浜通り・中通りの古墳(2) (福島県)

浜通り
双葉町・南相馬市

011年3月11日に起きた東日本大震災・原発事故の大災害はこの地域の文化財に大きな被害を与えた。被災5年後の2016年5月のニュースでは、「双葉町、富岡町は立入り制限区域となり手つかずの状態が続き、2012年5月から防禦服を着用して一部の選ばれた文化財が相馬市まで移動された」とのことである。震災2年前前にこの地域を訪れ、私一人の訪問者を快く受け入れて下さった双葉町歴史民俗資料館、本州ではこの地域だけに存在する装飾古墳など現在も機能していない所は多い。。

双葉町  
      清戸さく横穴  双葉町新山字清戸さく

  
 国史跡に指定された清戸さく76号装飾横穴墓
        公開日は、4,5,7,10月の第2日曜日






双葉町歴史民俗資料館に、清戸さく横穴の模型がある。壁面画は見事だ。許可を得て撮影する。
昭和42年に発見された。装飾古墳・横穴墓は、九州と関東の太平洋岸に多い。ここの壁画は見事だ。中央の7重の渦巻模様は、太陽を表しているとか魔よけの印とか言われる。すぐ右の人物は、実寸74cmあり、手をかざし、冑をかぶって(または髪形)いる。馬に乗った人物、鹿と向かい矢を放った人物など多彩である。
周囲にも500基を越える横穴墓がある。
双葉町歴史民俗資料館 
双葉郡双葉町大字新山字本町27−1
静かな町で人どうりも少ない。館では私一人の為に電気をつけてくれた。
清戸さく横穴群のほか、双葉町の塚の腰古墳群、沼ノ沢古墳群についての展示がある。
塚の腰10号古墳出土の「子供用ひつぎ」は興味深い。 清戸さく77号横穴出土の鋸歯状木製品は珍しい
7世紀前半

南相馬市

          雲雀ケ原祭場地(相馬馬追い)
羽山横穴   南相馬市原町区中太田 南相馬市博物館  南相馬市原町区牛来字出口194
羽山横穴は破損が進み、現在公開されていない。 羽山横穴の壁画、製鉄遺跡など興味深いが、撮影禁止。
桜井古墳群 南相馬市原町区上渋佐字原畑
前方後方墳。墳長75m、後方辺40〜47m・高7m・頂辺16.8m、前方幅27m・長35m・高4.5m、くびれ幅14.8m。4期前半の築造。(近藤編「前方後円墳集成」による)
   桜井古墳
古墳公園として、桜井古墳、桜井古墳群渋佐2号墳とやや離れて7号墳、および「野馬土手」の一部が復元されている。 地山の削り出しと盛土により造られ、後方部の頂上には底部穿孔二十口縁壺が並べられていた。4世紀後半の築造とされる。
桜井古墳を前方部端から 前方部上端から後方部を見る。

後方部頂上 説明版は丁寧に、墓坑、墓道、などが説明されている。(右図)
2号墳は、5世紀築造の直径20m・高2mの円墳。墳丘の裾に周溝が巡っている。主体部は破壊されていたが、割竹形木棺だったと推定されている。 7号墳は古墳時代前期(4世紀後半)に築造された東北での出現期方墳として、銅鏡が出土したことで重要。

鹿島歴史民俗資料館     南相馬市鹿島区西町3丁目1番地
(鹿島歴史民俗資料館パンフレットより)
真野古墳群からの出土品が目的で訪れたが、古墳出土品は発掘した大学が持ち帰ったとのことである。著名な金銅製双魚袋金具(右)はレプリカ展示されていた。資料館の方は、熱心に土地の民俗・歴史を説明してくれた。万葉集に笠女郎が大伴家持に送った歌「みちのくの真野のかや原遠けれども 面影にして見ゆといふものを」の真野がこの地であること、養蚕と稲作の話、海岸部に化石が多いことなど。、

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