春夏秋冬 総目次

文字をクリックすると、目次にリンクします ↑  

 春夏秋冬 (27)

19/02/13 栄中日ビルの閉館 (名古屋市)

久屋大通公園から北方を見る
前方にテレビ塔と右手に改築を待つ中日ビル
(屋上に伝説となった回転レストランが見える) 

平成30年1月末をもって、名古屋市中区栄4丁目、久屋大通公園と広小路通の交わる南東角に位置する「栄中日ビル」が閉館した。

昭和20年・第二次世界大戦終戦後、廃土と化した名古屋にあって、復興事業としていち早く100m道路が計画され、次いで昭和29年に日本で初めての電波塔である「名古屋テレビ塔」が竣工され、100m道路は昭和39年に全線完成した(昭和45年に久屋大通公園となる)。昭和41年には街の中心となる”栄”に栄中日ビルが開館し、中日新聞社の本拠であると同時に、レジャーの中心・街歩きの待合せ場所としても市民に愛された。
平成の世を過ごしたこれら三つの昭和の残像は、新年号時代を迎えるに当たり、それぞれ化粧直しに余念がない。中日ビルは21階以上はホテルとなる31階の高層ビルに変貌する。

現中日ビル内の諸施設(中日劇場、中日文化センター、名店街・全国アンテナショップなど)は、昨年末から次々に店を閉じた。中日劇場の移行は未決定だが、栄中日文化センターは従来地より徒歩5分南の久屋中日ビルに移転した。

栄中日文化センターは、北陸東海各地で催す中日文化センターの拠点である。教養、外国語、陶芸、茶道、舞踊など20近くの文化ジャンルをカバーしている。教養としては、「歴史・宗教思想・科学などに分類され、歴史だけでも半期50を越す生涯学習の講座(6ケ月、3ケ月、1日単位ー原則として90分)が、時代のニーズに合わせて企画されている。

私の趣味としての課題ー先史時代の”日本列島の人々と暮らし”と”日本国の誕生”ーに関連する講座を見つけて、”栄詣で”を始めて4年余りとなる。。興味ある講座が複数重なる時期もあるが、原則として月に一度のペースで、ゆっくりと生涯教育を楽しんでいる。この5年間に受けた講座を表にして下に示す。各講座の講師は、現在第一線で活躍される著名な研究者であり、著述・論文も多い。著述では文章の行間に隠れがちな思想・哲学が、講演では飾り気のない話し言葉として伝わることもある。

