に到着。この日の取材はすべて終了した。

 

翌日、写真の追加と、京都の雪辱を果たすため、再び「たかやま」の客となる。車掌は昨日の帰りと同じ。「連日お疲れ様です!」と、いきなり挨拶され、こちらが恐縮してしまった。

京都では列車の発車時に流れる「ソラシド」のバリエーション音楽もしっかりとモノにし、大成功。
大津で降り、最後に発車音を録った。例の車掌さんが顔を出して、にこにこしながら敬礼してくれた。こちらもマイクを持ったまま、にこやかに頭を下げ、それに答えた。

やがて「たかやま」は、まぶしい朝日を浴びて、煙をたなびかせながらカーブの向うに消えて行った。


最終日の「たかやま」 大阪駅にて (山賀部長撮影)

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おわりに

いつも思うことだが、取材は本当に恐ろしい。本番で何が起るか分からないからだ。今回も、最初に小さな声の車内放送や京都駅での不満足に悩まされたりして、一時中断しようとまで考えたけれど、総じて充実した録音が出来た。小笠原車掌を始め、多くの人に支えられたことも特筆しておきたい。

今回の取材で、「だいせん」 「たかやま」 と続いた大阪発の急行シリーズが完結した。いつの日か両者をまとめてCDなどで公表したいと思っている。 どうか一味違った音を楽しんで頂きたい。

Ichiro

1999.12.19

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