唐古・鍵遺跡 (奈良県・磯城郡)
    からこ・かぎいせき
   
 (「ヤマト王権はいかにして始まったか」)
平成19年度企画展 唐古・鍵考古学ミュージアム
特別講演 シポジウム 田原本青垣生涯学習センター 弥生の里
10月28日(日)、田原本町教育委員会・桜井市教育委員会・(材)桜井市文化財協会の主催で、シンポジウム「ヤマト王権はいかにして始まったか~唐古・鍵、纏向から考える」と平成19年度企画展が、唐古・鍵考古学ミュージアムで催された。先に訪れた桜井市埋蔵文化財センターの企画展と併せて、ヤマト王権が確立する時期(弥生時代から古墳時代)のこの地域の変遷を知る好機であった。
戦後の全国的な大規模開発にともない、弥生時代の大集落遺跡が各地で発見・調査され、いわゆる邪馬台国時代のムラ・クニの様子が分かってきた。唐古・鍵遺跡は昭和12年(1937)に始めて調査され、戦後も度重なる発掘調査が行われ現在では100次を越えている。唐古・鍵遺跡は、戦後発見された代表的な弥生遺跡(吉野ヶ里遺跡と妻木晩田遺跡)と一時期の集落としては大差ない規模をもつ。
吉野ヶ里遺跡 佐賀県 弥生前期から後期 (117ha) 前期(3ha)中期(20ha)後期(40ha)
妻木晩田遺跡 鳥取県 弥生中期から古墳前期初頭 (170ha) 晩田山丘陵全域(7地区) 妻木地区(40~50ha)
唐古・鍵遺跡 奈良県 弥生中期から古墳前期初頭
(羽子田遺跡、保津・宮古遺跡、清水風遺跡、法貴寺遺跡が隣接)
唐古・鍵遺跡の史跡指定地区(30ha)
唐古・鍵遺跡と纒向遺跡は、後にヤマト王権が成立する「ヤマト王国」の地として重要な遺跡である。

ムラの衰退を唐古・鍵考古学ミュージアム展示図録Vol.6は、次のように解説する。
弥生前期ー中期初頭には、大環濠はなく、小規模な西地区を囲む環濠集落で、中期初頭に西地区南端に大型建物が建てられた。
弥生中期から後半にかけて、大環濠・多条環濠が現れ、西地区北部に大型建物が建てられ、東南部に青銅器工房が置かれ、銅鐸鋳型も出土する。ムラの出入口や楼閣絵画土器もこの時期の遺物である。吉備産の大壺や器台が出土し、キビとの関係深さも推察される。周辺の清水風遺跡や羽古田遺跡などもこの頃の遺跡で、この時期のこの地域の活発な様子が伺える。
弥生後期には、洪水で環濠が埋没するが、再掘削し再び多条・大環濠が形成される。建物は見つかっていないが、区画溝が検出されている。
弥生時代末に環濠は埋められるが、井戸などが発見されていて、ムラは継続したと見られる。
古墳時代前期に再び一部の環濠が掘削され、以後、ムラは盛衰を繰り返すが、中期には方墳や前方後円墳が築造される 
今回は、考古学ミュージアムにAM9:00からPM18:00まで閉じこもっていたので、遺跡散策は出来なかったが、企画展・常設展とシンポジウムの概要メモをここに記しておく

唐古・鍵考古学ミュージアムから北方向を眺める
唐古・鍵遺跡、考古学ミュージアム、(田原本町)と
纒向遺跡(まきむく)の位置関係
ミュージアム内から西方を見る
(右端が三輪山)
三輪山山麓に弥生後期・古墳時代の遺跡が広がる
2004年に開館した唐子・鍵考古学ミュージアム 弥生の里ホールでシンポジウムが催された

「ヤマト王権はいかにして始まったか」
特別講演;石野博信「弥生から古墳へ -唐古・鍵と纒向ー」
基調講演;藤田三郎「奈良盆地の弥生環濠集落の解体」、秋山浩三「チャイルドの〈長距離交易〉と唐古・鍵~纒向の時代」、森下章司「青銅器の変遷と唐古・鍵遺跡の時代」、橋本輝彦「前方後円墳の出現を巡る諸問題ー纒向遺跡からの視点ー」、松本武彦「古墳出現前後のキビとヤマト」
シンポジウム;コーディネーター寺沢薫 パネラー;基調講演者
唐古から纒向への継続的な移行、環濠の消滅と水利システムの発展、唐古大型建物は倉庫(池上曽根遺跡は神殿)、唐古遺跡の都市論と生産性・商工業・流通、楯築墳丘墓(キビ)と前方後円墳、銅鐸から鏡(古墳)への変遷、特殊器台と埴輪と弧文円板、木製仮面などがパネラーにより討論された。

興味深いいくつかの展示物 
(シンポジウム終了後、PM6:00まで時間を延長して見せてもらえた)
企画展より
大型建物の木柱 古墳時代前期の井戸から出土した土器


弥生後期に環濠に並べれたと見られる器台(写真奥)と大型建物跡からの出土品(手前)

銅鐸製作に関わる石製・土製の鋳型、取瓶、送風管などが出土し工房があったことが分かる。(弥生中期)

弧帯文様 龍が変化した記号文(弥生後期)
大型井戸から出土した土器(弥生中期) 井戸に供献された記号のある長頸壺(弥生後期)
唐古・鍵遺跡では土坑が多く検出されており、生活用水を得る井戸と考えられている。素掘りのものが多く、井戸枠をもつものは稀で、大形土器を埋め込んだ集水施設もある。中期後半以降は、井戸に対する祭礼が確立し、供献された土器が見つかっている。井戸はまた祭祀の廃集穴に転用されることもあり、卜骨、盾などが出土することもある。

常設展より 
     楼閣と大型建物を描いた絵画土器片
弥生中期の遺跡からは、人物・鹿・建物、銅戈、盾と戈を持つ人物などを描いた絵画土器が出土している。
     楼閣の絵画のクローズアップ
ジオラマや唐古池辺の再現建物など全てこれを参考にしている。唐古・鍵遺跡のシンボル。
ここに描かれた楼閣は、中国・四川省の古墳(1,2世紀頃)で出土した神仙世界の天門を表す図柄とよく似ている。(岡本健一他「三角縁神獣鏡・邪馬台国・倭国」 新泉社、p199 2006」による) 唐古・鍵遺跡からは、禹余粮(うよりょう:磁鉄鉱で仙薬の一つ)も出土していて、神仙思想(道教)との結びつきが興味深い。
弥生時代の祭りのジオラマ
まつりの道具

まつりの道具 木製枕
房総の古墳(市原市)から出土する石枕を想い出した。

珍しい牛の埴輪 
(5~6世紀には環濠集落崩壊跡に古墳が築造された)