 期間 講師  所属    演題 
 2014.10ー3 今尾文昭 橿考研   古墳時代の倭国を考える
①佐紀古墳群ー古墳・石棺・副葬品 ②丹波・近江・播磨・伊勢 ③ヤマト政権 
④山辺・磯城古墳群 ⑤馬見古墳群と百舌鳥・古市古墳群 ⑥5大古墳群の終焉ー筑紫・吉備・武蔵・「畿内」 
 2015.4ー9  松田真一  天理参考館    縄文時代の人々と暮らし
①始まり ②生産戦略 ③木の文化の深淵 ④水産資源 ⑤縄文土器 ⑥縄文人の世界観
 2015.10ー3  今尾文昭 橿考研    飛鳥時代の天皇陵を考える
①欽明大王(五条野丸山古墳、梅山古墳) ②推古大王(植山古墳から山田高塚古墳) ③舒明大王(段ノ塚古墳)
④斉明大王(牽牛子塚古墳) ⑤天智天皇陵と壬申の乱(山科御廟野) ⑥天武持統天皇陵と藤原京
 2016.4ー9 鈴木靖民ほか 横浜市歴博    6世紀継体後のヤマト王権と豪族の動向
①世襲王権と氏姓・部民制(森公章) ②渡来人と王権(田中史生) ③任那日本府(河内春人)
④前方後円墳の終焉(今尾文昭) ⑤蘇我・物部氏の争い(篠川賢) ⑥仏教の来た道ー百済・王興寺と飛鳥寺(鈴木靖民)
 2016.8  水谷千秋 堺女子短大     継体・欽明朝の内乱を考える
 2016.10ー3  今尾文昭  橿考研    西と東の考古学 3-8世紀の畿内と東海
①②古墳の発生ー円か方か ③④ヤマトタケル伝説ー交通と文化伝播 
⑤「みやこ」と「東国」-美濃・尾張・三河 ⑥「みやこ」と「東国」-海上の道・伊勢・三河
 2017.6ー8  門脇誠二 名大博物館     遺跡調査から知る西アジア:人類・農業・文明の起源に迫る
①人類進化の謎をさぐる ②農業の起源をさぐる ③文明の土台をさぐる
 2017.10ー12  斎藤成也 国立遺伝学研     ヒトゲノムから見た日本人のルーツ
①人々が日本列島にたどりつくまで ②ヤポネシア時代の日本列島人 ③ハカタ時代とヤマト時代
 2018.1ー3  武村政春  東京理科大    巨大ウイルスから紐解く「生物とは何か」
①巨大ウイルスとは何か ②生物は巨大ウイルスが進化させたのか ③生物とは何かを考える
 2018.4ー6  門脇誠二  名大博物館    考古学が明らかにする現生人類の起源ー国内外の遺跡調査からー
①新人はかつて旧人や原人と同時代に生きた ②新人の世界への拡散 ③ホモサピエンス拡散期の遺跡調査(ヨルダン)
 2018.7ー8  中橋孝博  九大    日本人の起源
①最古の狩人たちー旧石器時代の日本列島人とは? ②東アジアへの人類の旅ーアフリカからユーラシアへ
 2018.10ー3  松木武彦 国立歴博     弥生時代の歴史
①水田耕作の伝来と広がり(BC10~BC5) ②金属器の登場と王の出現(BC4~BC1) ③都市と地域勢力の勃興(BC1)
④弥生時代のデザインと心 ⑤倭王の誕生と東アジアの国際関係(AD1~AD2) ⑥社会の混乱と新秩序の成立(AD2~AD3) 
         

門脇誠二(名古屋大学博物館)による講座は、西アジア(アゼルバイジャン、シリア、ヨルダン)における遺跡調査に基づいてる。西アジアは、肥沃な三日月地帯を含み、初期の農耕牧畜・都市国家の形成などに注目を集める地域である。同時に、アフリカで誕生した人類のヨーロッパ・アジア・北方への出口・移動の交差点となっている。事実、ヨルダンにはホモサピエンスの遺跡に囲まれてネアンダ―ルの遺跡が存在する。現在戦火の絶えない地域であるにも拘わらず、遺跡発掘・保護・修復・復興援助の為に多くのグループが日本から訪れている。

松木武彦(国立歴史民俗博物館)による講座は、2003年に歴博から発表された「弥生時代の実年代(暦年代)を放射性炭素14年代測定での較正値とする」立場での紀元前10世紀から紀元後3世紀の”弥生時代”の歴史である。”弥生時代”の時代区分は、九州、瀬戸内、近畿、南関東、東北北部で異なる。現在ほぼ定着化したこの年代観を復習する。

武村政春:「遺伝子とタンパク質を持つ巨大ウイルスの進化」は、生命の誕生を物語る端緒となり、斎藤成也:「核DNAを扱うヒトゲノムの進化」は、ミトコンドリアDNAとともに、人類の起源・拡散に迫る。



19/01/03 白山神社・円福寺の正月 (春日井市)

平成最後の大晦日、元号の変わり目が私の80才への入口となる。昭和・平成・新しい元号と生きたことになる。
大晦日を挟んで、近くの白山神社と円福寺に二度出かけた。2018年2月に初めて訪れた鎮守の杜であり、一山に寺と神社を配し、周辺の村々の総鎮守社として親しまれている。

