浜通り・中通りの古墳(3) | (福島県) |
中通り | |||||
塚野目古墳 | 傾城壇古墳 | 大安場古墳 |
塚野目古墳群 つかのめこふんぐん |
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国見八幡塚古墳(塚野目1号墳) 伊達郡国見町塚野目字前畑 前方後円(帆立貝式) 周濠あり(幅7〜8m、深さ平均1.5m)、総長約76m、墳長約66〜68m、後円径52.4m・高6m、円筒・朝顔形埴輪、葺石あり、外表遺物として、墳丘裾東から土師器高杯脚部・小型壺(南小泉式)が出土。古墳築造は7期と編年される。(近藤編「前方後円墳集成」による) 立看板では、5世紀後半の築造と推定されている。 中期県内最大の古墳とされる。 一見しても、古墳の形はよく分らない。 図面を参照して始めて、短い帆立貝式の前方部が分る。 |
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南側から見る八幡塚古墳 車の向こうが短い前方部 | 古墳正面は八幡神社 | |
後円部墳頂には神社がある。 | 古墳の北側 | |
錦木塚古墳(塚野目4号墳) 伊達郡桑折町伊達崎字錦木塚 前方後円 造出しあり(北側くびれ部)、墳長42m、後円径18m・高3.5m、後円部南側に横穴式石室、副葬品として、ガラス玉32、直鉄刀3、鉄鏃・長頸鏃の破片、長頸瓶2点など。(近藤編「前方後円墳集成」による) 古墳編年は10期以降とされる。 |
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南北に走る県道31の十字路の角に「錦木塚古墳50mの看板」がある。十字路南東の畑の中に錦木塚古墳がある。東北奥に八幡塚古墳の林が見える。 | ||
北側道路から見る。右が前方部、左が後円部、中央草に覆われくびれ部が見える。 | 十字路を更に東に進むと、塚野目古墳群に属すると思われる幾つかの墳丘が点在する。阿武隈川左岸段丘上にあり、いかにも古墳が多く造られた地域らしい景色である。 |
傾城壇古墳 けいせいだんこふん 福島県安達郡大玉村大山字愛宕 | ||
標高280mの山頂にある。前方後円墳。墳長42m、後円径24m・高3.5m・頂径12m、前方部13m、長16.5m、高1.8m、くびれ幅12m、葺石なし。乱掘跡があり、土師器・剣の出土が伝えられる。古墳編年は4期後半で、浜通りの玉山1号と同時期(4世紀後半)。(近藤編「前方後円墳集成」による) 小規模な古墳だが、4世紀後半に中通りに前方後円墳が出殿した意味が大きいとされる。以後6世紀の二子塚古墳まで直径2km以内の古墳に、様々な埴輪を立てた葬送儀礼が継続されたという。(大玉村HP) |
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山裾の民家で、家庭大工中のおじさんに尋ねる。「あ々、アタゴ山ね。この後の山だよ。ホソー道路を上っていくと、小さな池があり、そこから登れるよ。多摩から来たの?」。入口に木の標識がある。西側の平野を望む。 | 入口のやや広くなった所に駐車して、古墳のために作られた道を登っていく。 | |
北側から登り、東西に主軸のある古墳の後円部に出会う。 | 古墳の周囲に細道がついていて、前方部方向に周る。くびれ部辺りからの後円部。墳頂は草で覆われて登ってもみても判然としない。 | |
前方部左前から | 前方部右前から。後円部頂は、草(茅)が生茂るだけ。 |
大安場古墳群 (だいやすばこふんぐん) 郡山市田村町大善寺字大安場160番地 | ||
平成21年4月4日、「大安場史跡公園」がオープン。 |
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1号墳説明板より 1号墳前方部 北端 後方部へスロープがつけてある。 2号墳 直径15mの円墳である。中央で、長さ2.2m・幅1.2mの石棺の蓋石とその下に側石がみつかっている。その段階で埋め戻し保存されている。周溝からの出土土器から5世紀後半の築造とされる。 墳丘を囲んで周溝がある。 一部つながっている所が墓道である。 |
大安場1号墳 平成3年に発見され、平成7年より測量・発掘調査された新しい発見の古墳。東北地方最大の前方後方墳。4世紀後半の築造とされる。 全長約83m、尾根を成形・盛土し、形を整えて造った前方後方墳で、前方部2段、後方部3段構成。主軸はほぼ南北を示す。古墳斜面から約5,000の土器片が出土、ほとんどが底部穿孔壺で、埴輪のように頂上に並べられていたと推定している。ベンガラで赤く塗装したものもあり、約50ケが並べられたとみられる。 北東より1号墳全景 右側が前方部 1号墳後方部埋設状況を示す。(南側より) 頂上周辺には、底部穿孔壺が埴輪のように並べられてる。 埋葬状況説明板 埋葬状況が興味深い。棺は腐敗してなくなっていたが、幅2m、長さ10mの大きな竪穴の底に粘土を敷いて納められ、長さ屋久m・幅屋久mの丸太加工の木棺と推定されている。木棺の内部の片側は、副葬品(石釧、大刀、槍、剣、鎌、鉄斧などを伴う人物が、もう一方には、副葬品は伴わないが、ベンガラを敷いた跡があり、2体の埋葬を想像させる。ガイダンスに実寸大模型がある。 |
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