大晦日(平成30年12月31日) 
神社では焚火が焚かれ、年末の御礼と祈りを捧げる信心深い人々が訪れていた。
お寺では静かな境内に、除夜の鐘の準備が整っていた。
   
 白山神社では焚火  一人また一人と人が訪れる   円福寺では除夜の鐘を待つ  

年が明けた  年賀に訪れる人は多い
混雑時を避けて、正月三日、”箱根駅伝”のゴールを見届けて、再度訪れた。
お参りの人の群れ、華やいだ雰囲気が漂う。
”箱根駅伝”は、青山学院大の5連覇ならず、東海大の初優勝となった。
スタートから三田・品川、八ツ山橋、蒲田・六郷橋・横浜駅前、戸塚から茅ケ崎・小田原と箱根の山登り、宮ノ下・小涌園・芦之湯
いずれの地も、50年近く過ごした風景が重なり、想い出深い。
東海大学に近い秦野丘陵を山歩きしていると、練習中の駅伝ランナーが猛スピードで走り抜けたことも想い出した。

正月(平成31年1月3日) 午後 
     
 初詣の群れ  華やいでいる   観音堂のある境内は賑わう  鐘の音が響く 
     
 仁王門はいつもどうり    初日の出は十一面観音の視線の先

正月早々に、熊本で震度6弱の地震が起きた。東京では竹下通りを車で逆走した若者がいた。昨年の文字「災」はまだ「福」に転じていない。今年は良い年になりますように!
個人的には、”自分の生活してきた国を知り、人類を知る”ことを「日本の小さな風景」として続ける。ここ2年間、縄文草創期から溯り、列島の”旧石器時代”の始まりからの考古学・人類学の成果に興味を向けてきた。日本列島へは、何度となく経路を変えて人類の渡来があった。最新の考古学・人類学の成果は、この問題についての従来の既定概念を大幅に変更・補強しつづけている。

四国八十八ヶ所58番札所「仙游寺」は今治市の郊外、小高い山上にある。天智天皇の頃、阿坊仙人が寺に住見込み、毎夜その読経の声が麓の村人に聞こえた。ある夜、突然に声が聞えなくなった。仙人は忽然とそのまま雲と遊ぶかのように姿を隠したという。仙游寺という寺名の由来話である。人生の最期は特別な感慨もなく有様に、かくありたいものである。



18/11/29 小原の四季桜 (豊田市)

;  
 四季桜の見所(国道419に沿って)
四季桜公園、和紙工芸館、
川見四季桜の里(川見薬師寺・柿ケ入遊歩道)
 

「10月半ばにサクラが開花した」と、冬が訪れないことを心配するニュースを見た。11月始めになって、急激に冬らしくなった。

愛知県の西部、豊田市小原(おばら)町で”四季桜”が開花する。通常のサクラは春に花を咲かせるが、四季桜”は春と冬の二度にわたって咲く。江戸末期・文政年間に、小原の医師・藤本玄碩が苗木を名古屋より移入したのを始まりとする。

”四季桜”は―重五弁の小花、マメザクラとエドヒガンの種間雑種とされている。11月~12月上旬の開花時期が、紅葉と相まって見頃とされる。小原地区内の10,000本を越す四季桜が一斉に咲き乱れ、地区内の各所で、紅葉・黄葉との色とりどりのマッチングを見せる。

豊田市小原町は、愛知県東端にあり、猿投山の東山麓の山村である。濃尾平野から一転して山間地帯に入り、周辺地域南には香嵐渓・足助町、西には北設楽郡設楽町など、日本の原風景を残している山里が多い。これらの地域へは古から、尾張のみならず、三河、伊那谷・木曽谷などからの文化の流入があったものと思われる。国道419号線を南から北へ、周辺地域の風を感じながら車で周回した。

足助町には縄文早期から後期までの遺跡が広がる。古くから発掘調査がなされ、出土品は足助資料館で見ることができる。設楽町滝瀬地区では、設楽ダム建設にともなう事前発掘調査が愛知県埋文センターにより現在進行中である。縄文早期と後期の遺構・遺物に加えて、中部日本の後期旧石器時代では早い時期に特徴的な台形様石器が出土したとの報がある。

小原地区へは、国道419号線を南から北(豊田市から瑞浪市方向)に入る。
四季桜の見所は小原地区全域に点在するが、今回は419号線沿いの3ケ所を駆け抜けた。 
四季桜公園
(信号交差点・小原町前田の左斜め上の小丘陵にある)
イベント広場から離れていて、静かな山里の四季桜
(mouse-over)
丘陵斜面を彩る四季桜とカエデの紅葉
和紙のふるさと
(419に戻り北上4分・1.3kmで左に入口、公園にP)
和紙工芸館、食堂がある。
(mouse-over)
公園内は緑の樹々の合間に、四季桜と紅葉
川見(せんみ)四季桜の里 
山上にある川見薬師寺を狙うカメラマンの群れ
瑠璃光山薬師寺・真言宗高野山派」
(和紙展示館より419で4分(2.6km)
(mouse-over)
四季桜と石段と本堂。五行幡が映える。
川見薬師寺に隣り合った山全域に四季桜
山頂まで15分
(mouse-over)
川見四季桜の里は、山麓・国道沿いにある。
駐車場・出店・イベント広場が賑わう
     
   柿ケ入遊歩道     (上仁木白山交差点まで850m)
 川見薬師寺から国道沿いに流れる川に沿って下る。柿ケ入遊歩道に入ると、四季桜と紅葉の合間を歩く。
夕暮れが近づき、静かな空間が広がっていた。  




18/10/06 東山動物園 新展示施設/アフリカの森 (名古屋市)

秋晴れの東山動物園
(mouse-over)
アフリカの森(チンパンジーとゴリラの分布を説明する)
(人類進化の地は、アフリカ東部の大地溝帯である)

今夏は酷暑で、冷房を終日効かせて外出は控え目の日々を送るのが得策だった。付け加えて、西日本豪雨、胆振東部(北海道)地震、相次ぐ列島縦断の大型台風など、日本列島を襲う災害は絶える間もなかった。
部屋に籠って、旧石器時代に関する書籍を眺めたり、ネット検索して旧石器遺跡を訪ねたりする日々が多くなった。最近のネット社会では、”PDF化した最新の内外の遺跡調査報告”に接する機会も多くなっている。遺跡周辺の景色をGoogle Mapのストリートビューで追っかけるのも面白い。

秋の一日、東山動物園を訪れた。「アフリカの森」が完成し、チンパンジー・ゴリラ舎と野外展示施設が新しくなった。
日本の旧石器時代は、今のところ、出アフリカしたホモ・サピエンス(新人)が日本列島に到達した約4万~3万5千年前以降の後期旧石器時代を扱うのが主流となっている。そこでは、各時期に使用した道具を知り、その時期の人類の変遷・社会的背景を知ることになる。しかしながら、人類の誕生はチンパンジーと分岐した700万年の昔に至る。人類進化の700万年の歴史の中で、石器の発明はホモ・ハビリスの時代ー約240万年前以降ーになる。その期を出発点とし、人類の進化段階での道具(石器)開発の歴史が始まった。アフリカの森に接することにより、石器出現以前の人類の足跡を、ささやかに連想する。

ホモ・ハビリスは脳容量約610ccである。約180万年以降になるとホモ・エレクトスー脳容量約800ccが現れる。ホモ・エレクトス以降の人類は出アフリカを果たし世界に拡散する。東アジアに生息した北京原人やジャワ原人を例とする。最終的な人類の進化は、ホモ・ネアンデルターレンシス(旧人)とホモ・サピエンス(新人、現生人類)となる。脳容量はいずれも約1500ccとなる。両者はほぼ同時代(約20万~15万年前以降)に生き、居住区も近く交配もあったようだ。我々の2%のDNAはネオンデルタ―ル人と共通という。ネアンダ―ル人はホモ・サピエンスと比べ、脳容量も大きく、筋骨優れた狩猟民だったが約4~3万年前に絶滅し、ホモ・サピエンスだけが生き残った。この謎は、『現生人類とネアンダ―ル人との交替劇』として人類学・考古学の課題として注目されている。ホモサピエンスによって成就された”洗練された”石器製作技術は、現代人(ホモ・サピエンス)的行動の一つとして、その交替劇で重要な役割・要素となる。現代人的行動の別な側面は、人間社会の形成、芸術・宗教など象徴行動にある。

ミトコンドリアDNA解析またはY染色体DNA解析、いずれにおいても、「多くの類人猿の中で、人類と最も近縁なのはチンパンジーであり、700万年前頃のアフリカで両者は分岐した」とされている。人類のその後の進化は、アフリカでの人類化石の発見により具体的な様相を見渡すことができる。
人類は二足歩行することにより特徴づけられるが、チンパンジーなど近縁の類人猿(ボノボ、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン、テナガザル)は、ナックルアームを利用して歩行する。人類は二足歩行することにより脳容量を増し、機能を充実させて独自の進化をなした。人類の起源を説明する化石はアフリカでのみ発見されている。しかしながら、チンパンジーの進化や人類の進化との橋渡しを説明する化石は発見されておらず、ミッシングリンクとされる。

ナックル・ウオークするチンパンジー
(mouse-over)
チンパンジー舎の野外施設
ボスゴリラ「シャバーニ」
野外タワーの中心が気に入ったようだ 
(mouse-over)
ゴリラ舎の野外施設(子分のゴリラは隅っこの日陰で)
チンパンジー舎
(mouse-over)
去年生まれた赤ん坊チンバンジーと
母親チンパンジー
ゴリラ舎
(mouse-over)
変な所が気に入ってごろ寝するゴリラ

日本の旧石器研究では、約70万年前に遡る旧石器の存在が認められたこともあったが、2000年11月にそれらの捏造が発覚した。以後、日本全土の旧石器遺跡を再点検することにより、現在ではDNAでたどるホモ・サピエンスの日本列島への拡散年代と符合する後期旧石器時代(約4.5~3.5万年前以降)をもって、日本の旧石器時代は語られる。標準的には、【 約3.5万年以前の先ナイフ形石器文化、 約3.5万年前~AT(姶良丹沢火山灰)層期(約2.6ー2.9万年前)のナイフ形石器文化Ⅰ、 AT~約1.8万年前のナイフ形石器文化Ⅱ、 約1.8~1.4万年前の細石器文化 】と時期区分される。あるいは、石器製作技術の段階的革新を、石刃技術から両面調整技術への技術革新の幾つかのフェーズで捉えて、時期区分することもある。初期の石刃技術では石核から直接石刃を打ち剥がすが、最終的な両面調整技術では石核の中に隠された目的とする石器を計画的に石核内部より取り出す。日本列島で発掘される旧石器は洗練された加工技術の革新を基盤としでおり、ホモ・サピエンスの現代人的行動にふさわしい。そして、次世代の化学反応(粉体焼成技術)を利用し芸術性を兼備した縄文土器文化につながっている。

一度は否定された日本列島の前中期旧石器文化だが、ホモ・サピエンス以前に日本列島に到達した人類の可能性に注目する学者も多い。列島近くにホモ・サピエンス以外に、ジャワ原人と北京原人が居た。また、以前にはヨーロッパだけに拡散したとされたネアンダ―ル人の存在もシベリア南部でデ二ソア人として確認されている。彼等またはその子孫が日本列島に到達し彼等の石器を持ち込んだ可能性は否定できない。それらは現代人的行動による洗練された石器ではなく、偽石器(自然力により造られたとする石器)の中に埋もれているのかも知れない。



18/06/17 沖縄の旧石器時代 国立科学博物館にて (東京都)

   
   国立科学博物館常設展示入口
(mouse-over)
琉球列島(北琉球、中琉球、南琉球)
黄色の着色部が約2万年前の陸地(展示会パンフレット)
国立科学博物館(上野)で企画展『沖縄の旧石器時代が熱い!』(平成30年4月20日~6月17日)が催された。
6月9日の講演会ー(講演.1)片桐千亜紀(沖縄県立埋蔵文化財センター)「白保竿根田原遺跡の発掘」、(講演.2)河野礼子(慶応大)・土肥直美(文化財サービス)「白保竿根田原洞穴遺跡の人骨」、(講演.3)篠田謙一・神澤秀明(国立博物館)「旧石器人の古代DNA研究」ーと併せて、沖縄の旧石器時代を学んだ。

日本列島に人類が足を踏み入れたのは今から3~4万年前と、考古学・人類学は教えている。流入経路としては、南(琉球列島)から九州南端・本州へのルート、北(北海道)から本州北端・東北・関東・中部へのルート、あるいは朝鮮半島から北部九州・本州中央部へのルートが考えれている。
琉球列島へのヒトの渡来は約3万7000年前から始まったと考えられている。旧石器時代は氷河期であり、海水面が現在よりも120~130mほど低かったが、琉球列島を介しての往来・渡航は容易ではない。”列島を開拓したヒト集団の素養の第一は冒険心だった”との説が最近よく話題になる。

沖縄の旧石器時代は、幾つかの点で注目される。一つは、石灰岩(サンゴ礁)洞窟のアルカリ性が古人骨をよく遺すことである。日本最古の人骨(那覇市・山下町第一洞穴遺跡)は3万6500年前の炭層の下から幼児の脚の骨として発見された。旧石器人(2万年前)の全身骨は、1970年に港川遺跡から発見され、それを基にして、旧石器人の顔・姿が国立科学博物館と沖縄県立博物館で復元されている。沖縄以外で発見された日本列島旧石器人の人骨は、わずかに浜北人(静岡県根堅洞窟;1万4000~1万8000年前)だけである。逆に、他所では数多く発見されている旧石器(ナイフ形石器、尖頭器、掻器、削器など)は沖縄では殆ど見つけられない。南北に長い日本列島、氷河時代と現在の平均気温差(~7℃)を考えれば、沖縄旧石器人は”海の民”だったのだろう。琉球諸島は本州でいう縄文時代(1万5000年前以降)には貝塚時代に入る。

最近(2010年に)、石垣島・白保竿根田原(しらほさおねたばる)洞穴遺跡で港川人と同時代の新たな人骨がまとまって発見された。本企画展の一つのテーマは、この遺跡からの出土品の展示、白保人の顔の復元と白保人のDNA鑑定でもある。

当企画展の扱う島々は、中琉球の沖縄島(那覇市山下町第一洞穴遺跡、港川遺跡、サキタリ洞遺跡)、久米島(下地原洞穴)、南琉球の宮古島(ピンザアブ(2万9000年前)、ツヅピスキアブ(9000~2万年前))と石垣島(白保竿根田原洞穴)などである。このような小さな隣り合った島々に旧石器人の足跡を見出しているのは、世界的にも珍しい事という。遺跡からは、人骨や食料としていた貝類、小型獣骨などが出土する。

講演1.では、琉球諸島の旧石器時代の解説とともに、新石垣空港の建設と同時に白保竿根田原遺跡の保存・発掘に尽力した現地の人々、発掘に当たっての人骨損傷を守る細心の注意、DNAを守っての冷却・保管しての輸送などが述べられた。白保竿根田原遺跡では、津波層を含む層序、数多く出土する琉球固有種のイノシシ骨に混じって、人工傷のある石器、髄を抜き取ったと見られる獣骨、渡来歴不明の土器の発見などが取り上げられた。人骨は5ケ所の集中地点(ユニット)を中心に発見され、人骨の散布状況から遺跡が仰臥屈伸・風葬の墓場と推定された。風葬文化はインドネシアなど南の島々と類似している。
講演.2は、頭骨のデジタル復元が詳細に説明された。白保4号の頭骨を東京へ運び、当所の一室でCTスキャン撮影、PC上でのデジタル復元した後に、3次元プリンターで1/2モデルを何度もプリントアウトして確かめながら骨組みが試作された。最終的には、皮膚色、頭髪などを、旧石器人らしく整えて完成した。
講演3.は、白保竿根田原洞穴の人骨DNAについてである。幾つかの人骨についてミトコンドリアDNAが分析された。20,000年前代の人骨2体について、B4eRという系統(ハプログループ)を得ている。これらは南方起源(南中國、東南アジア)のDNAとされている。他にM7a(現代日本人に多い)が4000年前代、20,000年前代、9000-16,000年前代の発掘した三つの人骨について検出されているが、後二者の年代は不確からしい。いずれにしても、汗・泥だらけの発掘現場から冷却保管しての運搬と測定、その過程で他のDNAの混入を防ぐ細心の注意が必要となる。発掘された古人骨の大部分はバクテリアのDNAなどで占められていることも困難さを増す。測定試料作りは国立科学博物館に設置されたクリーンルームの中で行われた。生命体の究極単位である物質・DNAを取り扱う技術は、現代電子産業の発展に必須だった高性能なクリーンルームを利用し追及されている。
企画展示”沖縄の旧石器時代が熱い!”は 
『 1.沖縄の環境(更新世の琉球列) 2.島に生きるユニークな動物たち(固有種) 3.旧石器人の渡来(湊川人) 
4.見えてきた旧石器人の暮らし(島々での旧石器遺跡) 5.新たな人骨発見!(白保竿根田原) 6.まだまだ熱い!沖縄旧石器時代研究 』 と項目分けされていた。

展示の幾つかを以下に示す
湊川人 
     
 港川遺跡(石灰岩採石場)
中央の割れ目の堆積層の上部から縄文土器が、
最下層から数体の湊川人骨(人形図)が発見された)

(mouse-over)
縄文土器(8,000年前)の出土 
   湊川人
湊川1号人骨から復元した沖縄建立博物館の2体
(常設展では復元した幾つかの例
ー顔が微妙に異なるーが展示されている) 

沖縄の旧石器遺跡 
 
 ピンザアブ遺跡(2万9000年前)
出土人骨(複数個体)
(mouse-over)
下地原洞穴遺跡(1万7000年前)
獣骨とともに幼児の骨が遺る
  サキタリ 洞遺跡(1万4000~3万5000年前)
多くのモクズガニの部位や魚骨
ー旧石器人の食性を語るー
(mouse-over)
発見された世界最古の釣り針(貝製:差し渡し1cm)

白保竿根田原遺跡 
     
白保竿根田原遺跡
新石垣空港建設時に発見・発掘調査された 

(mouse-over)
日本最古の全身人骨(2万7,000年前)
   実際の層序(現場写真)
(mouse-over)
層序と主な出土品をモデル化して展示
上層から、グスク時代・14~17世紀、下田原期・約4千年前、完新世前半(イノシシ骨主体)、後期更新世・16,000~24,000年前(人骨主体)に区分される。
   
頭骨復元作業は、CT撮影・実物と比較してモデル構築・PC画面上でデジタル復元・3次元プリンターでの復元骨出力・検討・・・、と次第に繰り返される
(mouse-over)
白保4号の顔は、デジタル復元頭骨に粘土で肉付けする
  頭骨の作業としては、白保4号の顔骨(左端)をデジタル復元し、頭骨復元に足りないパーツは顔面左右の対称を考慮して補正する
(mouse-over)
コンピュータで復元した頭骨を、3次元プリンターで何度も小サイズで出力・検討し、次第に完成に近づける
 

髪の毛を加えて白保人が完成する
  古人骨の生化学的調査はクリーンルームで
コラーゲン分析で白保人の食生活を推測する
(mouse-over)
白保人骨数体についてDNA分析がなされた
(測定試料作りに使用した器具・装具)

現在発掘調査中 
     
  ツヅピスキアブ(宮古島)
9000~2万年前のイノシシ・シカの骨とチャート礫(?)
(mouse-over)
遺跡の調査
    藪地洞穴遺跡(うるま市) 
南島爪形文土器、無文土器、未知の土器
(mouse-over)
洞穴の調査


18/05/12までの記事